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ウィキペディアから
『FLASH PAPA』(フラッシュ・パパ)は、日本の音楽ユニットである電気グルーヴの2枚目のオリジナル・アルバム。
『FLASH PAPA』 | ||||
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電気グルーヴ の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 | スピリットスタジオ | |||
ジャンル | ||||
時間 | ||||
レーベル | Sony Records/トレフォート | |||
プロデュース |
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チャート最高順位 | ||||
電気グルーヴ アルバム 年表 | ||||
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EANコード | ||||
JAN 4988009177427(1991年・CD) JAN 4988009201009(1994年・MD) | ||||
ミュージックビデオ | ||||
「ビコーズ」 - YouTube 「CATV」 - YouTube 「ウィー・アー」 - YouTube |
1991年4月10日にソニー・ミュージックレコーズのトレフォートレーベルからリリースされた。メジャーレーベルでのファースト・アルバムであり、インディーズレーベルにおいてリリースされた前作『662 BPM BY DG』(1990年)よりおよそ10か月ぶりにリリースされた。作詞は石野卓球およびピエール瀧が担当し、作曲は石野およびCMJKが担当している。
レコーディングはイングランドのマンチェスターにて行われ、ヒプノトーンのトニー・マーティンなど現地のミュージシャン6名がプロデューサーとして参加している。日本からデモテープのみを持参していたため、現地においてすべての音を1から打ち込みによって再現しており、また石野はデジタル・レコーディングを望んでいたが現地の機材では不可能なためアナログ・レコーディングとなったこと、さらにアナログシンセサイザーを多用したことが結果として正解であったと述べている。
本作はオリコンアルバムチャートにおいて最高位第33位となった。後に至るまで演奏されている「ウィー・アー」、「カフェ・ド・鬼」、「電気ビリビリ」などの他、人生 (ZIN-SÄY!) 時代の楽曲「生ゴミ王2」のリメイク版である「生ゴミOH2」も収録されている。当初シングル候補曲としてリリースが予定されていた「N.O.」(1994年)の収録が見送られた結果、本作からは1曲もシングルカットされていない。
電気グルーヴは結成後に新宿ロフトなどを中心にライブ活動を行っていたが、4回目のライブ後にソニー・レコードから声が掛かり、メジャー・デビューへの道へと進む事となった[2]。当時は第二次バンドブームの最中であったが、それに対し懐疑的に見ていたピエール瀧は「あんなのより電気の方がいい」と考え、メジャー・デビューに対しては前向きに検討していた[3]。当時ビデオの制作会社に就職し仕事が軌道に乗っていた瀧は、自身がデビューに乗り気でないとメンバーに迷惑がかかると考えた結果、会社を退職し電気グルーヴとしての活動に専念することにしたと述べている[4]。その後石野によるインディーズレーベルで1枚リリースしたいという意向を受けて半ば強引にアルバム『662 BPM BY DG』(1990年)をリリースし、その後は本作のためのデモテープ制作を開始した[4]。ほぼ同時期にメンバーの若王子耳夫と高橋嵐が脱退するも、新メンバーとしてCMJKが加入した[5]。
また同時期にラジオで「電気ビリビリ」を聴いたTMNの木根尚登が歌詞に小室哲哉の名が使用されている事に関心を持ち[6]、それを知ったオールナイトニッポンのプロデューサーの仲介により小室から曲のリミックスを依頼される事となった[7]。すでにソニー・ミュージックレコーズとの契約を交わし、本作のレコーディングが開始された後に依頼された案件であったが、TMNのシングル「RHYTHM RED BEAT BLACK (Version 2.0)」(1991年)のカップリング曲「RHYTHM RED BEAT BLACK Version 300000000000」が先にリリースされたため同作にて電気グルーヴはメジャー・デビューを果たす事となった[6][5]。メジャー・デビューの第一弾が他アーティストによる企画物シングルであることに若干の抵抗感があった石野であったが、電気グルーヴの知名度上昇に繋がったため結果として「やってよかったんじゃないかな」と述べている[8]。当時は様々なメディアに露出するプロモーションが行われたが、新人としては異例のことであったのではないかと瀧は述べており、またラップが珍しい時代であったため誤解されながらも高い注目度を得たとも述べている[8]。
本作はマンチェスターに所在するスピリットスタジオにてレコーディングが行われた[9]。同地でのレコーディングが実現した経緯は、レコード会社側からニューヨークかマンチェスターでのレコーディングを打診され、当時ソニー・レコードが所有していたライブハウスでPAを担当していたピーター・ガルピンという人物がマンチェスターの出身であり、電気グルーヴのライブにおいてもPAを担当したことがあったことや、当時マッドチェスター・ブームが巻き起こっており、自身が影響を受けたのがアメリカ合衆国ではなくイギリスの音楽が圧倒的に多かったことも重なり、即断でマンチェスターに決定したと石野は述べている[9]。また最初にニューヨークでのレコーディングを打診されたことについて、石野は電気グルーヴがラップ・グループであると認識されていたことが原因ではないかと推測している[9]。石野は当時まだ海外渡航未経験であり、メンバーで唯一海外渡航経験があったのは瀧のみであったが、現地集合および現地解散であったために海外レコーディングに関しては「敷居は高かった」と述べている[9]。
プロデューサーはヒプノトーン所属のトニー・マーティン等の4チームの体制で、曲ごとに各チームとスタジオに入る形でレコーディングが行われた[9]。当初は808ステイト所属のグラハム・マッセイがプロデューサーを担当する予定であったが[2]、本決定する前に808ステイトが売れ出して多忙となったために実現しなかったため、レコーディングの最中に808ステイトのメンバーが謝罪に訪れたという[9]。現地の機材はAKAI professionalのS1000、ローランドのJuno-106、JD-800、TR-909、スタジオエレクトロニクスのMidi-Mini、Atari 1040STなどがあり、マルチトラック・レコーダーがアナログ24トラックであったため作業中にトラック数が不足するため、最終的にはミュージックシーケンサーでリアルタイムで出力した音源と一緒にミックス作業を行うことになり、同じミックスは二度とできない状態になったと石野は述べている[9]。石野は日本において制作したデモテープを持ち込み、現地にてゼロの状態からすべてを制作し直したと述べている[9]。メンバーは日本から機材は一切持ち込んでおらず、またシーケンス・データも所持していなかっために現地ですべて打ち込み直して制作する状態となったが、結果的にその方が良かったと石野は述べている[9]。
現地でのレコーディングに関して石野は「向こうとこっちで決定的に違うのはリズムのグルーヴ感」、「打ち込みに対する姿勢が違う」、「音楽に対する考えも広くなった」など強い影響を受ける事になったと述べている[2]。石野は現地プロデューサーの作法を見て、ブレイクビーツの合わせ方やJuno-106のコード・メモリー機能をサンプリングのように使用するなど学ぶことが多くあったと述べている[9]。また、石野はAtari 1040STの使用方法が分からなかったため、打ち込みは現地のプロデューサーがすべて行っていたと述べている[9]。石野は本来当時の最新機材であったソニーのPCM-3348などを使用するデジタル・レコーディングを望んでいたが、現地の機材では対応できなかったためにアナログ・レコーディングになったと述べている[9]。また、CMJKは石野と同様にプロデューサーと共に音色制作を行っており、プロデューサーから教わる形で作業を行っていたという[9]。瀧はレコーディングの最中にゲームボーイをプレイしていたが、スタジオ作業を見た後に帰国して最初にAtariを購入したのは瀧であったという[9]。また、先述の「RHYTHM RED BEAT BLACK Version 300000000000」の歌詞は本作のレコーディング期間中に作成されたと石野は述べている[6]。前作はデジタルシンセサイザーを主体として制作されていたが、本作でアナログシンセサイザーを使用したことでその必要性を石野は確信、「アナログとデジタルは並列で使えるんだという自信を持てたアルバムでもあります」と述べている[9]。
本作は1991年4月10日にソニー・ミュージックレコーズのトレフォートレーベルからCDにてリリースされた。CD帯に記載されたキャッチコピーは「マンチェスターの本物野郎を手玉にとった、これが噂の
本作からは1曲もシングルカットされていないが、当初の予定では3枚目のシングルとなった「N.O.」(1994年)が本作に収録される予定であり、1枚目のシングルとして同曲がリリースされる予定となっていた[13]。しかしディレクターから「これはいい曲だからタイミングを見て取っておこう」と提案されたため本作への収録が見送られ、後に4枚目のアルバム『VITAMIN』(1994年)において収録されることとなった[13]。また本作からシングルカットが1枚もなかった事に関して、石野は「この頃の音楽産業は景気がよかったから結構イレギュラーなものが許されるというか、むしろ逆にイレギュラーなものこそ知恵を絞ってやるみたいな、そういう時代だった」と述べ、瀧はメジャー資本に入った事で様々な部署のスタッフと親交が深まっていった事で「アイデアもいっぱい出てきて、今なら取捨選択できるようなものであっても当時はとにかく『バカバカしいからそれやっちゃおう』っていうノリで、会社側にもそういう体力があったし、それでカタチになっていった」と述べている[14]。また、この当時にレーベルの代表から「瀧、おもしろいから演歌出せよ」と言われた事から瀧勝としてシングル「人生」が制作される事になった[14]。アルバムタイトルは当初『ヘンタイ夫婦』なども候補に挙がっていたが不採用となり、「フラッシュ」という言葉が候補に挙がった時点で「なにがフラッシュ?」という問いかけに対して「え~と、じゃあパパで!」というような軽いジョークで決定したと石野は述べている[14]。
本作の完成度に対する評価は肯定的なものとなっており、音楽情報サイト『CDジャーナル』では「期待にたがわぬその出来栄えはメジャー・デビュー盤とはいえ、すでにインディーズ・シーンで輝かしい実績を残してきた彼らなれば当然のこと」と本作の完成度に関して肯定的に評価[10]、音楽情報サイト『TOWER RECORDS ONLINE』では「当時のマンチェ・ブームに乗っかりマンチェスターでレコーディングを敢行」と当時の音楽シーンを考慮した上で、「POP WILL EAT ITSELFや808STATEの影響濃厚な、当時のムーブメントを代表する一枚」と肯定的に評価した[11]。本作はオリコンアルバムチャートにて最高位第33位の登場週数3回で売り上げ枚数は1.7万枚となった[1]。
本作のリリースと前後する形で、電気グルーヴは3月27日に大阪アムホール、28日には名古屋E.L.L.、4月1日に渋谷クラブクアトロの3か所を巡る「電気グループのキーセンツアー」を実施した。本作リリースから2年後の1993年5月21日に、本作のリメイクアルバム『FLASH PAPA MENTHOL』がリリースされている。また、1994年3月21日にはMDにて本作が再リリースされた。
本作のジャケットには本来渋い中年を起用する予定だったが、スタッフ側の勘違いにより撮影当日に現れたのは「裸の大将」風の若者であったため、仕方なく完成版のジャケットになったという[15]。その後本作のジャケットに関してメンバーは、「背中を向けたオッサンがいてピカーッて光ってる」というニュー・ウェイヴを意識したイメージをスタッフ側に伝えたものの、実際に出来上がってきたものはメンバーのイメージとは大きく異なるものであったという[14]。しかし、メジャーデビュー後まもなくの右も左も分からない状態であったメンバーは修正させる方法が分からず、そのままジャケットとして採用される事となった[14]。ジャケットに本人達の写真が一切使用されていないことに関して、当初周囲からは写真を載せるように要求されたが、石野はデペッシュ・モードのインタビュー中にあった「何年か経って若かった頃の自分達の写真なんか見たくないだろう」という発言に感化されていたため頑なに拒否したという[14]。
さらに、人生時代とは打って変わり一切ノーメイクで露出した事に関して、石野は「ある種の仮面みたいなもので自分が守れるかと思ったら、時間が経つにつれて逆に重荷になってくることってあるじゃない。だったらはじめから自然体で出てったほうが楽」と述べ、瀧は「着飾って出ていくとやがては着飾ったものを脱ぐか、エスカレートしてさらに着飾っていくしかないから。そんな気持ち悪いことになるなら最初っから素っ裸のほうがいい」と述べている[14]。2019年に行われた本作に関するインタビューにて、石野は「あらためてひどいジャケットですね(笑)」と述べている[9]。
# | タイトル | 作詞 | 作曲 | プロデュース | 時間 |
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1. | 「ウィー・アー」(WE ARE) | 石野卓球、ピエール瀧 | 石野卓球 | ティム・オリバー | |
2. | 「生ゴミOH2」(NAMAGOMI OH2) | 石野卓球 | 石野卓球 | ダリン・ティッズィ、サイモン・クロンプトン、アンディ・バーキンショウ | |
3. | 「マイアミ天国」(MIAMI PARADISE) | 電気グルーヴ | CMJK | トニー・マーティン、サイモン・クロンプトン | |
4. | 「M.O.C.」 | 石野卓球 | CMJK | トニー・マーティン、サイモン・クロンプトン | |
5. | 「カフェ・ド・鬼」(CAFE DE ONI) | 石野卓球 | 石野卓球 | ティム・オリバー | |
6. | 「ビコーズ」(BECAUSE) | 石野卓球 | 石野卓球 | ダリン・ティッズィ、アンディ・バーキンショウ | |
7. | 「ラガモン~証城寺の狸ばやし」(RAGGAMON) | 石野卓球、野口雨情 | 石野卓球、中山晋平 | ダリン・ティッズィ | |
8. | 「CATV」 | 石野卓球 | 石野卓球 | トニー・マーティン、サイモン・クロンプトン | |
9. | 「Bingo!」 | 石野卓球 | 石野卓球、CMJK | ダリン・ティッズィ | |
10. | 「電気ビリビリ」(DENKI BIRIBIRI) | 石野卓球 | 石野卓球 | マーク・ホール、ダリン・ティッズィ、アンディ・バーキンショウ | |
合計時間: |
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