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大阪市中央区にある神社 ウィキペディアから
高津宮(こうづぐう)は、大阪市中央区にある神社。旧社格は府社で、現在は神社本庁の別表神社。
難波高津宮に遷都した第16代天皇である仁徳天皇を主祭神とし、祖父の仲哀天皇、祖母の神功皇后、父の応神天皇を左座に、后の葦姫皇后と長子の履中天皇を右座に祀る。
貞観8年(866年)、清和天皇の勅命により難波高津宮の遺跡が探索され、その地に社殿を築いて仁徳天皇を祀ったのに始まる。天正11年(1583年)、豊臣秀吉が大坂城を築城する際、比売古曽神社の境内(現在地)に遷座し、比売古曽神社を当社の地主神として摂社とした。1872年(明治5年)に府社に列格した。
1945年(昭和20年)3月13日・14日の第1回大阪大空襲によって神輿庫を残して社殿が全て焼失した。戦後に神社本庁の別表神社に加列されている。1961年(昭和36年)10月、社殿が再建された。
古典落語「高津の富」「高倉狐」「崇徳院」の舞台として知られ、古くから大坂町人の文化の中心として賑わっていた。境内の参集殿は「高津の富亭」と名づけられており、落語の寄席や文楽などが行われている。高津の富亭での寄席には五代目桂文枝一門がかかわっており、文枝最後の口演「高津の富」が演じられたのも「高津の富亭」で開かれた「くろもん寄席」である。文枝が亡くなった翌年の2006年(平成18年)3月、境内に桂文枝の石碑が建立された。
1899年(明治32年)、大阪府が仁徳天皇1500年大祭を高津宮と難波神社で行った際に記念建立した「高津宮址」が大阪府立高津高等学校(大阪市天王寺区)の構内に現存する。
参道の両側は高津公園となっている。1959年(昭和34年)、参道に日本画家北野恒富の十三回忌に際し、「恒富庵」と題した筆塚が建立された。
社殿が再建された昭和30年代から、当時の宮司らの手によって境内や隣接する高津公園にソメイヨシノなど約100本のサクラが植えられた。高津宮では毎年3月下旬から4月上旬にかけては「桜まつり」が催されて多くの花見客で賑わっている。
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