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「ハロー・グッドバイ」(Hello, Goodbye)は、ビートルズの楽曲である。1967年11月にシングル盤として発売され、B面にはジョン・レノン作の「アイ・アム・ザ・ウォルラス」が収録された。レノン=マッカートニー名義となっているが、実質的にはポール・マッカートニーによって書かれた楽曲[3]で、バンドのマネージャーであるブライアン・エプスタインの死去後に発売された初のシングル。シングルは、イギリス、アメリカ、ニュージーランド、カナダ、オーストラリアなど多数の国のシングルチャートで第1位を獲得した。
「ハロー・グッドバイ」 | ||||||||||||||||
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ビートルズ の シングル | ||||||||||||||||
B面 | アイ・アム・ザ・ウォルラス | |||||||||||||||
リリース | ||||||||||||||||
規格 | 7インチシングル | |||||||||||||||
録音 |
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ジャンル | ||||||||||||||||
時間 | ||||||||||||||||
レーベル | ||||||||||||||||
作詞・作曲 | レノン=マッカートニー | |||||||||||||||
プロデュース | ジョージ・マーティン | |||||||||||||||
ゴールドディスク | ||||||||||||||||
後述を参照 | ||||||||||||||||
チャート最高順位 | ||||||||||||||||
後述を参照 | ||||||||||||||||
ビートルズ シングル 年表 | ||||||||||||||||
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歌詞は「二元性」をテーマとしたもので、エプスタインのアシスタントであったアリステア・テイラーから作詞作曲に関する質問に答え、マッカートニーはハーモニウムを弾きながら、テイラーに発した言葉に対して相対するものを叫ぶことを頼んだことに由来している。完成した楽曲には、メンバー4人の演奏以外に外部ミュージシャンによるヴィオラが加わっており、曲のエンディングではアドリブ演奏が聴ける。プロモーション・フィルムは3種類制作され、アメリカではそのうちの1種が『エド・サリヴァン・ショー』で放送されたが、イギリスではマイム禁止法による規制のため、放送されることはなかった。
「ハロー・グッドバイ」は、音楽評論家から様々な反応を受けており、「上質なポップ・ナンバー」といった肯定する評価や、「取るに足らない曲」といった否定的な評価がなされている。楽曲は、アメリカで発売されたキャピトル編集盤『マジカル・ミステリー・ツアー』に収録されたのち、『ザ・ビートルズ1967年〜1970年』や『ザ・ビートルズ1』などのコンピレーション・アルバムにも収録された。マッカートニーは、2002年の「Driving World」ツアーを皮切りに、ソロライブで頻繁に演奏している。ジェームズ・ラスト、バド・シャンク、アラン・トゥーサン、ザ・キュアーらによってカバー・バージョンが発表された。
「ハロー・グッドバイ」は、レノン=マッカートニー名義となっているが、実質的にはポール・マッカートニーが単独で書いた楽曲となっている。作詞には、ブライアン・エプスタインのアシスタントであった[4]アリステア・テイラーが関係している[5]。
テイラーは、マッカートニーの自宅を訪問し、ビートルズの楽曲の歌詞の書き方を尋ねた。すると、マッカートニーはハーモニウムを演奏しながら、テイラーに対し「この世に存在する相対するものを叫んでみて」と要求。テイラーが「black and white, yes and no, stop and go, hello and goodbye」と答えたことから本作が生まれた[4]。
このことについてマッカートニーは、1990年代に作家のバリー・マイルズとの対談で、「相対する事柄について書いたもので、ジミニャーノの影響かな。深遠なテーマさ。男と女、黒と白、漆黒と象牙色、高いと低い、正確さと不正確、上と下、こんにちはとさようなら…曲にするのは簡単だった」「物事の二面性について書いた曲で、いつだって僕は前向きな方面に立ってる。それは今でも変わらないよ」と語っている[6]。
なお、マッカートニーが作曲した時期には、ビートルズの伝記作家内でいくつかの説が存在している。音楽評論家のイアン・マクドナルドは1967年9月下旬に作曲したとしていて[7]、ジャーナリストのボブ・スピッツは6月25日に世界同時中継された番組『われらの世界』のために書いた曲の一つとしている[8][注釈 2]。
「ハロー・グッドバイ」のレコーディングは、1967年10月にEMIレコーディング・スタジオで開始された[9]。この当時、マッカートニー主導で制作された[10]テレビ映画『マジカル・ミステリー・ツアー』の撮影が終盤に差しかかっていた[11]。
10月2日にプロデューサーのジョージ・マーティンとレコーディング・エンジニアのジェフ・エメリックとケン・スコットと共に[12]、当時「Hello Hello」と題されていた本作のベーシック・トラックの録音に着手[13]。マッカートニーがピアノ、レノンがハモンドオルガン、ジョージ・ハリスンがマラカス、リンゴ・スターがドラムという編成で[14]、14テイク録音された[15]。後にリダクションし、コーダ部分にタンバリン、コンガ、ボンゴをオーバー・ダビング[16]。
10月19日に、マッカートニーはリード・ボーカルを、ハリスンはレスリースピーカーを通したリードギターがテイク16[15]にオーバー・ダビングした。他にはバッキング・ボーカルとハンドクラップもオーバー・ダビングされている[16]。なお、マッカートニーのボーカルは、テープの回転速度を遅くして録音された[17]。このテイク16は、1996年に発売された『ザ・ビートルズ・アンソロジー2』に収録されている[18][19]。このテイク16ではマッカートニーのボーカルに対してのオブリガートをはじめ、ギター・パートが多く含まれているが、完成形ではそのほとんどがマッカートニーのスキャットに置き換えられた[20]。このギター・パートの削除が、後に「ヘイ・ジュード」のセッション時やゲット・バック・セッションで見られたマッカートニーとハリスンの不和の一端とされている[21]。
10月20日にテイク16をリダクションした後に、2本のヴィオラが追加された[22][23]。ヴィオラは、ケネス・エセックスとレオ・バーンバウムによって演奏された[11]。10月25日[23]と11月2日にベースがオーバー・ダビングされた[24][14]。
「ハロー・グッドバイ」は、1967年のクリスマスシーズンにリリースされるためのシングルとして選ばれた[5]。B面にはレノン作の「アイ・アム・ザ・ウォルラス」が収録された。なお、このシングル盤は、マネージャーのブライアン・エプスタイン死去後初のシングル盤となった[25]。レノンは、自身が書いた「アイ・アム・ザ・ウォルラス」がB面に追いやられたこともあってか、「シングルのために書かれた曲だけど、別に名曲というわけじゃない。この曲でいいところと言えば、『涙の乗車券』みたいなエンディングにしようと、僕がピアノを弾いた最後のアドリブっぽい部分くらいだ」[26]「“ハロー・グッドバイ”が“アイ・アム・ザ・ウォルラス”をB面に追いやった。こんなの信じられるか?」[27]と語っている。
イギリスでは、1967年11月24日にパーロフォンから発売され[28]、1967年12月27日付の全英シングルチャートで1位を記録し、2位にランクインしたEP『マジカル・ミステリー・ツアー』と共に3週に渡ってトップ2を保っていた[29]。のちに1968年1月23日付のチャートより1963年に発売されたシングル『シー・ラヴズ・ユー』以来となる[30]7週連続1位を記録[31][32]。
アメリカでは1967年11月27日にキャピトル・レコードから発売(LP『マジカル・ミステリー・ツアー』と同時発売)された[33]。1967年12月30日付のBillboard Hot 100より3週連続で第1位を獲得[34]。『ビルボード』誌の1967年度年間ランキングでは第17位。『キャッシュボックス』誌では2週連続第1位を獲得[35]。アメリカでは100万枚以上のセールスを記録し、イギリスでは80万枚以上のセールスを記録している。
この曲のプロモーション・フィルムは、3種類制作されている[36]。いずれのクリップもマッカートニーが監督の下で[36][37]、1967年11月10日にオデオン コヴェントガーデン[38]で撮影が行なわれた。
アメリカで1967年11月26日に放送された『エド・サリヴァン・ショー』で1作目のプロモーション・フィルムが放送された[41][42]。ビートルズは、BBCの音楽番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』で放送されることを期待していたが[41]、イギリスではミュージシャンズ・ユニオンの規定でテレビ番組での口パクが禁じられていた[43]。これを踏まえ、ジョージ・マーティンはヴィオラをカットしたミックスを作成したが、口パク・当て振りをしていることは明白であったため、プロモーション・フィルムの放送は見送られた。その代替として、1964年に上映されたビートルズ主演映画『ハード・デイズ・ナイト』から抜粋された映像に「ハロー・グッドバイ」の音源が被せられたものが放送された[36]。
いずれのバージョンも2015年11月6日に発売された『ザ・ビートルズ 1+』のDVD・Blu-rayに収録されている[44][注釈 3]。なお、ヴィオラをカットしたミックスは、現在も音源化されていないうえ、このミックスを使用した映像は発売されていない。
1967年12月に発行された『ニューヨーク・タイムズ』紙でリチャード・ゴールドスタインは、「ハロー・グッドバイ」について「B面向きの曲」とした上で、「面白い曲だが、A面曲としては劣っている」と評した[45]。『メロディー・メーカー』誌のニック・ジョーンズは「表向きにはシタールを使っていない非常に“普通な”ビートルズのレコードで、私たちがとても好むようになった幻想的なサウンドが織り込まれた複雑な曲になっている」と評した[46]。『NME』誌のデレク・ジョンソンは、「ハロー・グッドバイ」のシンプルさを支持し、「非常に商業的で、ビートルズがあまりにも先進的であると感じている人へのメッセージ」と評している。『キャッシュボックス』誌は「最低限の歌詞、最低限のメロディ、そして実質的に主題はないが、ビートルズにはジョンとポールが連携して、窮屈な世界にパンクロマティックな虹色のサウンドを詰め込む新しい側面がある」と評している[47]。
『ラフガイド』のクリス・インガムは、「どうということもない手軽な歌詞とコードを演奏することで、はるかに挑戦的な『アイ・アム・ザ・ウォルラス』がA面曲になるのを妨害した」とし[48]、文化評論家のスティーブン・D・スタークは「最もキャッチーな曲」としながら、「もしもこれまでのようにジョンとポールの共作であったら、ジョンはポールに歌詞の書き直しを求めていただろう」と述べている[49]。その一方で、『オールミュージック』のリッチー・アンターバーガーは、「広大かつ見事で、革新的なシングル曲」と評している[50]。『ピッチフォーク・メディア』のスコット・プラゲンフーフは「うんざりするほど単純な歌詞はセールス向きだ」としながらも、「遊園地の乗り物のようなメロディと、リードボーカルとバッキング・ボーカルの相互作用により、曲よりもはるかに優れたレコードになった」と評している[51]。
2015年に『NME』誌が発表した「グレイテスト・ビートルズ・ソングス100」でザ・キュアーによる選曲で91曲目[52]、Ultimate Classic Rockが発表した「Top 50 Beatles Songs」では第45位[53]にランクインした。『ローリング・ストーン』誌が発表した「グレイテスト・ビートルズ・ソングス100」では第100位にランクインしていて、同誌は「マッカートニーは、非常に生き生きした『ハロー・グッドバイ』が最も目覚ましい作曲をした瞬間であると主張したことがない」と述べている[54]。2006年に『モジョ』誌が発表した同様のリストでは第36位にランクインし、「文句なしに史上最高のポップ・ソング」と評されている[55]。ステファン・スピニェシとマイケル・ルイスの共著書に掲載された「ベスト・ビートルズ・ソングス100」では第76位にランクインしており、スピニェシとルイスは「傑作」「上質で、新鮮さを持ったポップ・ナンバー」と評している[1]。
チャート (1967年 - 1968年) | 最高位 |
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オーストラリア (Go-Set National Top 40)[56] | 1 |
オーストリア (Ö3 Austria Top 40)[57] | 2 |
ベルギー (Ultratop 50 Wallonia)[58] | 1 |
ベルギー (Ultratop 50 Flanders)[59] | 2 |
Canada Top Singles (RPM)[60] | 1 |
オランダ (Single Top 100)[61] | 1 |
フランス (SNEP Singles)[62] | 1 |
日本 (オリコン)[63] | 15 |
アイルランド (IRMA)[64] | 2 |
ニュージーランド (Listener Chart)[65] | 1 |
ノルウェー (VG-lista)[66] | 1 |
スウェーデン (Kvällstoppen Chart)[67] | 1 |
スイス (Schweizer Hitparade)[68] | 2 |
UK Record Retailer Chart[32] | 1 |
US Billboard Hot 100[69] | 1 |
US Cash Box Top 100[70] | 1 |
西ドイツ (Musikmarkt Hit-Parade)[71][72] | 1 |
ビートルズは、1966年8月のアメリカツアーを以てライブ活動を終了したため、ビートルズ活動期にライブで「ハロー・グッドバイ」が演奏されることはなかった。
マッカートニーは、ビートルズ解散後のソロのライブにて度々「ハロー・グッドバイ」を演奏しており、[83]、「The Paul McCartney World Tour」(1989年 - 1990年)では「プット・イット・ゼア」とのメドレーとして演奏され[84][85]、その時の音源は『ポール・マッカートニー・ライブ!!』に収録された[86]。「Driving World Tour」(2002年)や「Back in the World Tour」(2003年)、「On the Run Tour」(2011年 - 2012年(一部公演))では、オープニング・ナンバーとして演奏された[87]。
フル演奏されたときのライブ音源は、『バック・イン・ザ・U.S. -ライブ2002』(2002年)、『バック・イン・ザ・ワールド』(2003年)に収録されている[88]。
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