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フルカ・オーバーアルプ鉄道BChm2/2形気動車(フルカ・オーバーアルプてつどうBDhm2/2がたきどうしゃ)は、スイス南部の私鉄であったフルカ・オーバーアルプ鉄道(Furka-Oberalp-Bahn(FO))で使用されていた山岳鉄道用ラック式2等/3等合造気動車である。
2003年にブリーク-フィスプ-ツェルマット鉄道[1]と統合してマッターホルン・ゴッタルド鉄道となったフルカ・オーバーアルプ鉄道 (FO)[2]は、その前身であるブリーク-フルカ-ディセンティス鉄道[3]により1915年6月1日にブリーク - オーバーヴァルト間が部分開業した後、順次その建設が進められていた。しかし、沿線に大きな集落も観光地もなかったためその経営は苦しく、1923年には同鉄道は破産、1925年8月4日にフルカ・オーバーアルプ鉄道が路線を引き継ぎ、1926年7月4日にブリーク - ディセンティス/ミュンスター間の全線が開業、接続するレーティッシュ鉄道[4]との直通運転(クール - ブリーク間)を開始していた。こういった状況であったため、路線の両端で接続する同じ1000mm軌間のレーティッシュ鉄道およびフィスプ-ツェルマット鉄道[5]がいずれもAC11000V 16 2/3Hzで1920-30年代までに電化がなされていたのに対して1940年代まで蒸気機関車による運行が続いていた。一方、1892年に発明されたディーゼルエンジンは欧州では1920年代頃から鉄道車両の搭載が始まり、スイスにおいても1912年製の世界初のディーゼル機関車にヴィンタートゥールのGebrüder Sulzer[6]製の機関が搭載されるなどその開発に各メーカーが参加しており、その後スイス国内においてもスイス国鉄や一部私鉄においてディーゼルエンジンを搭載した電気式もしくは機械式の気動車が導入されていた。
こういった状況の中、フルカ・オーバーアルプ鉄道でも第二次世界大戦による石炭の価格高騰の影響や、短編成の列車でも3-4名の要員が必要となる蒸気機関車牽引の列車では運行コストが嵩むため、主に輸送量の低下する冬季における短編成の区間列車の運行用として気動車を導入することとなった。この気動車が本項で記述するBCmh2/2形の21および22号機として1927年に製造された機体であり、全長11m級の2軸車であったため小型化の容易なガソリンエンジンを搭載したほか、世界で2例目、スイス国内向けとしては初の内燃式のラック式車両[7]であったことが特徴となっている。BChm2/2形はその後1934年に2等室を荷物室に改造してCFhm2/2形となり、1940-42年の全線電化後は事業用として運行されたほか、1947年には22号機がレーティッシュ鉄道に譲渡されてCFm2/2形の150号機として事業用として運行されている。本形式は機関、機械部分、台車をSLM[8]、車体をSIG[9]、補機類をScintilla[10]がそれぞれ製造を担当しており、機関出力110kWで遠隔制御式4段変速機を装備する機械式気動車となっており、最大勾配90パーミルでは単行で14km/hで走行可能であるほか、2軸客車もしくは貨車1両を牽引して8.5km/hで走行可能な性能を持つ。なお、それぞれの機番とSLM製番、製造年、製造所は下記のとおりである。
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