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ポアロ(英語: POARO)は、伊福部崇、鷲崎健によって構成されるアトミックモンキー所属の音楽ユニット。
ポアロ | |
---|---|
別名 |
POARO 吉田ぽあ郎 |
出身地 | 日本 |
ジャンル |
フォークソング J-POP |
活動期間 | 1996年 - 現在 |
レーベル |
ソルト ライトニングスカーレット サイトロン・デジタルコンテンツ フロンティアワークス アトミックモンキー(現在) |
事務所 |
ザ・ニュース ソルト ライトニングスカーレット アトミックモンキー(現在) |
共同作業者 |
杉浦"ラフィン"誠一郎 内田稔(吉田ぽあ郎ではメンバー) |
公式サイト | poaro.com/ |
メンバー |
伊福部崇(ボーカル) 鷲崎健(ボーカル・ギター) |
個人の活動については、それぞれの項目を参照されたい。
ポアロというコンビ名の由来は「伊集院光 深夜の馬鹿力」のワンコーナー「輝け!紅白電波歌合戦」に投稿する際に考えたペンネームである。候補として「サルタヒコ」や「スポイト」があった。非常にコンビ仲が良いことで知られる。
この節の加筆が望まれています。 |
1995年、大阪芸術大学マスコミ研究部の新歓コンパで伊福部と鷲崎が出会う。鷲崎曰く、最初新歓コンパに参加する気はなかったが、当時付き合っていた彼女が課題をやるため、一緒に帰れなくなったため予定が空き、参加したという。その新歓コンパで鷲崎から見て一番遠くにいて、小さな声で鷲崎達が言うことに的確なツッコミを入れていたのが伊福部だった。
1996年6月に結成。同年、「伊集院光 深夜の馬鹿力」(TBSラジオ)リスナーであった伊福部が、ギターが弾ける鷲崎を誘い、ラジオのワンコーナー「輝け!紅白電波歌合戦」に、歌唱とギター演奏付きの電波歌テープ(作詞とコーラスは伊福部、歌唱と演奏は鷲崎がそれぞれ担当)を送り、採用される。これが話題になり、同コーナー最終回ではゲスト出演し、他のリスナーが投稿した電波歌(元曲はガッツだぜ!!)を歌っている。
1997年、渋谷CLUB QUATTROにてライブを行うも、観客はわずか4人だったと言われる。同年、かつしかFMにて冠番組、「ポアロのNEW-TYPE NIGHT」がスタート。以降、番組名を「ポアロのニュータイプナイトポケット」、「いい朝ポアロ」と変えながら2002年まで続く。
2000年にはファーストシングル「NEW-TYPE」を発売。2001年から、新宿Fu-にて月1度のマンスリーライブが開催されるようになる。当初は年の上半期のみに開催されていたが、2005年からは下半期にも開催されるようになり、2020年現在まで継続している。
2002年、かつしかFMの番組終了を受け、すときゃ!にてインターネットラジオ、ポアロのあと何分あるの?を開始。曜日の変更や放送局の変更(BBstationへ)はあったものの、2016年3月まで番組は放送されていた。
2003年、ファーストアルバム「サルタヒコ」を発売。
2004年、第1回POARO大喜利大会開催。
2005年から「大喜利修学旅行」が毎年正月に行われるようになる(2011年まで)。映像も記録され、同人扱いながらDVD化されている(後述)。
2005年が伊福部と鷲崎が出会ってからちょうど10年だったため、記念イベント「FUJI POAROCK FESTIVAL」を開催。また、同年放送されたUHFアニメ「あかほり外道アワーらぶげ」内、「それゆけ!外道乙女隊」第7話、「空高く愛を歌おう大作戦!」にて本人役としてカメオ出演しており、曲も一部流れている。ただし、伊福部は同作に脚本として参加していたが、この回の脚本は担当していない。
2006年には渋谷CLUB QUATTROで凱旋ライブを開催、POARO大喜利公式大会「大喜利実力判定考査」の第1回大会開催。
2007年 - 2008年、2008年 - 2009年、年越しイベントを行う。
2009年11月には、初のバスツアーを実施。申し込み開始当初は定員割れも危惧されたが、最終的に70人強を集め無事実施された。
2011年5月12日に東北地方太平洋沖地震に対して義捐金100万円を募金したと、伊福部のTwitter、鷲崎のラジオ番組により明らかにしている。
ライブやインターネットラジオを中心に活躍、現在に至る。
ポアロとして最初期の楽曲は、主に「電波歌」であった。これは「輝け!紅白電波歌合戦」の項でも説明されているとおり「既存の曲に対して珍奇な歌詞を付ける」という替え歌の一種である。「深夜の馬鹿力」内でオンエアされたものとしては、「ガッツだぜ!!」「また逢う日まで」「ロビンソン」「サンタ・ルチア」「浪花節だよ人生は」を原曲とするものが存在する。
その後、ポアロのオリジナル楽曲を制作していくにあたり、「おたく文化」をテーマとしていくこととなった。このような楽曲は、当時あまり先例がなかった。このような「おたくソング」の女王桃井はるこに対し、帝王を自称しゲーム、アニメ、秋葉原、コミックマーケット、フィギュアなど、サブカルチャーを題材とした楽曲を制作していった。
5枚目のアルバムとなった『NO NEGATIVE, NO LIFE.』では、ジャケットの帯に「ポアロ、方向性リセット。」と書かれるほど、大幅な方向転換が行われた。これは、ポアロ自身の学生時代などを「ネガティブ」というコンセプトの元に歌ったアルバムとなっており、「おたくソング」からの脱却が図られている。このテーマについては、アルバム中の1曲「Baby! No Kidding!」の歌詞にて、桃井はるこ、MOSAIC.WAVを引き合いに出して歌われている。
楽曲としては、ほぼすべての曲で鷲崎が作曲を行っている。作詞に関しては、アルバム『おもちゃやめぐり』までは鷲崎が作詞を行った曲も存在していた。しかし、アルバム『ふっかつのじゅもんがちがいます』を製作する際、「ゲーム」というアルバムのコンセプトに対して、伊福部の方がゲーム方面に明るかったため、すべて伊福部が作詞を行った。その後、鷲崎がソロアルバムにおいて自身が作詞・作曲した曲を発表するようになったこともあり、現在では作詞:伊福部、作曲:鷲崎で固定されている。編曲は、同じ事務所の杉浦"ラフィン"誠一郎のほか、RAM RIDER(当人がポアロのあと何分あるの?のリスナーであったことからつながりが生まれた)などが担当したこともある。
ライブの際は、伊福部・鷲崎のボーカルと鷲崎のアコースティック・ギター、という編成で歌われるが(稀に内田稔によるパーカッションが加わる)、CDにおいてはギターをスタジオ・ミュージシャンに任せ、2人ともがボーカルに専念しているケースが多い。
ポアロと、その周囲で盛んに行われている活動として、大喜利イベント「POARO大喜利」がある。2004年ごろから「ポアロ大喜利大会」(通常大会)が実施される。その後、2005年からは「大喜利修学旅行」、2006年から「大喜利実力判定考査」、2007年から「大喜利夜会」と、さまざまな大喜利イベントが行われている。これらのイベントのお題・回答の一部がPOARO大喜利Blogにて公開されている(外部リンクの節を参照)。
イベント以外にも、2009年からケロケロエース誌上にてスタートした大喜利ベースの投稿コーナー、「大喜利の達人」を伊福部らが担当、また2010年からはインターネットラジオ『大喜利四賢者の「オレたちしんけんじゃ!」』がスタート。そのほか、過去にはメカビで「POAROのハガキ道場」という投稿コーナーを担当していた。また、POARO大喜利としてのイベント以外にも伊福部が構成を務める「智一・美樹のラジオビッグバン」の大喜利企画にゲストとして参加している。
2010年5月24日に行われたD関無双には伊福部・鷲崎の両名が、2012年4月のダイナマイト関西ヤングマスターにも伊福部が出場。
同年7月19日には「大喜利実力判定考査2010 in 日本青年館」が、過去最大規模の会場となる日本青年館で開催された。
鷲崎は、大喜利修学旅行以外では大喜利の回答者として参加することは少なく、主に伊福部や八木たかお、ポアロと親しいポアロのあと何分あるの?のハガキ職人(以降、「大喜利軍団」とする)たちを中心に行われている。うち、後述の「大喜利の達人」を担当する伊福部と、哲ひと、イギリス超特急、お手てつないでの4名は、「大喜利四賢者」と呼ばれている。
基本ルールは以下の通りである。
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ポアロとしてアトミックモンキーに所属しているが、基本的にポアロとして事務所を通して仕事をする事はポアロのCDを出すとき以外殆どない。インターネットラジオ ポアロのあと何分あるの?やマンスリーライブは事務所を通さず手打ちで行い、事務所には仕事を入れる際にこれらの仕事にバッティングしないようNGを入れている。
CDのレーベルは、『NEW-TYPE』がソルト、『Once Upon Time in AKIHABARA』、『サルタヒコ』はライトニングスカーレット、『USO800』はサイトロン・デジタルコンテンツ、『サルタヒコ復活編』、『8月11日、晴れ、風邪をひいた』から『16in1』まではフロンティアワークスでアニメイト専売。『NO NEGATIVE, NO LIFE.』からはアトミックモンキーレーベルで、専売ではなくなった。
以下、DVDの発売元は特筆のない限り東京食堂。すでに生産終了となった作品を含む。
上記、「プライド オブ アンダーグラウンド」の作詞作曲を大槻ケンヂに発注し、完成するまでに、製作費としておよそ250万円を要した。ポアロのあと何分あるの?の300回記念の製作ではあるのだが、費用はポアロ二人のポケットマネーから捻出されたため、この製作費を回収する必要に迫られた。そこで、ポアロに内田稔を加えた3名で、変名フォークソングユニット「吉田ぽあ郎」を結成(命名は関智一)。ファーストアルバムをコミックマーケット75にて1000枚限定で頒布し、赤字を補填することとなった(同人音楽扱いであるためアトミックモンキー(所属事務所)は関わらない)。余った分については、マンスリーライブなどのイベントで販売される。
ジャンルをフォークとしたのは「楽に作れる」からであり、伊福部、鷲崎はともに作詞作曲を省力化し、二人の考えとは逆に曲のクオリティを上げようとする内田に対し不満を露わにしていた。しかし、いざ曲が出来上がってみると、「労力がかかっていない割に良いものが出来た」ということで、メンバー自らこれを絶賛。鷲崎は「Silly Walker(自身の初ソロアルバム)と同じぐらいの愛着がある」とコメントしている。
メンバー一人一人の名義も変わっており、その名字は「吉田」で統一されている。メンバー名、またファーストアルバムのタイトルについては、ポアロのあと何分あるの?のリスナーから募集したものがベースとなっている。
「POARO」としての活動に欠かせない人物
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