1959年の野球
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競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
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日本シリーズ
個人タイトル
ベストナイン
オールスターゲーム
→詳細は「1959年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
- 第31回選抜高等学校野球大会優勝:中京商業(愛知県)
- 第41回全国高等学校野球選手権大会優勝:西条(愛媛県)
大学野球
- 第8回全日本大学野球選手権大会優勝:早稲田大
社会人野球
メジャーリーグ
→詳細は「1959年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ
- ロサンゼルス・ドジャース(ナ・リーグ) (4勝2敗) シカゴ・ホワイトソックス(ア・リーグ)
できごと
1月
2月
3月
4月
5月
- 5月2日
- 阪急の滝田政治が大阪球場での対南海4回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[9]。
- シンシナティ・レッズのフランク・ロビンソンがサイクル安打を達成する。
- 5月10日 - 近鉄バファローは日生球場での西鉄ライオンズ3回戦で、延長11回裏に関根潤三が稲尾和久からサヨナラ適時打を打ち3対2で勝利。近鉄は1956年5月17日以来22連敗を喫していた稲尾から初の白星[10]。
- 5月20日 - 西鉄の中西太が平和台球場での対東映8回戦の六回裏に安打を打ち、プロ通算1000安打を達成[11]。
- 5月21日 - 大阪タイガースの村山実が甲子園球場での対巨人8回戦に先発し、無安打に抑えるが失策による2失点で完投勝利。セ・リーグ初の毎回奪三振を記録[12]。
- 5月30日 - 駒沢球場での東映対近鉄8回戦の東映は一回裏一死一、三塁の攻撃の場面で重盗し三塁走者の山本八郎が本塁へ突入し近鉄の捕手の加藤昌利の左腕にスパイクするがアウト。加藤が注意すると山本が加藤の首筋を殴りつけ山本も加藤にボールを投げつける[13]。
6月
- 6月2日 - 東映の球団代表の石原春夫はさる5月30日の対近鉄8回戦にて近鉄の捕手の加藤昌利に暴行した山本八郎を6月1日から無期限の出場停止処分にしたと発表[14]。
- 6月3日 - 西鉄の稲尾和久が平和台球場での対近鉄ダブルヘッダーの第1試合の5回戦に登板して1失点完投勝ちし、プロ通算100勝を達成[15]。
- 6月12日 - 野球殿堂博物館が開館。
- 6月14日 - 西鉄の大下弘が駒沢球場での対東映11回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[16]。
- 6月20日 - 広島カープの大和田明が対大洋ホエールズ戦(広島市民球場)においてサイクル安打を達成。
- 6月25日 - 昭和天皇と香淳皇后が初のプロ野球観戦となる後楽園球場での巨人対阪神11回戦をネット裏から観戦[17]。→詳細は「天覧試合 § プロ野球」を参照
7月
- 7月5日 - 大洋の幸田優は川崎球場での対広島ダブルヘッダー第2試合の18回戦の二回表、先頭打者の大和田明を三振、振り逃げで出塁、その後タイムリーによる1失点を挟んで3奪三振で、日本プロ野球史上初の1イニング4奪三振[18][19]
- 7月9日 - 大毎の荒巻淳が日生球場での対近鉄14回戦の九回裏に島田光二から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[20]。
- 7月14日 - 駒沢球場にてセ・リーグ初の公式戦となる国鉄対広島ダブルヘッダー13,14回戦が行われる[21]。
- 7月19日 - 後楽園球場での大毎対西鉄15回戦の大映の8回表無死一塁の攻撃で醍醐猛夫がバント。これを処理した稲尾和久が二塁へ送球するが審判の中根之はセーフのジャッジ。西鉄の監督の三原脩が中根に抗議しさらに三塁側審判控室にいたパ・リーグ審判副部長の二出川延明に抗議するが二出川が「俺がルールブックだ」と言ったとされる(詳細は参照)[22]。
8月
- 8月1日 - 西鉄の大下弘が大阪球場での南海対西鉄17回戦の三回表に2号本塁打を放ち、プロ通算200本塁打を達成[23]。
- 8月3日 - 第30回都市対抗野球大会の決勝戦が行われ、丸善石油が富士鉄釜石を6対4で破り、初優勝を達成する。
- 8月18日 - 第41回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が行われ、西条が宇都宮工を延長15回の末8対2で破り、初優勝を達成[24]。
- 8月25日 - 平和台球場での西鉄対阪急19回戦で、阪急は六、七回表に連続で六人の代打を送る[25]。
- 8月26日 - 平和台球場での西鉄対阪急ダブルヘッダー第二試合の21回戦が延長12回1-1の引き分けに終わり、西鉄はシーズン11度目の引き分けとなり、パ・リーグ新記録となる[26]。
9月
10月
- 10月3日 - 広島市民球場での広島対巨人24回戦で巨人が9-2で勝ち、5年連続8度目のセ・リーグ優勝達成[31]。
- 10月4日 - 後楽園球場での大毎対南海のダブルヘッダー第2試合の24回戦で2-0で勝利し、南海が4年ぶり5度目のパ・リーグ優勝[32]。
- 10月8日 - ワールドシリーズでロサンゼルス・ドジャースがシカゴ・ホワイトソックスを4勝2敗で破り、5年ぶり2度目の優勝を達成。
- 10月14日 - 巨人の別所毅彦が駒沢球場での対国鉄26回戦の二回裏から救援登板して最後まで投げ勝利投手となり、プロ通算300勝を達成[33]。
- 10月20日 - プロ野球の1959年度の最高殊勲選手、最優秀新人、沢村賞を決める記者投票の開票が東京・銀座のアラスカにて行われ、コミッショナー事務局が午後3時、最高殊勲選手はパ・リーグは杉浦忠、セ・リーグは藤田元司。最優秀新人にパ・リーグは張本勲、セ・リーグは桑田武。沢村賞は阪神の村山実を選出したと発表[34]
- 10月29日 - 日本シリーズが後楽園球場で午後1時から行われ、南海が巨人3-0で下し、2リーグ制以降初の日本一達成[35]。
- 10月31日 - 南海が大阪市内の御堂筋にて優勝パレード。沿道には20万人が集まった[36]。
11月
12月
誕生
2月
3月
- 3月11日 - フィル・ブラッドリー
- 3月19日 - 森厚三
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
死去
脚注
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