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ヨルダンの国王 ウィキペディアから
アブドゥッラー2世・ビン・アル=フセイン(アラビア語: عبد الله الثاني بن الحسين, ラテン文字転写: Abdullāh aṯ-Ṯānī bin al-Ḥusayn; 1962年1月30日 - )は、ヨルダン国王(在位:1999年2月7日 - )。
イスラム教開祖ムハンマドの血筋を引くハーシム家の出身。1962年1月30日、国王フセイン1世と2番目の妻・ムナー・アル=フセイン王妃との間に長男として生まれる。
生後間もなく王太子に指名されるが、1965年に叔父のハッサンに王位継承権が移る。1966年、4歳のときにイギリスに留学し教育を受け、1981年にサンドハースト英陸軍士官学校卒業。1983年にはオックスフォード大学で国際政治学を聴講。1987年 - 1988年にはアメリカのジョージタウン大学大学院修士課程(国際関係論)。
1993年6月10日に半年間の交際を経てクウェート出身で両親がパレスチナ人のラーニアと結婚。2男2女をもうけている。
1999年1月、フセイン国王によりハッサン王太弟に代わって再び王太子に叙任。まもなく父の崩御に伴いヨルダン国王に即位(1999年2月7日)した。
2009年アフガニスタンでのチャップマン基地自爆テロ事件によりいとこのSharif Ali bin Zeid大尉が死亡。
ヨルダン陸軍に所属し、即位までは戦車指揮官や空軍の対戦車ヘリコプター隊戦術教官、特殊部隊司令官などを歴任した[1]。現在は国王として国軍最高司令官の地位にある。過激派組織ISILによってムアズ・カサースベ中尉が殺害された際、これに対する報復爆撃には国王自らも参加したと伝えられた[2]。ただし、ヨルダン政府当局はこの噂を否定している[3]。
父親と同じく異母弟のハムザを王太弟としていたが2004年に廃し、その後王太子は空位となっていたが、2009年に長男のフセイン王子(1994年生まれ)を王太子とした。 2021年、ハムザを一時的に軟禁。有力部族らとの会談を重ねるとともに、国外の勢力とも通じ「国家の秩序を脅かした」ことが理由であったが、ハムザが国王への忠誠を誓ったことで解放している[4]。
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