高来神社

神奈川県中郡大磯町にある神社 ウィキペディアから

高来神社map

高来神社高來[1](たかく じんじゃ)は、神奈川県中郡大磯町高麗(こま)に鎮座する神社高麗神社(こまじんじゃ)とも呼ばれる。旧社格は郷社

概要 高来神社, 所在地 ...
高来神社
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拝殿
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所在地 神奈川県中郡大磯町高麗2丁目9-47 (255-0001)
位置 北緯35度19分20.0秒 東経139度19分28.5秒
主祭神 神皇産霊尊天津彦穂邇々伎尊応神天皇神功皇后
社格 郷社
創建 神武天皇
別名 高麗さん(こまさん)
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鳥居と参道(2023年6月)

社名は一説に朝鮮半島にあった高句麗からの渡来人に由来するといわれる[2]

由緒

中世の戦乱等により書物が焼失したため起源は明らかでないが、神武天皇の時代の創建とする記録があるという。

かつては高麗山の山頂に上宮があって高麗権現社といい、右の峰に白山権現を、左の峰に毘沙門天勧請して「高麗三社権現」と称した。

高句麗新羅連合軍に滅ばされた時に、その王族・若光を中心に高麗人が相模国大磯に渡来し、その後若光一族を含めた各地の高麗人は武蔵国高麗郡(こまぐん)に集められ、高麗神社も設立したという。高来神社の例大祭「御船祭」の木遣歌「権現丸」に、「高麗国守護」が渡来して、「大磯浦の守護」となったとある。[3]

また古来武門の信仰が篤く、鎌倉期に将軍源頼朝が正室北条政子の安産祈願をして、戦国時代には後北条氏がわずかな領地を寄進したという文献があるという。

虎御前は大磯の遊女で、『曽我物語』の主人公、曽我十郎の恋人。この寺で出家して、生涯を十郎の鎮魂に捧げた。[4]

相模国淘綾郡高麗寺領高麗寺村、のち高麗村、大磯町高麗に位置した。

祭神

年表

さらに見る 年月日, 参拝者 ...
年月日参拝者備考
1894年(明治27年)3月1日[6]常宮昌子内親王周宮房子内親王アカマツを一本ずつ手植え[7]
1900年(明治33年)2月24日[6]常宮昌子内親王、周宮房子内親王
1901年(明治34年)9月28日[8]皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)
1923年(大正12年)2月1日[7]守正王妃伊都子
1923年(大正12年)3月21日[7]盛厚王
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祭事

  • 元旦祭:1月1日
  • 節分祭:2月3日
  • 春季例祭(山神輿):4月18日に近い土曜日(上宮渡御)〜日曜日(本社還御)
  • 夏季大祭:7月18日に近い日曜日 ※西暦偶数年は舟形山車が出され「御船祭」とも呼ばれる

交通

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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