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日本のドイツ文学者 (1913-1995) ウィキペディアから
高橋 義孝(たかはし よしたか[1]、1913年3月27日 - 1995年7月21日)は、日本のドイツ文学者・評論家・随筆家。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1961年)(学位論文「文学研究の諸問題」)。九州大学教授、名古屋大学教授などを歴任。
1913年、東京府東京市神田区生まれ。錦華尋常小学校、第二東京市立中学校(現東京都立上野高等学校)で学び、その際には福田恆存と同級であった。旧制高知高等学校を経て、東京帝国大学独文科に進んだ。1935年、東京帝国大学を卒業。その後は同大学大学院に進学し、1936年に卒業。翌1937年よりフンボルト財団給費生としてベルリン大学へ留学。1938年、ケルン大学へ移りドイツ文学を学んだ。
1939年に帰国し、東京の旧制府立高等学校教授に就いた。教鞭を執る一方で、翻訳のほか文芸評論を発表した。1944年、陸軍科学学校教授としてドイツ語を教えた。また、第二次世界大戦中はナチスの紹介もした[2]。またマルクス主義の文学理論を批判し、戦後もその姿勢は継続した。
1947年に北海道大学法文学部助教授となるも、北海道が東京からはるか離れた僻地であることに嫌気が差して1948年に退官。その後は執筆に専念するが、1950年、九州大学助教授の任に就いた。1954年、教授昇格。1961年、学位論文『文学研究の諸問題:ドイツ文芸学を中心として』を東京大学に提出して文学博士の学位を取得[3]。1968年、ベルリン大学客員教授。1970年、九州大学を辞任。1973年、名古屋大学教授となり、1976年に定年退官。その後は桐朋学園短期大学名誉教授として週1回講義をしていた。
教授時代は終始一貫して東京の自宅を動かず、九州大学時代は最初は国鉄の寝台車で、のちにジェット機で東京との間を往復し「ジェット教授」と呼ばれ、名古屋へも新幹線で通勤した。
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