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1981年から1984年まで活動していた、沢田研二のバックバンド。 ウィキペディアから
沢田研二のバックバンドを務めた井上堯之バンドが1980年1月に解散後、1年間バックを務めたオールウェイズを経て、1981年に結成されたバンドがエキゾティクス(EXOTICS)であった。オールウェイズのメンバー吉田建、柴山和彦、西平彰が残留し、上原裕、安田尚哉が加わった5人編成で、リーダー兼バンドマスターは吉田建。結成から2ヵ月余りはバンド名がなく、ロンドンで録音した沢田研二のアルバム「S/T/R/I/P/P/E/R」(1981年6月発売)にはバンド名がクレジットされていない。沢田の「渚のラブレター」がヒット中にエキゾティクスと命名されたが、命名されるまでの間、テレビで演奏する際は「渚のラブレターバンド」と名乗っていた[1]。沢田研二と活動を共にした後、1984年9月に解散。
沢田研二自身は「バックバンド」という裏方集団とは考えておらず、当時の作品にJULIE&EXOTICSとクレジットされたものがあったり、沢田研二と同じコンセプトの衣装を纏うなど、「沢田研二がエキゾティクスのリードボーカル」というスタンスであったようだ。また、当時の沢田のレギュラーTV番組「沢田研二ショー」、ラジオ番組「日産ミッドナイトステーション 沢田研二の夜は気ままに」にも出演した。[2]
井上陽水が全曲作詞・作曲を手掛けた「MIS CAST」(1982年)では、ムーンライダーズの白井良明がアレンジしている。 また沢田研二のプロデュースにより唯一の単独作品「Library」も発表している。
人名 | 生年月日 | 出身地 | 担当 | 備考 |
---|---|---|---|---|
吉田建 (よしだ けん) |
1949年11月21日(74歳) | 東京都 | ベース バックコーラス |
|
柴山和彦 (しばやま かずひこ) |
1952年8月27日(72歳) | 神奈川県 | ギター バックコーラス |
現在も沢田研二のバックバンドで活動している |
上原裕 (うえはら ゆたか) |
1953年12月14日(70歳) | 京都府 | ドラム | 元「村八分」「シュガー・ベイブ」 EXOTICSでは「上原豊」名義で活動 |
安田尚哉 (やすだ なおや) |
1953年??月??日 | 兵庫県 | ギター バックコーラス |
2人目のギタリストとしてオーディション参加、コーラスが認められる。 |
西平彰 (にしひら あきら) |
1958年12月13日(65歳) | 東京都 | キーボード ピアノ |
それぞれプレーヤー、作曲家、アレンジャー、プロデューサー等として活動している。中でも吉田建、西平彰は現在まで第一線のスタジオミュージシャンとしてその名を知らしめている。吉田建が手掛けたミュージシャンとしては氷室京介、吉川晃司、吉田拓郎、ウルフルズ等、西平彰は同じく氷室京介、オフコース、中森明菜、岡村靖幸、宇多田ヒカルなどが殊に著名である。
また吉田建と柴山和彦は沢田研二のバックバンド「JAZZ MASTER」(1989 - 1995)にも参加しており[3]、特に柴山和彦は現在に至るまで沢田研二のライブでのギタリストを勤めている。
安田尚哉は1984年2月に脱退、その後上々颱風にベーシストとして参加。現在はバンド「Light Headz」を率いている。
吉田建と柴山和彦は同時期に泉谷しげるのバンドにも参加しており、泉谷がライブ(「REAL TIME」)で二人を紹介する際「オレより人気がある」と語っていることから、アイドル化している様子が伺い取れる。
発売日 | タイトル | レーベル | 規格品番 | 収録曲 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1983年10月 | Library | ポリドール・レコード | 28MX1151 |
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EXOTICS唯一のアルバム。 ゲストプレーヤーとして、武川雅寛(Violin&Trumpet)、野宮真貴(Vocal)も参加している。 |
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