1964年の読売ジャイアンツ
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1964年の読売ジャイアンツでは、1964年の読売ジャイアンツの動向をまとめる。
この年の読売ジャイアンツは、川上哲治監督の4年目のシーズンである。
前年念願の打倒西鉄を果たしたが、大型補強もなくシーズンが開幕。この年は東京オリンピックが開催されるにあたり、川上監督は「五輪イヤーを連覇で飾る」と宣言。4月は首位から3ゲーム差とまずまずの成績で終えるが、5月以降は阪神や大洋の後塵を拝する苦しい展開が続いた。そんな中で長嶋茂雄と日替わりで4番を打つようになった王貞治の打棒はこの年も絶好調で、5月には対阪神戦で1試合4本塁打、さらに南海の野村克也が記録した52本を破る55本塁打を放ち、阪神のジーン・バッキーを差し置いてMVPも獲得するなど王のための1年とも言えた。5月にオーナーが正力松太郎から長男の正力亨に交代し、夏場の反攻が期待されたものの広岡達朗をはじめ一部の主力選手と川上監督が対立するなどチーム内が混乱し、最終的にはシーズン勝ち越しこそ果たしたものの3位で終了し五輪イヤーを優勝で飾れなかった。投手陣は城之内邦雄の奮闘が目立ったものの、チーム防御率が2位の3.01に後退。打撃陣はリーグ1位の147本塁打を放ったものの、安打数・打率がそれぞれ最下位に終わった。シーズン終了後、国鉄のエース金田正一が巨人へ移籍し「V9時代」がスタートする。
1 | 左 | 柳田利夫 |
---|---|---|
2 | 中 | 柴田勲 |
3 | 一 | 王貞治 |
4 | 三 | 長嶋茂雄 |
5 | 右 | 国松彰 |
6 | 遊 | 広岡達朗 |
7 | 二 | 滝安治 |
8 | 捕 | 森昌彦 |
9 | 投 | 高橋明 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
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1位 | 大洋 | -- | 阪神 | -- | 大洋 | -- | 大洋 | -- | 阪神 | -- | 阪神 | -- |
2位 | 阪神 | 2.5 | 大洋 | 0.5 | 阪神 | 3.5 | 阪神 | 5.0 | 大洋 | 2.0 | 大洋 | 1.0 |
3位 | 巨人 | 3.0 | 巨人 | 5.5 | 巨人 | 8.5 | 巨人 | 8.5 | 巨人 | 9.0 | 巨人 | 11.0 |
4位 | 国鉄 | 6.0 | 広島 | 6.5 | 広島 | 11.0 | 国鉄 | 12.5 | 国鉄 | 15.0 | 広島 | 16.5 |
5位 | 広島 | 7.0 | 国鉄 | 7.0 | 国鉄 | 13.0 | 広島 | 13.0 | 広島 | 15.5 | 国鉄 | 18.5 |
6位 | 中日 | 8.5 | 中日 | 10.5 | 中日 | 18.0 | 中日 | 21.0 | 中日 | 24.5 | 中日 | 25.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 阪神タイガース | 80 | 56 | 4 | .588 | 優勝 |
2位 | 大洋ホエールズ | 80 | 58 | 2 | .580 | 1.0 |
3位 | 読売ジャイアンツ | 71 | 69 | 0 | .507 | 11.0 |
4位 | 広島カープ | 64 | 73 | 3 | .467 | 16.5 |
5位 | 国鉄スワローズ | 61 | 74 | 5 | .452 | 18.5 |
6位 | 中日ドラゴンズ | 57 | 83 | 0 | .407 | 25.0 |
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