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軍服で用いられる飾り紐 ウィキペディアから
飾緒(しょくしょ/しょくちょ/かざりお、英: aiguillette フランス語発音: [ɛɡɥijɛt] ( 音声ファイル)、エギュイエット)は、一般に軍服の片肩から前部にかけて吊るされる飾り紐のことをいう。材質に金銀糸が使用されることからモールとも呼ばれている。
軍人以外でも、国境警備隊や沿岸警備隊といった準軍事組織の構成員、或いは警察官や消防官等の公務員の制服にも使用され、民間でも制服や舞台衣装の飾りとして用いられる事がある。
飾緒が示す意味は国や時代によって異なる。正装や礼装のアイテムとして着用される場合は、地位や役職、資格、所属する部隊や兵科(兵種)を示すこともあり、勲章の略章であることもある。役職を示すものとしては副官用と駐在武官用の飾緒が多くの国の軍隊に共通しており、これらは常装に着用されることも多い。式典時の服装に単なる装飾として着けられる場合もあり、儀仗兵や軍楽隊の式典服に多く見られる。
18世紀、ナポレオン時代のフランス陸軍で誕生したものといわれ、元は地図に書き込みをする要のある副官やメモを頻繁に取る必要のある伝令将校が、鉛筆やチョークなどの筆記具を吊るしておく為のものだったという説がある。馬上で指揮を執ることが多かったナポレオンが、鉛筆を片手でも扱いやすいように、また誤って落とすことがないようにと考案したものであるともされる(鉛筆もまたナポレオンがコンテに命じて考案させたものである)。その名残とされているのが、胸前部に垂らす紐の先端に付けられている石筆(ペンシル)と呼ばれる飾り金具であり、古い時代の飾緒では実際にこの部分が鉛筆になっている例がある。しかし、それ以外にも馬の手綱やメジャー、あるいはマスケット銃の火皿の火薬滓をかき出すための金具が起源という説もあり、詳細は判然としない。
以下に海上自衛官の副官飾緒装着要領を海上幕僚監部からの通知文書(海幕総第3603号(昭和56年8月6日))[1]に基づき以下に示す。
旧陸海軍将官の正装・礼装用飾緒、参謀および皇族王公族附武官用飾緒、副官用飾緒(海軍のみ)、陸上・航空自衛隊の防衛駐在官及び副官用飾緒、陸上自衛隊将官の礼服用飾緒の着用法は上記海上自衛隊の方法と同じである。飾緒を着用する被服には右肩の袖部縫い目に切れ込を入れ、裏地部分に隠しボタンを付す。
日本はフランス軍の飾緒を参考にしたため、この装着方法はフランス式とも言える。
前記の理由から、礼装用等の飾緒は上記の#装着方法とほぼ同じである。詰襟軍服に着用する際、前部に回すひも類をまとめずに別々のボタンに取り付ける場合もある。
また勲章的なものとして、表彰を受けた部隊の将兵が着用する飾緒状のフラジェール(Fourragère)がある。例えば、レジオン・ドヌール勲章受章部隊の隊員は赤色の飾緒を着ける資格を有する(下記の写真の通り、異なる種類の勲章―例えば第二次世界大戦従軍章も―を受けている場合は色違いの複数本の飾緒が着用される)。
陸軍では、明治14年3月21日太政官達第22号を以て同年設置された憲兵の服制が制定され、憲兵将校は萌黄色の飾緒を着用する旨規定された。この飾緒は明治19年7月6日勅令48号による陸軍将校服制の改正まで使用されていた。そして、同改正により後述の将官や参謀等の飾緒が規定された。
陸海軍の将官は正装・礼装時(正衣袴着用時)に金色の将官飾緒を着用した。
参謀総長や軍令部総長を筆頭とする全ての参謀たる将校は正装から略装に至るまで常に参謀飾緒を着用したが、この習慣は自衛隊を含む他の軍隊には見られない。金色で将官用のそれに似た形状であるが寸法がやや小さくなり、材質は金線(金糸)または黄絹だが、太平洋戦争期には俗に野戦用と称される濃緑茶褐色の飾緒も用いられている。
侍従武官・皇族王公族附武官は銀色の侍従武官飾緒・皇族附武官飾緒/王公族附武官飾緒を着用した。
これら将官飾緒・参謀飾緒・附武官飾緒のほかに、海軍では特定の部隊等の副官(海軍省副官、軍令部副官、鎮守府副官、艦隊副官、警備府副官、海軍連合航空隊副官、元帥副官、軍事参議官副官、その他参謀を置かない部隊の副官)が附武官飾緒と同じ銀色の副官飾緒を着用していた。陸軍の副官は着用方法が大綬章に類似し、週番巡察懸章(紅白)の色違いである黄色と白色の高等官衙副官懸章を右肩から左腰に着用するため飾緒は使用しない。
「飾緒」を陸軍では「しょくしょ」又は俗に「しょくちょ」、海軍では「かざりお」と称しており、陸軍の飾緒は石筆先の浮彫は桜葉、海軍の飾緒は錨となっている。一般的に陸軍は右肩から第1釦に、海軍は襟ホック部分に掛けて付し着用する(褐緑色の略装、陸戦服、第三種軍装といった開襟被服の場合は陸軍と同じ第1釦に掛ける)。このほか、陸軍の開襟着用時または開襟背広型の防暑衣や、海軍の陸戦服・第三種軍装といった開襟被服では、第1釦ではなく右襟(ラペル)に隠れる位置に仕込んだ釦や糸かがり、または第2釦に掛けて着用される事もあった。
1895年(明治28年)、飾緒の制式が改正される。丸打金線、長さ2丈4尺5寸、その両端を鎖状組とし、これに金具各1個を付する。将官の直径は2分、参謀佐尉官の直径は1分8厘。金具は石筆形、金色長さ2寸6分である。また、伝令使の飾緒を廃止する(明治28年9月28日勅令136号)。
1899年(明治32年)、将校飾緒につき、通常軍服及び夏服には白茶色の絹線製を用いることも許容される。副官の飾緒が設けられる。副官飾緒は銀線とし通常軍服及び夏服には白色を用いることが許容される(明治32年8月10日勅令第369号)。
1915年(大正4年)11月5日、皇族附武官も飾緒を着用することとなる(大正4年11月1日勅令第191号(同年11月5日施行))。
1942年(昭和17年)11月1日、海軍では参謀及び副官用に主に南方戦線での服装簡易化の名目に、石筆無し紐状の丸打絹線の略式飾緒が制定される(昭和17年10月30日勅令第699号(11月1日施行))。
陸海空で共通の飾緒としては、防衛駐在官と副官の飾緒がある。
着用方法が上記#装着方法と若干異なる。礼装用飾緒の場合、短い細紐の輪は腕に通さずに、2本の線状にして胸側の取付部まで持って行く。長い細紐の輪は右肩後方から右脇下を経て前部に回し、右胸の所で短い細紐に掛ける。掛け方は長い細紐の輪に短い細紐を通す方法と、ひばり結びで細紐に結び付ける方法がある。陸空軍は銀色のものが多く、石筆が日本のものと比べて細く小さい。時代や部隊によっては長い三つ編み紐と石筆が無いものがあり、現在のドイツ軍もこのタイプを使用している。一方、ドイツ帝国の崩壊以前はフランス式の飾緒を使用する領邦もあった。
副官用飾緒は短い三つ編み紐と長い細紐の輪及び極短い細紐2本から成り、石筆は2本の極短い細紐の先端に着く。着用法は長い細紐の輪をループで短い三つ編み紐に結び付け、石筆は肩端から垂らす。
また技能を示すものとして、ドイツの射撃優等徽章には飾緒が付く。同章は八十年戦争当時のスペインを起源とし、後にプロイセン王国にも採用された。同章は下士官兵を対象としたもので、メダルと飾緒を組み合わせることで等級や兵科を示す方式であった。ドイツ連邦軍の場合、小銃と拳銃の射撃技能について一定の基準を満たした場合に、射撃優等徽章が授与される。全軍共通デザインのアルミニウム製メダルには金銀銅の三等級があり、金章を複数回受章した場合には回数を示す数字が表示される。同章には等級・兵科を問わず銀色(陸軍・空軍)ないし青色(海軍)の飾緒が付され、昇級した際にはメダル部分だけを交換する。
イギリス軍の飾緒は殆どが金色で、他国に比べて石筆が大きく、紐の編み方が粗い。部隊、階級、役職により着用基準や装着位置が異なり、付ける飾緒も太さや石筆の大きさが異なる。また、細紐が無いものもある。着用法はドイツの礼装用飾緒と同じで、副官用等は左肩に付ける。
アメリカ軍では歩兵・騎兵科の課程修了将兵が正装の際に着用する(兵科ごとに色が異なる)。胸に垂らすのではなく、肩に嵌める方式もある。
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