高麗神社
埼玉県日高市の神社 ウィキペディアから
埼玉県日高市の神社 ウィキペディアから
現在の埼玉県日高市の一部及び飯能市の一部にあたる高麗郡があるが、高麗郡及び上総郷は奈良時代に設置された土地である。高麗郡は716年(霊亀2年)に武蔵国高麗郡が設置された土地であり、朝鮮半島のゆかりの地である。中世武家時代の鎌倉時代以降、高麗郡の郡域が拡大して、日高市・鶴ヶ島市のそれぞれ全域と、飯能市・川越市・入間市・狭山市のそれぞれ一部が高麗郡の範囲となった。668年に唐・新羅に滅ぼされ亡命して日本に居住していた高句麗からの帰化人を朝廷はこの地に移住させた。703年には高麗若光が朝廷から王姓が下賜されたという話が伝わっている。高麗若光が「玄武若光」と同一人物ならば、高句麗王族の一人として王姓を認められたということになる。この高麗若光も朝廷の命により高麗郡の設置にあたって他の高句麗人とともに高麗郡の地に移ってきたものと推定されている(新編『埼玉県史』)。
高麗神社は、この高麗若光を祭っている。神仏習合の時代には高麗家は修験者として別当を勤めていた。天正18年に徳川家康が関東に入国すると、翌年(1592年)に徳川家から社領として高麗郷内に3石を寄進された[1]。また、高麗大宮大明神、大宮大明神、白髭大明神と称されていた社号[2]は、明治以降は高麗神社と称されるようになった。境内隣接地には江戸時代に建てられた高麗家住宅がある。
入口付近の敷地には、2005年(平成4年)10月23日に在日本大韓民国民団(民団)から寄贈された花崗岩製の将軍標がある。これは、1992年に設置された木製のものが破損し腐食したことから再寄贈されたものである。また、駐日大韓民国大使らの参拝もある。
この神社に参拝した政治家の6人が首相になったため、「出世神社」とも呼称される[3]。
2017年9月20日から9月21日にかけて、当時の天皇、皇后が、在位中8度目の私的旅行として日高市や深谷市の渋沢栄一記念館に行幸啓し、その際に高麗神社に親拝した。[4]天皇の親拝は創建以来初めてで、韓国でも大々的に報じられた[5]。ほかに高麗家住宅・巾着田を視察した[6][7]。
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