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アメリカ合衆国のロックバンド ウィキペディアから
ボストン(Boston)は、アメリカ合衆国出身のロックバンド。
1970年代後半から1980年代にかけて隆盛した「アメリカン・プログレ・ハード(スタジアム・ロック)」の代表的グループの一つとして知られ、創設者トム・ショルツが全般を創作するプロジェクトの一面を持つ。デビュー早々からミリオンセラーを連発し、全世界での総売り上げは7,500万枚以上を記録している。
創始者トム・ショルツは、アメリカ合衆国オハイオ州の出身。7歳からピアノを習い、マサチューセッツ工科大学在学中にギターを独学で覚える。大学卒業後はポラロイド社に就職しプロダクト・エンジニアとなった。仕事の傍ら、電気工学の知識を生かして自宅アパートに多重録音可能なスタジオを構築、そこで作り上げたデモ・テープがCBSレコードに認められ契約する。
1976年、ファースト・アルバム『幻想飛行』をリリース[3]。シングル・カットされた「宇宙の彼方へ(More Than A Feeling)」[4]と共に全米チャートで上昇。アルバムは全米3位を獲得し、アメリカだけで1,700万枚、全世界で2,500万枚売り上げている[5]。
1978年、ツアーの合間を縫って慌ただしく制作されたセカンド・アルバム『ドント・ルック・バック』も全米1位の大ヒットを記録する。ただ大手のCBSに所属し、ポップなロック・サウンドだったため、ジャーニー、TOTO、スティクスらとともに、産業ロックとの批判を浴びた。
1979年4月、初来日公演「CHERRY BLOSSOM TOUR '79」を開催。
以降次作の発表が待ち望まれたが、完璧主義者のショルツのレコーディング作業はなかなか進まず、ついにはCBSレコードに契約不履行で訴えられ長期間の法廷闘争に突入、ボストンの活動は一時停止する。
1986年、法廷闘争が決着しMCAレコードへ移籍。8年ぶりのサード・アルバム『サード・ステージ』を発表。シングル・カットされた「アマンダ」が全米1位を獲得し、アルバムも2作連続で1位を記録。
その後も悠々自適のペースでアルバムを制作、1994年に4thアルバム『ウォーク・オン』、1997年のベスト盤をはさんで、2002年に5thアルバム『コーポレイト・アメリカ』を発表。
2007年、リードボーカルを務めるオリジナル・メンバーのブラッド・デルプが急死(自殺)。この件によって同年夏のボストン全米ツアーは中止。翌年、HR/HMバンド「ストライパー」のマイケル・スウィートが参加し、ツアーを再開。
デビュー・アルバム『幻想飛行』のほとんどをトム・ショルツ一人で作った事実を、当初CBS側はにわかには信じなかった。デモテープを聞いた担当者は「現存するあらゆる(ロック・ミュージック)作品の中で、最も素晴らしい作品である」と評価したと言われる。
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