1959年の野球

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1959年の野球(1959ねんのやきゅう)では、1959年野球界における動向をまとめる。

競技結果

日本プロ野球

ペナントレース

1959年セントラル・リーグ最終成績
順位球団勝率
1位読売ジャイアンツ77485 .616優勝
2位大阪タイガース62599 .51213.0
2位中日ドラゴンズ64615 .51213.0
4位国鉄スワローズ63652 .49215.5
5位広島カープ59647 .48017.0
6位大洋ホエールズ49774 .38928.5
1959年パシフィック・リーグ最終成績
順位球団勝率
1位南海ホークス88424 .677優勝
2位毎日大映オリオンズ82486 .6316.0
3位東映フライヤーズ67635 .51521.0
4位西鉄ライオンズ666414 .50822.0
5位阪急ブレーブス48824 .36940.0
6位近鉄バファロー39913 .30049.0

日本シリーズ

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1959年 日本シリーズ
日付試合ビジター球団(先攻)スコアホーム球団(後攻)開催球場
10月24日(土)第1戦読売ジャイアンツ7 - 10南海ホークス大阪球場
10月25日(日)第2戦読売ジャイアンツ3 - 6南海ホークス
10月26日(月)移動日
10月27日(火)第3戦南海ホークス3 - 2読売ジャイアンツ後楽園球場
10月28日(水)第4戦雨天中止
10月29日(木)南海ホークス3 - 0読売ジャイアンツ
優勝:南海ホークス(11年ぶり3回目)
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個人タイトル

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 セントラル・リーグパシフィック・リーグ
タイトル選手球団成績選手球団成績
最優秀選手藤田元司巨人杉浦忠南海
最優秀新人桑田武大洋張本勲東映
首位打者長嶋茂雄巨人.334杉山光平南海.323
本塁打王森徹
桑田武
中日
大洋
31本山内和弘大毎25本
打点王森徹中日87点葛城隆雄大毎95点
最多安打長嶋茂雄巨人150本葛城隆雄大毎163本
盗塁王岡嶋博治中日41個R.バルボン阪急38個
最優秀防御率村山実大阪1.19杉浦忠南海1.40
最多勝利藤田元司巨人27勝杉浦忠南海38勝
最多奪三振金田正一国鉄313個杉浦忠南海336個
最高勝率藤田元司巨人.711杉浦忠南海.905
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ベストナイン

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 セントラル・リーグパシフィック・リーグ
守備位置選手球団選手球団
投手 藤田元司巨人杉浦忠南海
捕手 藤尾茂巨人野村克也南海
一塁手 藤本勝巳大阪榎本喜八大毎
二塁手 土屋正孝巨人岡本伊三美南海
三塁手 長嶋茂雄巨人葛城隆雄大毎
遊撃手 吉田義男大阪豊田泰光西鉄
外野手 大和田明広島杉山光平南海
坂崎一彦巨人高倉照幸西鉄
森徹中日山内和弘大毎
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オールスターゲーム

高校野球

大学野球

社会人野球

メジャーリーグ

できごと

1月

2月

  • 2月1日 - 大毎は球団代表が松村喜平に変わり和田準一が就任したと発表[2]
  • 2月5日 - パ・リーグは丸の内の東京会館にてオーナー、代表者合同会議を開き、専任のリーグ会長に野球評論家の中沢不二雄が就任することを決定[3]

3月

  • 3月12日 - プロ野球12球団代表者会議が午後1時から東京会館で開かれ、新人選手に対する契約金の高騰を抑制するため最大で1千万へ制限し、違反した球団には3千万円の罰金を科すことを決定[4]
  • 3月15日 - 中日ドラゴンズ西沢道夫の引退試合が行われる。また西沢の背番号15は永久欠番に制定。

4月

5月

6月

7月

  • 7月5日 - 大洋の幸田優は川崎球場での対広島ダブルヘッダー第2試合の18回戦の二回表、先頭打者の大和田明を三振、振り逃げで出塁、その後タイムリーによる1失点を挟んで3奪三振で、日本プロ野球史上初の1イニング4奪三振[18][19]
  • 7月9日 - 大毎の荒巻淳が日生球場での対近鉄14回戦の九回裏に島田光二から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[20]
  • 7月14日 - 駒沢球場にてセ・リーグ初の公式戦となる国鉄対広島ダブルヘッダー13,14回戦が行われる[21]
  • 7月19日 - 後楽園球場での大毎対西鉄15回戦の大映の8回表無死一塁の攻撃で醍醐猛夫がバント。これを処理した稲尾和久が二塁へ送球するが審判の中根之はセーフのジャッジ。西鉄の監督の三原脩が中根に抗議しさらに三塁側審判控室にいたパ・リーグ審判副部長の二出川延明に抗議するが二出川が「俺がルールブックだ」と言ったとされる(詳細は参照[22]

8月

9月

  • 9月9日 - 南海の杉浦忠が大阪球場での対阪急24回戦に先発して完封し、稲尾和久の39回を更新するパ・リーグ新記録の43回連続無失点[27]
  • 9月13日 - 南海の杉浦忠が平和台球場での対西鉄25回戦の五回表無死一塁の場面で救援登板し、花井悠に四球を与え続く豊田泰光に逆転2点適時打を打たれ2失点し、パ・リーグ記録の連続無失点記録が43で止まる[28]
  • 9月27日
    • 大洋の桑田武が川崎球場での対阪神ダブルヘッダー第1試合の20回戦の一回裏に30号本塁打を打ち、プロ野球新人最多シーズン本塁打新記録を達成[29]
    • 広島の備前喜夫が広島市民球場での対中日20回戦に先発して勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[30]

10月

  • 10月3日 - 広島市民球場での広島対巨人24回戦で巨人が9-2で勝ち、5年連続8度目のセ・リーグ優勝達成[31]
  • 10月4日 - 後楽園球場での大毎対南海のダブルヘッダー第2試合の24回戦で2-0で勝利し、南海が4年ぶり5度目のパ・リーグ優勝[32]
  • 10月8日 - ワールドシリーズロサンゼルス・ドジャースシカゴ・ホワイトソックスを4勝2敗で破り、5年ぶり2度目の優勝を達成。
  • 10月14日 - 巨人の別所毅彦が駒沢球場での対国鉄26回戦の二回裏から救援登板して最後まで投げ勝利投手となり、プロ通算300勝を達成[33]
  • 10月20日 - プロ野球の1959年度の最高殊勲選手、最優秀新人、沢村賞を決める記者投票の開票が東京・銀座のアラスカにて行われ、コミッショナー事務局が午後3時、最高殊勲選手はパ・リーグは杉浦忠、セ・リーグは藤田元司。最優秀新人にパ・リーグは張本勲、セ・リーグは桑田武。沢村賞は阪神の村山実を選出したと発表[34]
  • 10月29日 - 日本シリーズが後楽園球場で午後1時から行われ、南海が巨人3-0で下し、2リーグ制以降初の日本一達成[35]
  • 10月31日 - 南海が大阪市内の御堂筋にて優勝パレード。沿道には20万人が集まった[36]

11月

  • 11月19日 - 西鉄は午前11時より球団代表の西亦次郎が東京八重洲の国際観光ビル4階の西鉄東京事務所にて監督の三原脩の辞任を正式に発表[37]
  • 11月21日
    • 大洋は午前11時より東京新丸ビルの大洋漁業本社にて三原脩と正式に契約[38]
    • 西鉄はヘッドコーチの川崎徳次が監督に就任したと正式に発表[39]
  • 11月25日 - 阪神は午後3時、大阪市北区の新阪神ビル5階の球団事務所にて監督の田中義雄と、コーチの金田正泰の監督就任を発表[40]

12月

  • 12月11日 - 阪急は青田昇が現役を引退したと発表[41]

誕生

2月

3月

4月

5月

6月

7月

8月

9月

10月

11月

12月

死去

脚注

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