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シンガポールのサッカー選手 ウィキペディアから
ムハンマド・カイルル・アムリ・ビン・ムハンマド・カマル(Mohammad Khairul Amri bin Mohammad Kamal、1985年3月14日 - )は、シンガポールの元サッカー選手。元シンガポール代表で現役時代のポジションはFW。
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名前 | ||||||
本名 | ムハンマド・カイルル・アムリ・ビン・ムハンマド・カマル[1] | |||||
ラテン文字 | Khairul Amri | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | シンガポール | |||||
生年月日 | 1985年3月14日(39歳) | |||||
出身地 | シンガポール | |||||
身長 | 172cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
ユース | ||||||
2000-2003 | シンガポール国立フットボールアカデミー | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2004-2008 | ヤング・ライオンズ | 114 | (54) | |||
2008-2010 | タンピネス・ローバースFC | 45 | (21) | |||
2010-2011 | プルシバ・バリクパパン | 23 | (9) | |||
2012 | シンガポール・ライオンズXII | 6 | (0) | |||
2013 | タンピネス・ローバースFC | 25 | (12) | |||
2014-2015 | シンガポール・ライオンズXII | 49 | (17) | |||
2016 | ヤング・ライオンズ | 12 | (5) | |||
2017-2019 | タンピネス・ローバースFC | 51 | (32) | |||
2019-2020 | FELDAユナイテッドFC | 13 | (8) | |||
2021-2023 | タンジョン・パガー・ユナイテッドFC | 60 | (13) | |||
代表歴 | ||||||
2004-2019 | シンガポール | 132 | (36) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
バイハッキ・カイザン、シャーリル・イシャク、ハッサン・サニーと共にカイルル・アムリはシンガポール国立フットボールアカデミーの第一期生である[2]。
その後は、Sリーグ所属のヤング・ライオンズに所属した。2006年のSリーグではピアラFAマレーシアでの4得点を含む20得点以上を挙げ、フリーキックからの多くの得点も相俟って、同年の得点王に並ぶ活躍を見せた。バイハッキ・カイザンがゲイラン・ユナイテッドFCに移籍した後は、ヤング・ライオンズの主将となった。
2008年半ばの移籍市場では、タンピネス・ローバースFCに移籍し、Sリーグ年間最優秀若手選手賞に輝いた。しかしながら、同年のシンガポール・カップの第3ゲームの88分に中足骨を怪我し、二ヶ月の療養を余儀なくされた。奇しくもその対戦相手はヤング・ライオンズであった。
2010年にはインドネシアのプルシバ・バリクパパンに移籍、23試合に出場し9得点の活躍をした[3]。このシーズンでも彼は足の筋肉を怪我し、7ヶ月以上の欠場を余儀なくされた。
2011年11月にはマレーシア・スーパーリーグへの参戦が決まっていたシンガポール・ライオンズXIIに移籍したが、翌2012年11月にはSリーグ首位になったタンピネス・ローバースFCに再移籍した。その後、再びシンガポール・ライオンズXIIに移籍した[4]。
2016年、ヤング・ライオンズに復帰。2017年には再びタンピネス・ローバースFCに移籍した。
2019年、マレーシアのFELDAユナイテッドFCに移籍した。
2021年、タンジョン・パガー・ユナイテッドFCに移籍した[5]。
カイルル・アムリはU-16代表、U-18代表、U-23代表、A代表に選出されている。
A代表デビューは2004年のオマーン代表戦である[6]。同年の東南アジアサッカー選手権ではインドネシア代表から得点を奪う等、その後に繋がる活躍を見せた[7]。数か月後、AFCアジアカップ2007ではイラク代表からフリーキックで得点を奪い、2-0でこの試合は勝ったものの[8]、同じく彼が1点を獲得したアウェー戦では4-2で敗れている[9]。
2007年の東南アジアサッカー選手権ではラオス代表に11-0の快勝をしている[10]。決勝戦となったタイ代表戦でも得点を挙げ、シンガポール代表の三回目の優勝に大きく貢献した[7]。
また、同年の東南アジア競技大会では、U-23代表の一員として銅メダルの獲得に貢献している。
その後、2008年のシンガポール・カップで負傷したために、同年の東南アジアサッカー選手権は出場できず、2010年にも負傷しているため、AFCアジアカップ2011の始めの2試合も欠場している。更に2011年にもクラブでの怪我によって、2014 FIFAワールドカップ・アジア予選の出場が出来なかった。
2012年の東南アジアサッカー選手権では出場を果たし、ラオス代表、フィリピン代表、タイ代表からそれぞれ得点を果たしている[7]。
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