ローデシア特殊空挺部隊

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ローデシア特殊空挺部隊

ローデシア特殊空挺部隊(ローデシアとくしゅくうていぶたい、Rhodesian Special Air Service、ローデシアSAS)は、ローデシア軍特殊部隊黒人隊員が多かったセルース・スカウツと異なり、全員が白人構成されたとされる。

帽章

モットーイギリスSASと同じく"Who Dares Wins"[1] (あえて挑んだものが勝つ)であり、ベレー帽の色や部隊徽章も英SASと同様のものを使用していた。兵力は1963年12月末時点で193人、1978年6月時点で約250人。

概要

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イギリス領時代のローデシアSAS

ローデシアSAS・C中隊(C Squadron, 後に第1SAS連隊に改称)は、1950年11月に結成された南ローデシア極東義勇隊を前身とする。南ローデシア義勇隊1951年3月英連邦の一員としてマラヤ動乱派遣。そこで、カラヴァート中佐指揮官として新たに編成された[2]、その後の1964年、イギリスより独立した南ローデシアのイアン・スミス政権下にて、ローデシアSASはローデシア陸軍の部隊として再編成が行われ[3]ザンビアモザンビークへの越境作戦などでZIPRA(ジンバブエ独立人民共和国軍)やZANLA(ジンバブエ・アフリカ民族解放軍)に大きな打撃を与えた。

また、モザンビークにおいてはFRELIMO(モザンビーク解放戦線)に対抗する黒人武装勢力RENAMO(モザンビーク民族抵抗運動)の結成にも携わった[4]

ローデシアSAS内において、南アフリカ国防軍兵士構成されたD中隊は、後に南アフリカ国防軍特殊部隊旅団(South African Special Forces Brigade:通称レキ、レキース)の前身となった[5]

脚注

関連項目

外部リンク

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