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横浜市中区の町 ウィキペディアから
伊勢佐木町(いせざきちょう)は、神奈川県横浜市中区の町名。北東端から地上は、吉田橋を抜けると馬車道につながり、一方、地下にはマリナード地下街があり、馬車道や関内駅につながっている。風俗街の曙町とも隣接している。また、南西端は南区に接する。現行行政地名は伊勢佐木町1丁目 - 7丁目(字丁目)からなり、伊勢佐木町通りに沿って北東 - 南西方向に約1.4キロメートル続く。住居表示未実施区域[5]。現在1丁目と2丁目は「イセザキモール」(全面歩行者天国)、3丁目 - 7丁目は「伊勢佐木町商店街」と呼ばれる。「イセザキモール」は、1987年度の国土交通省手づくり郷土賞(いきいきとした楽しい街並み)受賞。
元々は入江を埋めた吉田新田の北一つ目沼地。沼地は1671年(寛文11年)までには埋め立てられ、耕地となっていた。
1869年(明治2年)には当地付近に港崎遊郭が移転し、吉原町が起立、1872年(明治5年)にはその遊廓も高島町に再移転し、区画を整理して1874年(明治7年)5月20日に伊勢佐木町が起立した。現在の読みは「いせざきちょう」であるが、当初は「いせさぎちょう」と呼ばれた。
大区小区制では第1大区4小区に属し、1878年(明治11年)横浜区に編入され、1889年(明治22年)横浜市制施行で同市の1町となる。
1928年(昭和3年)松ヶ枝町、賑町、長島町の全域と長者町、久方町、末吉町の各一部を編入して南吉田橋際まで町域が拡大した。
1874年(明治7年)に道路改修費用を寄付した伊勢屋中村次郎衛(治兵衛)、佐川儀右衛門、佐々木新五郎の名前(屋号・苗字の一部を採って組み合わせたもの)から来ている[6][7][8]。佐川儀右衛門の子孫宅に、神奈川県令中島信行が褒賞として銀杯を下げ渡すとする明治7年11月の書類と、銀杯が入っていたと思われる箱と包み紙が伝わっており、包み紙に佐川の手によって「伊勢佐木町」の町名が彼ら3人に由来する旨が記されていた[6]。このことは1989年に石井光太郎が『有鄰』261号で発表した[8][7]。
上記の発表以前、地名の由来としては諸説が流布していた。いずれも、町の成り立ちに関わった人名に由来するものとしていた。
明治時代から商店などが集中したため、現在でも明治創業の店舗が残っている。
1873年(明治6年)に興行場が開かれ、大相撲も催される興行街となる。1882年(明治15年)に遊郭が高島町から真金町へ再々移転すると、関内から遊郭への通り道となり、伊勢佐木町通りを中心に繁華街へ発展。1911年(明治44年)にはドイツ人貿易商・ヴェルダーマンが日本最初の洋画封切館であるオデヲン座を開館、大正初期までには東京・浅草や大阪・千日前と並ぶ大繁華街となり、「ザキブラ」「イセブラ」なる言葉も生まれた。
関東大震災で大被害を受けたが復興は早く、昭和に入ってなおも大いに栄えるが、太平洋戦争で被災、さらに戦後は占領軍によって接収される。1951年(昭和26年)返還が順次開始され、復興が本格化したのは昭和30年代に入ってからである。
1978年(昭和53年)からは恒久的な形での歩行者天国が実施されている。また近年では、ミュージシャンのゆずがアマチュア時代にストリートライブをよく行っていた場所として知られている。
太平洋戦争後、横浜港の中核で、横浜の中心部でもある関内地区の大部分と、伊勢佐木町の一部がGHQにより接収されていた。昭和30年代まで接収が続いたことにより、横浜中心部の戦後復興も遅れ、伊勢佐木町もこのあおりを受けることになった。
一方、1960年(昭和35年)頃から、砂利置き場として使われていた横浜駅西口の大規模開発が相模鉄道によって開始され、1970年(昭和45年)頃には、横浜駅西口が横浜最大の繁華街としての地位を確立した。それに伴い、伊勢佐木町の繁華街としての機能は徐々に低下し、現在では横浜駅エリアに大きく水をあけられている。
2022年(令和4年)11月1日より、伊勢佐木町1丁目から6丁目は神奈川県暴力団排除条例に基づき暴力団排除特別強化地域に指定されることとなった。地域内では飲食店などの特定営業者と暴力団員との間でみかじめ料のやりとりや用心棒などの役務提供・依頼などが禁止され、違反者は金銭の支払いや役務を依頼した側であっても懲役1年以下または罰金50万円以下の罰則が科される[12]。
2024年(令和6年)3月31日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
国勢調査による人口の推移。
国勢調査による世帯数の推移。
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2021年8月時点)[19]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
伊勢佐木町1丁目 | 全域 | 横浜市立本町小学校 | 横浜市立横浜吉田中学校 |
伊勢佐木町2丁目 | 全域 | ||
伊勢佐木町3丁目 | 全域 | ||
伊勢佐木町4丁目 | 全域 | ||
伊勢佐木町5丁目 | 全域 | 横浜市立東小学校 | 横浜市立老松中学校 |
伊勢佐木町6丁目 | 全域 | ||
伊勢佐木町7丁目 | 全域 |
2021年現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[20]。
丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
伊勢佐木町1丁目 | 106事業所 | 1,113人 |
伊勢佐木町2丁目 | 78事業所 | 705人 |
伊勢佐木町3丁目 | 49事業所 | 552人 |
伊勢佐木町4丁目 | 69事業所 | 374人 |
伊勢佐木町5丁目 | 68事業所 | 422人 |
伊勢佐木町6丁目 | 49事業所 | 233人 |
伊勢佐木町7丁目 | 49事業所 | 250人 |
計 | 468事業所 | 3,649人 |
経済センサスによる事業所数の推移。
経済センサスによる従業員数の推移。
伊勢佐木町に所在する映画館は全て消滅したが、界隈に現存する映画館は以下の通り。
町内の警察の管轄区域は以下の通りである[25]。
丁目 | 番・番地等 | 警察署 | 交番・駐在所 |
---|---|---|---|
伊勢佐木町1丁目 | 全域 | 伊勢佐木警察署 | 吉田橋交番 |
伊勢佐木町2丁目 | 全域 | ||
伊勢佐木町3丁目 | 全域 | 伊勢佐木町交番 | |
伊勢佐木町4丁目 | 全域 | ||
伊勢佐木町5丁目 | 全域 | ||
伊勢佐木町6丁目 | 全域 | 横浜橋交番 | |
伊勢佐木町7丁目 | 全域 |
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