Remove ads
長渕剛のアルバム ウィキペディアから
『NEVER CHANGE』(ネバー・チェンジ)は、日本のミュージシャンである長渕剛の初のセルフカバー・アルバム。
『NEVER CHANGE』 | ||||
---|---|---|---|---|
長渕剛 の カバー・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 |
1988年 スタジオサウンドバレイ シャングリラスタジオ エピキュラススタジオ | |||
ジャンル |
ロック ポピュラー フォークロック | |||
時間 | ||||
レーベル | 東芝EMI/エキスプレス | |||
プロデュース | 長渕剛 | |||
チャート最高順位 | ||||
| ||||
長渕剛 アルバム 年表 | ||||
| ||||
EANコード | ||||
EAN一覧
| ||||
『NEVER CHANGE』収録のシングル | ||||
1988年3月5日に東芝EMIのエキスプレスレーベルからリリースされた。オリジナル・アルバム『LICENSE』(1987年)よりおよそ7ヶ月ぶりとなる作品であり、過去にリリースされたアルバムから選曲された曲を全てアレンジを変更した上で歌唱し直したものが収録されている。
レコーディングは日本国内で行われ、ギタリストとして矢島賢やFENCE OF DEFENSEの北島健二が参加している。
先行シングルとしてリリースされ、約77万枚を売り上げ大ヒット曲となった「乾杯」を収録している。
オリコンチャートでは最高位1位となった。
当時長渕は、現在の自分を過去の作品で評価されることを嫌っていた。音楽雑誌のインタビューでも「俺の成長の中でこの歌たちをどうにか磨いてやりたかったんだ。ただ、聴き手の連中っていうのは、それほど俺自身の成長は関係なしでさ。むかしの歌はむかしの歌で想い出の中で聴くことが一番よかったりするわけじゃない。で、レコードの”REC”っていうのは、記録なんだと。そういう意味で作ってきたんだと。陸上の選手だってさ、記録を塗り変えていくわけじゃない。それはまさしく成長っていう部分で、めまぐるしく動いていれば動いている以上に記録ってのは塗り変えられて当然なんだよね。それは聴き手にとっては全然関係ないんだけど、自分にとっては大いに関係あるの。だから精神さえ変わらなければ姿かたちは変わっていっても関係ないんだと。「NEVER CHANGE」っていうのは、メンタルな意味で、精神さえ変わらなければ記録はどんどん塗り変えられて当然だってことを提示したかったんだ。そのためにも「NEVER CHANGE」ってしたかったの」と語っている[1]。
1988年1月27日放送の「夜のヒットスタジオDX」でも、過去にリリースされた曲がラジオで過去の自分の声で流れることに「屈辱的な思いになる」と語っている。
前作『LICENSE』(1987年)リリース後、長渕は9月8日の静岡市民文化会館より12月3日の日本武道館に至るまで、全国18都市全20公演におよぶライブツアー「LIVE'87 LICENSE」を開催した[2]。その最中、8月28日放送されたテレビドラマ『スタンドバイミー 〜気まぐれ白書〜』(1987年)にゲスト出演し[3]、さらに8月29日にテレビドラマ『親子ゲーム』(1986年)や映画『男はつらいよ 幸福の青い鳥』(1986年)にて共演した女優の志穂美悦子と再婚した[4]。長渕は入籍のみで済ますつもりであったが、志穂美からの要望により9月17日に千葉真一が修行した寺の近くにある奈良県天川村の天河大弁財天社にて挙式した[5]。また、長渕の意向により志穂美は芸能界を引退、専業主婦となり以降は芸能活動を行っていない[5]。
これと前後して、9月16日には『LICENSE』に収録されていた「泣いてチンピラ」(1987年)をシングルカットとしてリリースし、翌1988年2月5日には本作からの先行シングルとなる「乾杯-NEW RECORDING VERSION-」(1988年)をリリース、長渕のシングルとしては「順子/涙のセレナーデ」(1980年)以来となるオリコンチャート1位を獲得し、約77万枚を売り上げるなど大ヒットとなった[6]。
アルバムタイトルの『NEVER CHANGE』は、後にリリースされたシングル「NEVER CHANGE」(1988年)のタイトルとなった。また、一時期まで長渕のオフィシャルホームページのタイトルとしても用いられた。
過去の楽曲から、「今の声で、今の気持ちで」改めて録音し直した、セルフカバー・アルバム。アレンジは瀬尾一三と共同で書き直されている。歌詞にある一人称「僕」が、総て「俺」に置き換わっていたり、また一部の楽曲で歌詞の加筆や修正が行われている。
本作に関するプロモーションとしては、1月27日にフジテレビ系音楽番組『夜のヒットスタジオ』(1985年 - 1989年)に出演し「乾杯」を演奏した他、2月8日にはTBS系音楽番組『ザ・ベストテン』(1987年 - 1989年)に「乾杯」で第8位として出演、3月3日には第2位で再出演を果たした。さらに後に3週連続で第1位を獲得するも、一度も出演しなかった。
また、本作収録の「逆流」がNHK総合テレビドラマ『銀河テレビ小説 新橋烏森口青春篇』(1988年)の主題歌として使用された[8]。
本作を受けてのコンサートツアーは「LIVE'88 NEVER CHANGE」と題し、1988年4月20日の宮城県民会館を皮切りに18都市全20公演が行われた[2]。また、ツアーファイナルである6月19日には初となる東京ドーム公演を実施した[9]。
オリコンチャートでは最高位1位となり、売り上げは約31万枚となった[10]。また、2006年の再発版では最高位259位となった[11]。
全作詞・作曲: 長渕剛(特記除く)、全編曲: 瀬尾一三、長渕剛。
# | タイトル | 作詞 | 時間 |
---|---|---|---|
1. | 「STAY DREAM」(Stay Dream) | 長渕剛 | |
2. | 「僕のギターにはいつもヘビーゲージ」(Heavy Gauge) | 長渕剛 | |
3. | 「あんたとあたいは数え唄」(Anta to Atai wa Kazoe-uta) | 長渕剛 | |
4. | 「逆流」(Gyaku-ryu) | 長渕剛 | |
5. | 「乾杯」(Kan-pai) | 長渕剛 | |
合計時間: |
# | タイトル | 作詞 | 時間 |
---|---|---|---|
6. | 「碑(いしぶみ)」(Ishibumi) | 長渕剛 | |
7. | 「明日へ向かって」(Ashita e Mukatte) | 長渕剛 | |
8. | 「夢破れて」(Yume Yaburete) | 長渕剛、松井五郎 | |
9. | 「Bye Bye 忘れてしまうしかない悲しみに」(Bye-Bye) | 長渕剛 | |
合計時間: |
全作詞・作曲: 長渕剛(特記除く)、(#8のみ作詞:松井五郎)、全編曲: 瀬尾一三、長渕剛。 | ||
# | タイトル | 時間 |
---|---|---|
1. | 「STAY DREAM」(Stay Dream) | |
2. | 「僕のギターにはいつもヘビーゲージ」(Heavy Gauge) | |
3. | 「あんたとあたいは数え唄」(Anta to Atai wa Kazoe-uta) | |
4. | 「逆流」(Gyaku-ryu) | |
5. | 「乾杯」(Kan-pai) | |
6. | 「碑(いしぶみ)」(Ishibumi) | |
7. | 「明日へ向かって」(Ashita e Mukatte) | |
8. | 「夢破れて」(Yume Yaburete) | |
9. | 「Bye Bye 忘れてしまうしかない悲しみに」(Bye-Bye) | |
合計時間: |
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.