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アメリカの映画作品 ウィキペディアから
『麗しのサブリナ』(うるわしのサブリナ、原題: Sabrina)は、1954年に公開されたアメリカ合衆国のロマンティック・コメディ。監督はビリー・ワイルダー、主演はハンフリー・ボガート、オードリー・ヘプバーン、ウィリアム・ホールデン。サミュエル・テイラーの戯曲『麗しのサブリナ』[4][5]をワイルダー監督が映画化した。『ローマの休日』に続くオードリー・ヘプバーンのヒット作。
麗しのサブリナ | |
---|---|
Sabrina | |
アメリカ初公開時のポスター(1954) | |
監督 | ビリー・ワイルダー |
脚本 |
ビリー・ワイルダー サミュエル・テイラー アーネスト・レーマン |
原作 |
サミュエル・テイラー 『麗しのサブリナ』 |
製作 | ビリー・ワイルダー |
出演者 |
ハンフリー・ボガート オードリー・ヘプバーン ウィリアム・ホールデン |
音楽 | フレデリック・ホランダー |
撮影 | チャールズ・ラング・Jr |
編集 | アーサー・シュミット |
配給 | パラマウント映画 |
公開 |
1954年9月17日 (日比谷映画劇場) 1954年9月22日 |
上映時間 | 113分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
製作費 | $2,238,813(見積値)[1] |
興行収入 | $11,400,000[2] |
配給収入 | 1億5243万円[3] |
ニューヨーク州ロングアイランドに暮らす大富豪ララビー家に仕える運転手の娘サブリナは、ララビー家の次男デイビッドに密かに恋をしていた。仕事人間の長男ライナスとは正反対のプレイボーイである彼は、大銀行の頭取令嬢グレチェンに夢中でサブリナのことは眼中になかった。父からも身分違いの恋を咎められ、以前から決まっていたパリ留学の為にニューヨークを離れる日が目前に迫る。叶わない恋を悲しんだサブリナは車庫で排ガス自殺しようとするが、異変に気付いたライナスによって助けられ、サブリナはパリへと旅立った。
2年後、サブリナは見違えるような美女となって帰国し、デイビッドは彼女に惚れ込みパーティーに招待する。しかし、ララビー家の事業拡大を図る父オリヴァーとライナスの取り成しで、デイビッドは既に実業家タイソンの娘エリザベスとの婚約を決められていた。「月に手を伸ばすのは止めろ」と諭す父に対し、サブリナは「月が私に手を伸ばしているのよ」と自信満々に答える。
パーティーで注目の的となるサブリナとダンスを踊るデイビッドは2人で会場を抜け出そうとするが、エリザベスを放ってサブリナに夢中になる姿をライナスに見つかり、父に呼び出されてしまう。父と口論となったデイビッドは、尻ポケットにシャンパングラスを入れたまま椅子に座ったことで大怪我をしてしまう。待ち合わせ場所でデイビッドを待つサブリナの元にライナスが現れ、弟の代わりに彼女の相手をする。ライナスはタイソンの会社との合併を実現させるため、障害となっているサブリナをデイビッドから引き離そうと画策するが、次第に彼女に心惹かれるようになってしまう。
ライナスはサブリナを1人パリに追い出そうと考え、自身がパリに向かう振りをしてパリ行きの乗船券を用意する。表向きライナスがパリに発つ予定だった前日の夜、サブリナが彼の会社を訪れ「もう会うことはできない」と告げる。ライナスは彼女をオフィスに入れて暫く話を聞いていたが、サブリナはライナスの机の上にパリ行きの乗船券が2人分あることに気付く。「自分もパリに連れて行ってもらえる」と喜ぶサブリナに、ライナスは彼女を追い出すために乗船券を購入したことを告げる。自身がデイビッドとエリザベスの結婚、そしてララビー家の事業拡大の妨げとなっていることを伝えられたサブリナは落胆してオフィスを後にする。
翌日、考えを改めたライナスはタイソンとの合併を取り消すことを決め、デイビッドにサブリナと共にパリに行くように伝えるが、デイビッドは「彼女は兄貴に恋している」と告げ、ライナス本人がパリに行くよう反論する。ライナスは聞き入れずにデイビッドに船に乗るように伝え、重役会議で合併の取り消しを伝えようとする。しかしそこに船に乗っている筈だったデイビッドが現れる。デイビッドの説得を受けてサブリナへの想いを認めたライナスは会社を飛び出し、自社の高速艇を使ってパリ行きの船に乗り込みサブリナと抱き合う。
役名 | 俳優 | 日本語吹替 | ||
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東京12ch版 | ソフト版 | JAL機内上映版 | ||
ライナス・ララビー | ハンフリー・ボガート | 久米明 | ||
サブリナ・フェアチャイルド | オードリー・ヘプバーン | 池田昌子 | ||
デイビッド・ララビー | ウィリアム・ホールデン | 木村幌 | 近藤洋介 | |
オリバー・ララビー | ウォルター・ハムデン | 千葉順二 | 大木民夫 | |
トーマス・フェアチャイルド | ジョン・ウィリアムズ | 寄山弘 | 坂口芳貞 | |
デイビッドの婚約者エリザベス・タイソン | マーサ・ハイヤー | 栗葉子 | 佐藤しのぶ | |
グレチェン・ヴァン・ホーン | ジョーン・ヴォース | 松谷彼哉 | ||
男爵 | マルセル・ダリオ | 塚田正昭 | ||
料理学校の先生 | マルセル・ヒレイア | 及川広夫 | 村越伊知郎 | 小関一[6] |
モード・ララビー | ネラ・ウォーカー | 中村紀子子 | 久保田民絵 | |
エリザベスの父タイソン氏 | フランシス・X・ブッシュマン | 諏訪孝二 | 岩田安生 | 糸博[7] |
秘書マッカードル | エレン・コービー | 中島喜美栄 | 定岡小百合 | |
料理人マーガレット | マージョリー・ベネット | 遠藤晴 | 片岡富枝 | |
執事チャールズ | エモリー・パーネル | 藤本譲 | 島香裕 | |
タイソン夫人 | ケイ・リール | 高村章子 | 斎藤昌 | |
メイドのジェニー | ナンシー・カルプ | |||
その他キャスト | — | 納谷六朗 | 種田文子 中博史 |
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日本語版スタッフ | ||||
演出 | 小林守夫 | 春日正伸 | ||
翻訳 | 三枝邦子 | 木原たけし | ||
効果 | 安藤茂樹 | 平富二夫 | ||
調整 | 前田仁信 | オムニバス・ジャパン | ||
制作進行 | 小柳剛 | 百武雷太 | ||
制作 | 東北新社 | |||
初回放送 | 1969年10月16日 『木曜洋画劇場』 正味96分14秒 | 1997年4月23日 発売のVHSに初収録 | ||
1952年、原作者サミュエル・テイラーは原作の戯曲『麗しのサブリナ』をメイン州で書き上げてクリスマス後にニューヨークへ戻った[8]。当時のブロードウェイでは映画会社が映画化できそうな作品を探しに、スカウトマンを送り込んでおり、彼らは舞台の製作前から映画化権を買っていた[9]。原作戯曲の『麗しのサブリナ』もその中の1本であった[9]。ヘプバーンの伝記などで、ヘプバーンが『麗しのサブリナ』の舞台を見て映画化権を買って欲しいとパラマウントに言った、という記述があるものがあるが[10][11]、それは間違いで、実際には舞台よりも映画の方が先行している[12]。
ビリー・ワイルダーと原作者サミュエル・テイラーは1953年3月から共同で脚本を執筆していたが、サブリナ役にはオードリー・ヘプバーンが決まっていたので、テイラーはヘプバーンをイメージして脚本を書いていった[9]。
最初の打ち合わせで、ワイルダーはストーリーを変えていいかテイラーに尋ねていた[9]。テイラーは異存はなかったものの、戯曲を書き直す気もなかったため、映画と舞台では異なったストーリーになっている[9]。
8月には舞台版「麗しのサブリナ」のリハーサルが始まるため、2/3ほど完成した段階でサミュエル・テイラーは脚本から離れてしまう[13]。そのためビリー・ワイルダーはアーネスト・レーマンを呼び寄せ、残りの部分を執筆させた[14]。
当初、ライナス役にはケーリー・グラントが予定されていた[15][16][17][18]が、彼が撮影1週間前になって出演を断ったため[19]ハンフリー・ボガートが起用された。
出演料は、ボガートが30万ドル[17][20]、ウィリアム・ホールデンが12万5000ドル[17][20]、そして主演2作目であるオードリー・ヘプバーンは1万5000ドルであった[18]。
さらにライナス役がケーリー・グラントからハンフリー・ボガートに変わったため大幅な書き直しが必要で、撮影が始まっても脚本は完成していなかった[19]。その上ビリー・ワイルダーは撮影中でも何度も脚本の書き直しをしていたので[16]、その日撮影する脚本が出来上がっていないことがあった[19]。そのためオードリー・ヘプバーンがビリー・ワイルダーに請われて仮病を使って時間稼ぎをしたこともあった[19]。
本作の舞台となったララビー邸は、ビバリーヒルズにあるパラマウント社長の邸宅を使用している[21][17][22][23]。プールの場面はCBSの創始者のウィリアム・サミュエル・ペイリーの自宅である[19]。また、劇中に登場する駅はロングアイランド鉄道オイスターベイ支線のグレンコーブ駅で撮影され、ララビー工業本社ビルはフィナンシャル・ディストリクトのビルで撮影された[23]。
本作品はサブリナパンツというファッション文化を生み出した。ユベール・ド・ジバンシィはドレスを3点提供したが、映画にはクレジットされていない。映画の製作メモによると、この3点(グレン・コーヴ駅でのスーツ、パーティーでのイブニング、それとデコルテ・サブリナ)はヘプバーン自身がジバンシィから買ったもので、パラマウントとしては既にヘプバーンの個人的所有物なので製作協力者としてジバンシィの名前を出さなくてもよかった、となっている[24]。衣裳デザイナーのイーディス・ヘッドは本作品でアカデミー衣裳デザイン賞を受賞しているが、受賞対象となっているのは彼女のデザインした衣装ではなく、ジバンシィのドレスであることは明らかだった[25]。
デコルテ・サブリナと呼ばれた肩にリボンのついているジバンシィがデザインした黒のカクテル・ドレスについて、世渡りのうまかったヘッドは1974年のインタビューで、「ヘプバーンの黒のドレスはジバンシィが作ったものではなく、彼のドレスからインスピレーションを得て自分が作った」とコメントしている[26][27]。ジバンシィはヘッドの死後、「ヘプバーンが着た黒のドレスはヘッドの監督下でパラマウントが作ったが、間違いなく自分がデザインしたものだ」と反論している[28][29]。またビリー・ワイルダー監督の妻、オードリー・ワイルダーも「ユベール(・ド・ジバンシィ)がイーディスにスケッチを送ると、イーディスがそれを縫った。」と打ち明けている[30]。
1995年に『サブリナ』としてリメイクされた(ボガートが演じたライナスはハリソン・フォード、ヘプバーンが演じたサブリナはジュリア・オーモンド、ホールデンが演じたデイビッドはグレッグ・キニアが起用された)[36]。また、1994年のインド映画『Yeh Dillagi』にも影響を与えた他、1961年にタミル語映画『Manapanthal』としてもリメイクされている。
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