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プロレス技の一つ ウィキペディアから
ドラゴン・スープレックス(Dragon Suplex)は、プロレス技の一種でスープレックスから派生したものである。フルネルソン・スープレックス(Full Nelson Suplex)とも呼ばれる。日本名は飛龍原爆固め(ひりゅうげんばくがため)、羽交い締め式原爆固め(はがいじめしきげんばくがため)。
藤波辰爾が初公開したフィニッシュホールド。技名は藤波のニックネーム「ドラゴン」が由来。
過去に全日本プロレスでは新日本プロレスが発祥の技を敬遠する傾向にあったため、フルネルソン・スープレックスと呼称していたが近年はプロレス団体の増加と交流が盛んになったため、名称は使用するレスラーの任意となる傾向にある。また、新日本でも藤波が新日本を退団して以降はフルネルソン・スープレックスの呼称が多く用いられるようになった。
相手を背後からフルネルソンの体勢に捕らえ、後方に反り投げそのままブリッジで相手をフォールする。
投げられた相手は腕と首を極められたまま首から叩きつけられるため、受身を取り辛くフォールを返すことが困難な技である。落ちる角度が急なため危険度も高い。藤波辰爾は、アメリカ修行時代にカール・ゴッチから「強靭なブリッジ力があれば、フルネルソンの体勢からでも投げられる」と言われたことがヒントになったとしており、本来は相手の頸椎を痛める攻撃であるため、「ブリッジからのレフェリーストップが目的の技だった」という(事実、ジュニアヘビー級時代の藤波は、ドラゴン・スープレックスを使用した際はピンフォール勝ちではなく、ギブアップを奪うのがほとんどだった[要出典])。ダメージを与える箇所は後頭部、背中、呼吸器であるとされる。
当初は、そのブリッジを利用してフォールする技だったが、後に投げっ放し式(ホイップ式)も使用されている。
1978年1月23日、WWWF(現:WWE)のMSG定期戦において、藤波辰爾がカルロス・ホセ・エストラーダを相手に初披露、ピンフォールを奪ってWWWFジュニアヘビー級王座を獲得した[1]。次いで同年3月3日、凱旋帰国試合におけるマスクド・カナディアン戦で日本初公開[1]。ファンや関係者に大きな衝撃を与え、ドラゴン・ロケットと共に当時の「ドラゴン・ブーム」を牽引する技となった[1](藤波が初披露する以前に、イワン・コロフが対戦相手をフルネルソンに捉えた体勢で後方に投げたことがあったが、ブリッジが不完全だったため技の成立までには至らなかったという[要出典])。
1980年3月、この技を受けたアンヘル・ブランコとマンド・ゲレロが立て続けに首を負傷して緊急帰国する事態となったが、これはドラゴン・スープレックスの破壊力を演出するためのアングルであった[2]。しかし、上述のMSGでの初披露後、控室に戻った藤波は、元々カール・ゴッチの弟子という事で警戒されていたところにこの技を使ったため、「(危険な技を仕掛けたことで)周囲から冷たい視線を浴びた」「(当時のWWWF総帥)ビンス・マクマホン・シニアも複雑な表情だった」と述懐しており、「やってはいけないことをしてしまった」と感じて控室での身の置き所がなかったという[1]。その後、この技は一時的に使用禁止となった。
1985年、将軍KYワカマツ率いる「マシーン軍団」との抗争でドラゴン・スープレックスの封印を解除。試合終了後のコメントで藤波は「タイミングが合えば、アンドレだろうがブン投げる」と発言していた。
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