ジョン・オルルド

アメリカの野球選手 (1968 - ) ウィキペディアから

ジョン・オルルド

ジョン・ギャレット・オルルドJohn Garrett Olerud, 1968年8月5日 - )はアメリカ合衆国ワシントン州シアトルの元プロ野球選手一塁手)。左投左打。

概要 基本情報, 国籍 ...
ジョン・オルルド
John Olerud
Thumb
1999年5月
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 ワシントン州シアトル
生年月日 (1968-08-05) 1968年8月5日(56歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 1989年 ドラフト3巡目でトロント・ブルージェイズから指名
初出場 1989年9月3日
最終出場 2005年10月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
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オルルッド、オルルードとも表記される。

経歴

要約
視点

プロ入り前

野球を始めたのは7歳の時で、高校卒業時の1986年ニューヨーク・メッツからドラフト27巡目(全体682位)で指名されたが[1]、オルルドはプロでやっていく自信がなく、成長して自立するために大学進学することを理由に指名を拒否[2]

ワシントン州立大学へ進学。2年次に投手として15勝0敗、防御率2.49を記録し、打撃では66試合で打率.464、23本塁打を記録し、大学記録を更新[3]。NCAA(全米大学体育協会)年間最優秀選手を1987年1988年の2年連続で選出された[3]。この投打にわたる活躍を称え、アメリカの大学野球では二刀流で活躍した選手に贈られるジョン・オルルド賞en:John Olerud Award)が2010年に設立されダニー・ハルツェンマルコ・ゴンザレスが受賞している。

トロント・ブルージェイズパット・ギリックGMはドラフト1巡目指名を決断したが、オルルドは3年次の1989年1月11日にクモ膜下出血を起こした[2]。脳に動脈瘤が発見され、2月27日に手術を受けた。それ以来プレイ中は常にヘルメットをかぶり、5年後に医者からかぶらなくてもいいと言われてもかぶり続けた[2]。オルルドは「指名しないでください」と言ったにもかかわらず、1989年のドラフトでブルージェイズは球団内に指名を危惧する人がいたものの、3巡目(全体79位)でオルルドを指名した[2]

現役時代

マイナーリーグを経験しないまま9月3日のツインズ戦でメジャーデビュー。プロデビューがメジャーデビューとなったのは、ドラフトが行われるようになった1965年以降では史上16人目であった[3]。最初の数年間はベンチを温める日々が続いたが、1993年に大ブレイク。鈍足であったがアベレージと選球眼を持ち味とし、同年は8月2日まで打率4割を維持し、最終的に打率.363で首位打者のタイトルを獲得。史上20人目となる200安打・100四球や[3]1957年テッド・ウィリアムズに並びアメリカンリーグ歴代1位タイのリーグ最多敬遠を記録[4]

1996年12月にロバート・パーソンとのトレードでニューヨーク・メッツへ移籍。メッツでは1998年に打率と出塁率でチームの年間記録を更新。翌年には四球と出塁数でもチーム年間記録を更新した。守備にも優れ、1999年9月6日号の米スポーツ専門誌「スポーツイラストレーテッド」では、オルルドは「歴代で最高に守備の優れた一塁手」に選ばれた。

1999年12月に故郷のシアトル・マリナーズへ3年総額2000万ドルで移籍[3]2000年に初のゴールドグラブ賞を受賞。2001年のマリナーズの記録的な快進撃に大きく貢献し、チームも116勝46敗という歴史的な記録を残した。その後もオルルドは活躍を続けたが、チームの若返り政策の下2004年シーズン途中にはマリナーズを放出されてしまう。その後負傷したジェイソン・ジアンビの代わりとなる一塁手を探していたニューヨーク・ヤンキースと7月31日に契約。

2005年5月1日にはボストン・レッドソックスとマイナー契約を結び、同年5月23日、1989年のメジャーデビュー以来初めてマイナーリーグのAAA級ポータケットの一員として出場した。オルルドが初めてマイナーで打った安打は本塁打であった。チームが契約の際に課した3試合のマイナー調整を10打数3安打の打率.300で終える。前年11月に行った左足靭帯断裂の手術から回復しつつあり、5月27日にメジャー昇格を果たす。ケビン・ミラーと一塁手の座を争い、主に中軸を任された。12月6日に現役引退を発表した。

詳細情報

年度別打撃成績

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O
P
S
1989 TOR 6882300030000000010.375.375.375.750
1990 1114213584395151141544802145761755.265.364.430.794
1991 1395414546411630117199680231068968412.256.353.438.791
1992 1385374586813028016206661017701116115.284.375.450.825
1993 1586795511092005422433010702071143376512.363.473.5991.072
1994 1084533844711429212183671205611235311.297.393.477.869
1995 135581492721433208199540001841045417.291.398.404.802
1996 1254693985910925018188611001606103710.274.382.472.854
1997 NYM 15463052490154341222561020008855136719.294.400.489.889
1998 1606655579119736422307932217961147315.354.447.551.998
1999 162723581107173390192699630061255116622.298.427.463.890
2000 SEA 1596835658416145014248103022101021149617.285.392.439.831
2001 1596795729117332121270953117941957021.302.401.472.873
2002 15466855385166390222711020001298656619.300.403.490.893
2003 152634539641453501021083012384766720.269.372.390.761
2004 7831226129641315942200144036416.245.354.360.714
NYY 491881641646704652600012112205.280.367.396.763
'04計 12750042545110201915948001561486111.259.359.374.733
2005 BOS 871921731850707783700031620206.289.344.451.795
MLB:17年 223490637592113922395001325535301230111412961275157881016232.295.398.465.863
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  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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一塁(1B)












1989 TOR 5192001.000
1990 1813310210.986
1991 135112078577.996
1992 133105781772.994
1993 13711609710107.992
1994 10482468683.993
1995 1331099894103.997
1996 101781562107.998
1997 NYM 14612921207125.995
1998 15712581165119.996
1999 16013441059127.994
2000 SEA 15812711325154.996
2001 15812111219116.993
2002 15211691015122.996
2003 15210961253126.998
2004 7754852158.998
NYY 4736725134.997
'04計 12491577292.998
2005 BOS 8041640141.998
MLB 2053161651418821581.995
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タイトル

表彰

記録

背番号

  • 9(1989年 - 1996年)
  • 5(1997年 - 2004年途中)
  • 18(2004年途中 - 同年終了)
  • 19(2005年)

脚注

外部リンク

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