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小麦粉でできた皮に具を包んだ料理 ウィキペディアから
餃子(ギョウザ、ギョーザ、簡: 饺子、繁: 餃子、拼音: )は、小麦粉を原料とした皮で、肉・エビ・野菜などで作った餡を包み、茹でる・焼く・蒸す・揚げるなどの方法で調理した食べ物である。成形後の加熱調理方法の違いによって、水(茹で)餃子・焼き餃子・蒸し餃子・揚げ餃子などと呼ばれる。
歴史は古く、中国大陸の春秋時代の紀元前6世紀頃に現在の山東省で誕生したとされている[1]。遺跡から、当時餃子が食べられていた痕跡が見つかっている。敦煌の唐代の墳墓では、副葬品として壺に入った餃子が乾燥状態で発見されている。
中国では水餃子、つまり茹でて湯切りをしたものが主流であり、焼き餃子は水餃子に比べるとその数がずっと少ない[注 1] 。また中国では餃子は主食として食べられることが一般的であり、日本のように(白飯の)「おかず」としては食べない。
中国においては、標準中国語の発音で「ジャオズ、チャオズ(ピン音:jiǎozi)」といい、特に中国東北部(満洲)において水餃子(茹で餃子、満洲語:ᡥᠣᡥᠣ
ᡝᡶᡝᠨ, hoho efen)がよく食べられる。満洲族による清朝成立後に広く華北一帯に普及し、中華料理の代表的な料理の一つになった[1]。それとは別に華南で発達した点心として食べられる蒸し餃子がある。
中国では豚肉、白菜を使った一般的なものの他に、たとえば下記の様な具が用いられる[1]。具材は地域によって大きく異なる[1]。
日本の餃子は、日本で独自に変化したもの(日本式中華料理)で、焼き餃子が主流である[注 3](中国では水餃子 = 茹でたものが主流)。用いる具材、調理法も中国で主流のものと異なる[1]。
かつては皮も含めて家庭で材料から作ることが多かったが、市販の皮をスーパーマーケットなどで買って具を作って包むという方法をとる家庭も増えた。いつ頃からかわからないが具を皮に包んだ状態の冷凍食品・チルド品も多くの種類が出回っている。各種飲食店のサイドメニューとしても広く扱われていて、焼き上がった餃子や調理前の生の餃子を持ち帰り用に販売している店もある。
日本の餃子は薄目の皮を使い、豚挽肉、キャベツ、ニンニク、ニラを入れるのがポピュラーである。中国の東北部を除く西の餃子ではキャベツではなく白菜を使いニンニクを入れることはない点で異なっている。中国東北部(満洲)では豚が育ちにくく羊肉が主であり、日本に餃子が伝わった当時も満洲の製法どおり羊肉を使用していた(羊肉の臭みを取る為にニンニクを用いたとの説もある)。豚肉がメインで使用されるようになってからも餃子と相性の良いニンニクが好まれたため今日も多く使用されている。
さらに日本では出来上がった餃子を「焼き目」の側を上にして皿に盛る、という独自性がある(但しこれは、近年になってからの話〔「餃子の王将」が香ばしそうな焼き色を客に見せつける為に始めたという説あり〕。中国では、餃子の「上下」は、あくまで皮と皮をくっつけた側が「上」と考える。中国人が日本の餃子を見ると「ひっくり返っている」と見える)。
日本国内で初めて餃子を食べた人物は江戸時代の徳川光圀とされており、明末清初の動乱で日本へ亡命していた朱舜水が伝えたという[要出典]。明治時代までにも餃子を出す中華料理店は存在し、料理書でも作り方は紹介されている。一例として1909年刊行の『四季包丁和洋素人料理法』に餃子が掲載されているが「餃子」のフリガナは「かうづら」である[4][5]。『家庭鶏肉鶏卵料理 附支那料理』(赤堀峯吉、1924年、大倉書店)には「鶏肉のゆで饅頭」として鶏肉餃子が掲載されている[6]。
当時の日本における中華料理界では知識、実技ともに第一人者と呼べる人物である山田政平が記した『素人に出来る支那料理』(1926年、婦人之友社)には水餃子、蒸し餃子、鍋烙餃子(焼き餃子)の3つが掲載されている[7]。また、この頃は餃子と焼売の区別があいまいであり、蒸し餃子のような見た目の料理が焼売としてレシピ本に紹介されていることも多い[6]。
宇都宮、福島、浜松などでは、「焼き餃子は第二次世界大戦後で、関東軍や満蒙開拓団などの引揚者によって考案された」とする資料も存在するが、上述のように焼き餃子そのものは日本でも戦前から存在している他、中国大陸においても水餃子や蒸し餃子が主流であるとはいえ、焼き餃子も食べられている[8]。
また、第二次世界大戦中、大戦前のレシピ本では皮の作り方:餡の作り方:包み方の記載分量比率はおよそ6:2:1であり、餃子作りとは皮作りであったと言うことができ、この傾向は戦後もしばらく続く[9]。
日本で焼き餃子が主流になったのは、日本の食生活である米を主食とする食形態に合わせて変化したためと考えられる[8]。中国大陸では主食と副食が混在した食形態から皮の厚い餃子が好まれていた[8]。対して、日本では主食であるご飯のおかずとして薄皮の餃子が好まれた[8]。また、水餃子はダシ汁ではなく白湯で茹でることから日本の食事で言うところの汁物には適せず、焼き餃子のよりおかず向きだとして普及したものと考えられる[8]。
以降、大衆的な日本人向けの中華料理店やラーメン店、また餃子専門店、スーパーマーケットやデパートの惣菜コーナーなどで広く扱われ、家庭の手軽な惣菜として定着している。
日本で初めて工場で作った生の餃子を販売したのは株式会社紀文食品。現在は、多数の食品会社や餃子店がチルド食品や冷凍食品として各種餃子を販売している。
冷凍餃子のシェアでは、2012年時点で味の素冷凍食品が9年連続でシェア1位で、家庭用国内シェアは47%(店頭市場ベース)と、圧倒的な「独り勝ち」の状態で、その時点でシェア2位は、「大阪王将」を前面に打ち出したイートアンド社製である[10]。その後、1位の味の素冷凍食品はさらにシェアを伸ばし、50%を超えた。2014年に、冷凍餃子市場は前年比8.4%の増加で、388億円。シェア2位に付けるイートアンド社も「羽根つき餃子」の投入と認知の拡大という方法で、市場シェアの30%をわずかに超えるまで伸ばした[11]。
2002年7月に餃子をテーマにしたフードテーマパーク「池袋餃子スタジアム」がオープン。戦後の日本で餃子が大衆食として定着した昭和30年代の園内演出と、宇都宮餃子をはじめ日本全国の餃子を一度に味わえる運営スタイルが特徴[要出典]。東京・池袋のナムコ・ナンジャタウン内にある[要出典]。宇都宮餃子の栃木県宇都宮市のほか静岡県浜松市、福岡県北九州市八幡東区などでは、餃子をご当地グルメとしてPRし、地域おこしを行っている[要出典]。
地域によっては、軽トラックに専用の鉄板を積んで売り歩く姿も見られる。売り歩く際は、「ぎょうざーぎょうざー」といった独特の節回しで呼びかけるのが定番[要出典]。
主な外食チェーン店には「餃子の王将」・「大阪王将」・「珉珉」・「ホワイト餃子店」・「ぎょうざの満洲」・「紅虎餃子房」などがある。
たとえば、北海道のチェーン店「みよしの」は、一般的な生地(皮)ではなくチルドタイプの餃子を調理し、提供する店舗である。「珉珉」では、国産の具材をベースに餃子を作っていることを宣言している。
餃子に関するフードテーマパークも存在しており、池袋の「ナンジャ餃子スタジアム」(ナムコ・ナンジャタウン内)や、かつては大阪・梅田に同じくナムコによる「浪花餃子スタジアム」があった[15](2010年1月閉店)。
2020年頃から、冷凍餃子の無人販売店が店舗数を増やしている。「餃子の雪松」が全国に店舗を展開するほか、「ふくちぁん餃子」(大阪府大東市)[16]、「八幡餃子」(栃木県宇都宮市)など各地で小規模チェーンが相次いで出店している[17]。
福島県福島市の餃子は戦後、満洲国からの引揚者が、餃子の製法を持ち込み提供したのが始まりと言われている。現在、餃子専門店が十数軒ある。独特の形状の「円盤餃子」が主流で、餃子をフライパンに円盤状に並べて焼き上げ、そのまま皿に移して出される。小ぶりで皮が厚く具に野菜が多いため味はあっさり系で、にんにくは具に入れず薬味として使う店が多い。餃子専門店を中心に「ふくしま餃子の会」が結成され、餃子の町としての観光PR活動を始めている。特徴として多めの油と水を加え、深いフライパンで蒸し揚げ焼きにする店が多い。
栃木県宇都宮市は「餃子の街」としても知られている[18]。栃木県宇都宮市の餃子は、戦時中、補充担任を宇都宮師管とする大日本帝国陸軍第14師団が、1940年(昭和15年)8月以降、満洲国を衛戍地としたことに始まり、宇都宮や周辺地域出身の軍人や移住者等が、戦後、満洲国から引き揚げてきた際、満洲餃子の製法を持ち込み、広めたのが始まりである。
現在、宇都宮市内には餃子専門店と餃子を扱う料理店が合わせて約300軒あり[19]、一般的な販売価格は1人前200 - 300円程度と低廉で学生でも間食代わりに食べることが出来る価格帯である。タレは酢だけで食するのが宇都宮スタイルといわれることもあるが、水餃子、揚餃子、焼餃子、スープ餃子など、店舗により様々な食べ方が存在する。一方水餃子については、ほとんどの店が茹で上げたあと、湯もしくはスープを張った丼に入れて提供している。客は各々丼に好きな調味料(ラー油、醤油、胡椒など)を入れてスープの味を調整して食べる。市民の多くはみんみん派か正嗣派に好みが分かれ[独自研究?]、時に論争になる[要出典]。2店とも宇都宮餃子の老舗である。
1990年(平成2年)、前年に発生した大谷石採掘場での落盤事故をきっかけに観光客が激減し、大谷に代わる町興しに繋げられるキーワードを探していた宇都宮市観光課の職員が、総務庁統計局の『家計調査年報』において、1987年(昭和62年)の調査開始以降「餃子購入額」で同市は常に上位に挙がっていることに注目し[注 4]、餃子による町興しを提案したのがきっかけで、観光PRに力を入れてきた[20]。
1991年(平成3年)には、業者団体として「宇都宮餃子会」が発足し、行政と民間で協力して様々な企画を仕掛けたことが功を奏し、かつて国際観光都市「日光・鬼怒川温泉」や那須への通過点だった宇都宮が、餃子という大きな観光資源を得ることに成功した。任意団体として発足した宇都宮餃子会は2001年(平成13年)に協同組合となり、登録商標「宇都宮餃子」の管理や組合直営店「来らっせ」3店舗(宇都宮2店、東京1店)の運営管理なども行っており、2019年(令和元年)現在の組合加盟店舗数は90軒を超えている[19][注 5]。こうした市内の餃子専門店の中には、市外に支店を出店する店舗もあり、餃子ブームは、栃木県内各地への広がっている。
またJR宇都宮駅東口広場には、1993年に市とテレビ東京の山田邦子司会の番組『おまかせ!山田商会』とタイアップしPR作戦を行った際、現代美術家の西松鉱二がデザインし、地元産出の大谷石業者によって無償で制作されたオブジェ「餃子像」が設置されていた。ビーナスが餃子の皮に包まれた姿を表現したユニークなもので、観光客の人気撮影スポットとなっている。東口駅前整備工事のため2008年10月6日午前、駅の西口バスターミナルへ仮移転させる作業中に不手際から転倒、脚と胴体部分が割れてしまった[21]。落下させた業者の負担で割れた石の間にボルトを通し、セラミックボンドで接着させるなどの修復作業を行うとともに、苔の生えた表面全体を薄く削った。修復された餃子像は同月中には西口バスターミナル前への移転設置が完了し、式典には山田邦子も呼ばれた。
同時に、国鉄の駅構内販売機関がその沿革の中で「宇都宮駅が駅弁発祥の地」としていたことに因み、「宇都宮餃子駅弁」が企画され現在も地元業者が数量限定で販売している。また宇都宮駅ホームの立ち喰いそば屋「野州そば」には、餃子そばというメニューがあった。2005年(平成17年)3月に廃止され、翌2006年(平成18年)の同月に閉場となった宇都宮競馬場には、「宇都宮餃子会長賞」という冠レースがあった(廃止直前は「宇都宮餃子会長賞リーディングジョッキー賞典」、赤字経営だった同競馬場を支援する目的)。
秋には宇都宮餃子会を中心とする市民手作りのイベント「宇都宮餃子祭り」が定例化している。協賛餃子店(みんみん、シンフー、青源など)が市街で屋台を開き、1人前1皿100円(2022年から200円[22])の餃子が振る舞われ、また宇都宮はジャズの街でもある[23]ことから街角の特設会場では同日にジャズ演奏が行われ、その中で一般市民や観光客が餃子を食す。「宇都宮餃子祭り」は毎年 11月初旬の土日に行われている。
2000年代後期、静岡県浜松市が独自調査結果から「餃子消費量日本一都市」を宣言して報道されていたが、2007年(平成19年)4月に浜松市が政令指定都市となって総務省統計局『家計調査年報』」の調査対象となった結果、2009年(平成21年)の同調査で宇都宮市と浜松市の年間餃子消費量は他の都道府県庁所在都市および全政令指定都市中で抜きん出て多く、ほぼ同等の結果となった(宇都宮市4,187円、浜松市4,137円。以下、鹿児島市2,764円、千葉市2,673円、京都市2,662円、前橋市2,635円等。全国市町村の平均は2,055円。)。2011年分の調査では、東日本大震災の影響で浜松市に抜かれ、2位に陥落した。
2018年(平成30年)には、餃子店が5店集まる市内の通りを餃子通りと名付け、観光振興を図っている[24][25][26]。
埼玉県南埼玉郡宮代町では、宮代町商工会[27]が、餃子によく使われている野菜が町内で多く生産されていることと、町内に餃子を提供している店が比較的多いことから「みやしろ餃子」の名前を作った。
埼玉県北本市は昭和初期までトマトの名産地であったことから、トマトを使った揚げ餃子を「とまとルンルン揚げ餃子」として商品化した[28]。北本産出のトマト、男爵芋、国産豚肉を使用し、小麦粉の皮の分量は45%と定義される[28]。
東京都大田区蒲田は、満洲より調理法を受け継いだ店主が1982年より売り出した「元祖羽根つき餃子[29]」を扱う3店舗を中心に、餃子の街としてTVなどで報道されている[30]。
神奈川県川崎市は外食の中華食が全国第1位であることから、川崎の餃子店18店舗が集まり「かわさき餃子舗の会」を結成し、餃子の町としてのPRを始めた[31]。餃子に合う専用味噌「かわさき餃子みそ」なども発売した。
静岡県裾野市では、市民一万人あたりの餃子取扱店数が、宇都宮市の4.45軒を超える6.04軒であることから餃子を通じて「日本一ギョーザ好きのまち裾野」としてまちおこしを始めた[32]。「すそのギョーザ倶楽部」を発足させ、加盟店では特産のモロヘイヤの入った「すその水ギョーザ」を提供している。
静岡市は「餃子の街」であり、餃子消費量も全国平均を大きく上回り、餃子王国宇都宮市を抜き日本一になった年もあった(平成7年『家計調査年報』)。最近でも2009年(平成21年)の総務省家計調査における「ぎょうざ」年間消費額の全国市町村平均が2,055円だったのに対し、静岡市は2,500円(全国51の都道府県庁所在都市および政令指定都市中では第10位)と高水準を保っている。1960年代後半から静岡市内のいくつかの製麺業者が、家庭向けに餃子の具と皮を分けたパックを製造し販売している。
静岡県浜松市は餃子専門店が約80軒あり、餃子をメニューとして出す飲食店を含めると300軒以上。キャベツをたっぷりと使った甘味が特色で、薄い塩味で軽く茹でたモヤシを添える独特のスタイルを持つ。これは石松餃子(現在2代目)の先代が、屋台時代に家庭用のフライパンを使って、餃子を丸く並べて焼く時に出来た中央の空間に、店のサービスで茹でたモヤシを添えた事が始まりである。もやしを添えることで脂っこさが和らぎ多くの餃子を食べることができる特徴もある。
現在2代目の石松餃子では、飼料に麦を混ぜて育てた遠州麦ブタを使い、キャベツも季節によって仕入れ先を変えるなどして具材には拘っている[33]。また、タレに拘った店が多い。終戦後、石松餃子(先代が森の石松の故郷と言われる森町出身)が、浜松駅の近くで出店屋台を開いていて、その時に、満洲などで餃子製法を会得した復員兵から餃子を食べたいと言われて、レシピを聞きながら作ったのが浜松餃子の発祥と言われているが、実は同市に於ける焼き餃子の歴史は古く、戦前より在市の中国人が中華料理の一品として、既に焼き餃子を提供していた事がわかっている[34]。この様な歴史により浜松市内の餃子専門店では前記のように茹でモヤシを添えること、酢醤油などではなく店ごとに秘伝のタレを使用すること、餃子以外のメニューを最小限にとどめている[注 6]ことが一般的となっているが例外もある。発祥とされる店の他、福みつ、喜慕里、揚子菜館等の餃子専門あるいは中国料理店が地元では知られている。浜松市民は餃子で一食とすることが多く、一回の食事を数十個の餃子だけで済ませることが多い。
当時、総務省『家計調査年報』では浜松市は統計発表の対象外だったため[注 7]、一世帯当たりの餃子の年間支出金額は不明とされていた。『家計調査年報』とは調査方法は異なるものの、2006年(平成18年)の浜松市役所の調査では、一世帯当たりの餃子の年間消費量は栃木県宇都宮市の約4倍、年間消費金額は1万9403円としていた[35]。その後、政令指定都市となり公式に総務省家計調査の公表対象都市となり、2010年(平成22年)に宇都宮市の消費額とほぼ同等の結果であったことが分かった。マスコットキャラクターとして「ちゃお」を擁する。2011年には支出額調査でギョーザ支出額で宇都宮市を抜き年間首位となったが、東日本大震災で宇都宮市の消費が落ち込んだ影響もあり手放しでは喜べないとした[36]。
三重県津市では、津ぎょうざと呼ばれる大きな揚げ餃子が提供されている。その定義は、直径15cmの大きな皮で餡を包み、油で揚げた揚げ餃子とされている。起源は学校給食であり、1985年頃に考案され現在も提供されている。2008年には「津ぎょうざご当地グルメプロジェクト」[37]が発足し、飲食店やイベントで販売されるようになった。2010年には「津ぎょうざ協会」が設立され、津市の名物料理の一つとなっている[37]。なお、一般の揚げ餃子の一人前は複数個で構成されているが、津ぎょうざは大きいため、一人前が一個で販売されることがほとんどである。
兵庫県神戸市ではメニューが餃子と飲み物だけという専門店も多く存在する。市内の餃子店は南京町を中心に水餃子が多く見られ、JR神戸線沿いには焼き餃子の店が多く見られ、神戸の焼き餃子の特色として味噌ダレをつけて食べることが挙げられる。
福岡県北九州市八幡東区は、かつて八幡製鐵所に勤務する労働者は肉体疲労がかなり激しく、ニンニクなどのスタミナ素材を好んで食べていたことから餃子文化が浸透。餃子専門店、ラーメン店など、八幡東区の20店舗以上で「八幡ぎょうざ」が食べられる。種類は鉄なべ餃子やひとくち餃子、にんにく入りスタミナ餃子、スープ餃子など多種多様。北部九州では餃子の薬味に「柚子胡椒」を使うこともある。現在、有志が集まり、八幡ぎょうさ協議会(八幡食ブランド実行委員会)を立ち上げており、商店街でイベントなども開催されている。
熊本県の南部に位置する。キャベツやニラなどの野菜を具材の中心とし、皮目をパリパリに焼いたものが目立つ。全国的に知名度の高い店、メニューが餃子と飲み物だけという専門店も存在する。
宮崎市では、毎月3日を「ギョーザの日」と定めている。総務省『家計調査』2020年上半期で、1世帯当たり購入額が1917円で1位となり、浜松市と宇都宮市を上回った[38]。2022年2月8日に同省が発表した2021年の家計調査でも餃子の年間支出金額が4184円となり、宇都宮市や浜松市を抑えて、初めて1位になった事が明らかになった[39][40]。餃子を含めた持ち帰り食が元々盛んだったところに、新型コロナウイルス感染症による外食自粛が金額を押し上げた要因とみられる[38]。宮崎市はこれまでも3位以内になったことがあり、観光に生かすため、2020年には「宮崎市ぎょうざ協議会」が発足した[41]。
満洲国から引揚た橿渕(かしぶち)家が、昭和30年代に栃木県鹿沼市に創業した「龍蘭(りゅうらん)」が人気店となった。鹿沼市上田町1894-4の本店や、1号支店、2号支店を展開、日光市にも日光支店を営業していた。また、当時では珍しかった紙箱の内側にアルミ紙を施した冷めにくい箱に詰めて、車で移動販売もおこなっていた。餃子の皮や具などは、西鹿沼町の創業者宅の敷地内の工場で製造して各所に直送していた。その後、事業拡大のため龍蘭を譲渡。しかし、後継経営者の代で閉店した。
鹿沼市坂田山にある四川料理「龍鳳苑(りゅうほうえん)」は、龍蘭の創業者が名付けたお店である。
鹿沼市内には、他にも引揚者の中華料理店、餃子店が存在したが、後継者不足等の問題により廃業したお店も多い。
ポーランドやスロバキアなどの中欧諸国、ウクライナ、リトアニア、ベラルーシ、ジョージア、ロシア、モルドバなどといった旧・ソビエト連邦構成国、ないしイタリアなどの南欧にも中国とよく似た餃子の文化がある。
ポーランドやスロバキアでは「ピエルク」と呼ばれる。ポーランド語やスロバキア語ではスープに入れる小ぶりなものにはまた別の呼び名がある。
ウクライナの民族料理の「ヴァレーヌィク」は、ほぼ中国式の水餃子と同じものである。具はバラエティに富み、ジャムやチーズ、果物なども入れられて主食としても食される。
リトアニアでは「ヴィルティニャイ」、ベラルーシでは「カルドゥーニ」、ジョージアでは「ヒンカリ」と呼ばれる。ロシアでは「ペリメニ」と呼ばれるが、これは日本国内のロシア料理店などでよく供されるので、ロシア料理の好きな日本人には比較的なじみ深い呼び方である。モルドバでは名称は中国北部のマンティから派生した「マンティーヤ」であるが、ヴァレーヌィクなどと基本的に同じものである。
これらヨーロッパ系の餃子は中国の餃子に比べて皮が厚めの傾向がある。
皮の非常に薄いものが近年のポーランドに見られるが、これは「ピエルク・ヤポンスキ(複数形はピエロギ・ヤポンスキエ)」と呼ばれ、「日本風のピエルク」という意味で、形も具も調理法も基本的には日本の標準的な餃子と同じである。ただ醤油と酢とラー油のタレを付ける食べ方は一応知られているものの、一般的にポーランド人の多くは辛いものが苦手なため、まだ日本式のタレは定着はしておらず、焦がしベーコンをベースにしたポーランド独特のタレをかけたり、多少濃い目に味付けをしたキノコのクリームソースなどといった色々なソースをかけたり、サラダ用の様々なドレッシングをかけたりして食べる。
イタリアのラビオリは東洋の餃子が元であり、イタリアに入って現地の味覚に合うように変化したものである。日本式の焼き餃子は「ラビオリ・ジャポネージ ravioli giapponesi (複数形)」と呼ばれている。
ポーランド系移民やその子孫が非常に多い北アメリカではピエルクの複数形の「ピエロギ」として知られるようになり、北アメリカではピエロギが英語風に訛った「ピーロギー」という呼ばれ方が一般的である。「ピーロギー」は元々「ピエルク(Pieróg)」の複数形「ピエロギ(Pierogi)」が訛ったものであるが、英語では「ピーロギー(Pierogi、ないしPerogiやPirogiと表記)」が単数形として認識され、「ピーロギーズ(Pierogies)」が複数形として使われている。『オックスフォード英語辞典』にも「Pierogi/Pierogies」が正式な英単語として載っているほど一般化している。基本的には水餃子と同様に茹でるが、そのほかにフライパンで焼いたり油で揚げたりといった様々な加熱法を使う。なお北米の都市の中には中華式の餃子がDumpling(ダンプリング、本来の意味は茹団子)またはPot sticker(ポットスティッカー、鍋貼の逐語訳)と称されスーパー等で販売されている。
カナダではポーランド系移民やその子孫が特に多いことからピーロギーは広く浸透して定着し、長いこと国民食の一つとなっている。「ピーロギー」の名で餃子を提供する食堂はポーランド系やスロバキア系といった中欧系の人々のほかにウクライナ系の人々が経営している場合も多く、そこでは「ピーロギー」が「ウクライナ料理」として供される。本来ウクライナではヴァレーヌィク(複数形はヴァレーヌィキ)と呼ばれるが、英語圏ではこの呼び方は一般的ではない。通常は「ポットスティッカー(Pot sticker)」とよばれている。
トルコ料理には水餃子によく似た献立マントゥがある。茹で上げたマントゥにニンニクや香味油で味付けしたプレーンヨーグルトを掛けて供される。マントゥの他にも、これに類似したヒンゲルも広く食されている。
タイ王国では揚げ餃子がポピュラーである。レストランの他、屋台でも販売されている。
ネパールにはモモという餃子の派生料理があり、一般的にはトマトソースをつけて食べる。
モンゴルではボーズという蒸し餃子、ホーショールという揚げ餃子がよく食される。具材は羊肉または牛肉が一般的であり、豚肉は普通使われない。
餃子に極めて類似した料理としてマンドゥ(만두(饅頭))が存在する。クンマンドゥ(군만두(군饅頭)[注 8])は中国の鍋貼や日本の焼き餃子に近いものであり、ムルマンドゥ(물만두[注 9])は水餃子と同様に茹でたものである。具材にはダイコン、豚肉、ニラ、キムチ、豆腐、春雨などが使われる[43]。
日本では、加工食品としての餃子において下記のような事件が発生した。
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