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南天の星座 ウィキペディアから
2024年1月現在、国際天文学連合 (IAU) によって4個の恒星に固有名が認証されている[7]。
このほか、以下の恒星が知られている。
いわゆる「メシエ天体」は1つもないが、パトリック・ムーアがアマチュア天文家の観測対象に相応しい星団・星雲・銀河を選んだコールドウェルカタログに選ばれた球状星団が1つある[19]。
IAUの流星データセンター (IAU Meteor Data Center) で確定された流星群 (Established meteor showers) とされた流星群のうち、はと座の名前を冠するものは1つもない[6]。
はと座の歴史は、オランダの天文学者で地図製作者のペトルス・プランシウスが、1592年に大きな壁掛け地図を製作した際に、地図の脇に小さな星図を描き、その中でおおいぬ座の南西に鳥の姿を描いたことに始まる[2]。ただし、このときプランシウスは名前を付けていない[2]。1594年作成の小世界地図や、1598年製作の天球儀の上にもハトの姿が見られるが、名前は示されなかった[2]。
天球儀上に描かれたハトに初めて星座名を付けたのは、オランダの天文学者で地図製作者のウィレム・ブラウであった。ブラウは、プランシウスやヨドクス・ホンディウスの天球儀から星の位置をコピーして1602年に天球儀を製作した。ブラウはこの天球儀上に、オリーブを咥えアルゴ船に向かって飛ぶハトの姿を描き、それに「ノアのハト」を意味する Columba Noë という星座名を記した。また、アルゴ座には「Argo Navis, Arca Noë(アルゴ船、ノアの方舟)」という名称を付け、このハトが旧約聖書創世記で語られるノアの方舟の伝承に登場する、ノアに大洪水が退いたことを知らせたハトであることを明らかに示した[22]。ドイツのヨハン・バイエルは、1603年に著した天文書『ウラノメトリア』ではと座を独立した星座として扱っていないものの、Canis Major(おおいぬ座)の星図の中で犬の右下に鳩を描き[23]、星表ではυの符号をつけて Recentioribus Columba(「最近は鳩」)と記した[24]。同年にオランダの航海士フレデリック・デ・ハウトマンが製作し、オランダ語のマレー語辞典に添付した星表では、オランダ語で「オリーブを咥えたハト」を意味する De Duyve met den Olijftak と記された。さらには考案者のプランシウスも、1613年に製作した天球儀に「ノアのハト」を意味する Columba Noachi と記し、これがノアの方舟の伝承に登場するハトであることを示している[2]。
初めて星図と星表の両方にハトの星座を記したのは、ドイツの天文学者ヤコブス・バルチウスであった。バルチウスは、1624年に出版した天文書『Usus astronomicus planisphaerii stellati』の中で、星座絵こそ描かなかったものの星図と星表の両方に Columba と記した[25][26]。またバルチウスは、ユリウス・シラーがバイエルと共同製作を進めていた星図『Coelum Stellatum Christianum』を1627年に出版した[27]。この星図は、『ウラノメトリア』を最新の観測記録にアップデートするとともに、全ての星座をキリスト教に由来した事物に置き換えようという壮大な目論見の下にシラーとバイエルが製作を進めていたもので、完成を前に両名が相次いで他界したため、バルチウスが後を引き継いで出版したものであった[27]。この星図でも、オリーブを咥えてノアの方舟に向かって飛ぶ Columbæ Noachi として描かれていた[28]。
はと座の星に振られたバイエル符号風のギリシア文字の符号は、18世紀フランスの天文学者ニコラ=ルイ・ド・ラカイユが振ったものである。ラカイユは、αからσまでのギリシア文字を振ったが、このうちζ・ι・ξは使わなかった[29]。ラカイユが付した符号は、19世紀イギリスの天文学者フランシス・ベイリーが編纂した『The Catalogue of Stars of the British Association for the Advancement of Science』(1845年)に全面的に引き継がれた[30]。さらに、アメリカの天文学者ベンジャミン・グールドが1879年に出版した『Uranometria Argentina』で星座の境界線が引き直した際に新たにξ星が加えられた[31]。
1922年5月にローマで開催されたIAUの設立総会で現行の88星座が定められた際にそのうちの1つとして選定され、星座名は Columba、略称は Col と正式に定められた[32]。
かつては「フランスの天文学者オギュスタン・ロワーエによって1679年に設定された」とする説が流布されていた[33][34]。実際は、先述のようにハトの星座のオリジナリティはプランシウスにあり、近世星座史の研究が進んだ2010年代以降はプランシウスの考案とされている[2][35]。
ドイツ人宣教師イグナーツ・ケーグラー(戴進賢)らが編纂し、清朝乾隆帝治世の1752年に完成・奏進された星表『欽定儀象考成』では、はと座の星々は二十八宿の西方白虎七宿の第七宿「参宿」と南方朱雀七宿の第一宿「井宿」に配されていた[36][37]。
参宿では、排泄物を表す星官「屎」にμ星が充てられていた[36][37]。井宿では、α・εの2星が祖父を表す星官「丈人」に、λ・βの2星が子供を表す星官「子」に、κ・θの2星が孫を表す星官「孫」に、それぞれ配された[36][37]。
この星座のモチーフとされたのは、旧約聖書『創世記』に書かれたノアの方舟の物語に登場するハトである[2]。神の起こした大洪水を逃れたノアの方舟はアララト山にとどまった。山々の頂が見えるようになってから40日後、ノアは方舟の窓を開いてカラスを放ったが、カラスは帰ってこなかった。次にハトを放ったが、ハトは止まるところを見つけられずに方舟へ戻ってきた。ノアは7日後に再びハトを放った。夕方にノアのもとへ戻ってきたハトはくちばしにオリーブの若葉を咥えていた。これによりノアは地から水がひいたことを知った。さらに7日後にもう一度ハトを放ったところ、ハトはもう帰ってこなかった[38]。
世界で共通して使用されるラテン語の学名は Columba、日本語の学術用語としては「はと」とそれぞれ正式に定められている[39]。現代の中国では、「天のハト」を意味する天鴿座と呼ばれている[40][41]。
日本では、1879年(明治12年)にノーマン・ロッキャーの著書『Elements of Astronomy』を訳した『洛氏天文学』が刊行された際に、ラテン語のカタカナ書きで「コロムバノアキ」、英語のカタカナ書きで「ノアスドーブ」と紹介されていた[42]。のちに「鳩」という訳が充てられ、1908年(明治41年)4月に創刊された日本天文学会の会誌『天文月報』では同年12月の第9号から「鳩」という星座名が記された星図が掲載されている[43]。1910年(明治43年)2月に訳語が改訂された際も「鳩」がそのまま使用された[44]。この訳名は、1925年(大正14年)に初版が刊行された『理科年表』にも「鳩(はと)」として引き継がれ[45]、1944年(昭和19年)に学術研究会議が天文学用語の見直しを行った際も「鳩(はと)」が継続して採用された[46]。戦後の1952年(昭和27年)7月、日本天文学会は「星座名はひらがなまたはカタカナで表記する」[47]とした。このときに、Columba の訳名は「はと」と定まり[48]、以降この呼び名が継続して用いられている。
これに対して、天文同好会[注 1]の山本一清らは異なる訳語を充てていた。天文同好会の編集により1928年(昭和3年)4月に刊行された『天文年鑑』第1号では星座名 Columba に対して「はと(鳩)」の訳語を充てていた[49]が、1931年(昭和6年)3月に刊行した『天文年鑑』第4号からは星座名を Columba Noae、訳名を「ノアの鳩」と変更し[50]、以降の号でもこの星座名と訳名を継続して用いていた[51]。
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