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東京都出身の元プロ野球選手 (1935-) ウィキペディアから
関口 一郎(せきぐち いちろう、1935年2月19日 - )は、1950年代に大洋ホエールズに在籍した東京都中央区[1]出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
明治高校では控え投手。1952年春季関東大会決勝に進み、宇都宮高を相手に先発を任せられるが、初回に打ち込まれ降板している。卒業後は明治大学に進学。東京六大学野球リーグでは3年生までに3回の優勝を経験。貴重な左腕として期待されるが、1年上の秋山登の陰に隠れ登板機会には恵まれなかった。しかし秋山が卒業した1956年春季リーグでは、中田昌宏、衆樹資宏ら強打者揃いの慶大を完封し、一躍脚光を浴びる。その後は投手陣の中軸として起用されるが、チームは春季3位、秋季4位に終わった。大学同期には佐々木重徳、田村満(いずれも中退)、荻孝雄、横山昌弘らがいた。
1957年に、迫畑正巳監督をはじめ秋山、土井淳など明大出身者が多かった大洋ホエールズに鳴り物入りで入団[1]。1年目から一軍で起用され、6月4日には初先発。巨人の木戸美摸と投げ合うが2回途中3失点で降板、敗戦投手となる。翌1958年も7月から先発陣の一角として起用される。7月3日には広島を相手に6回1失点と好投、6日にも大阪を5回無失点と抑えるが、味方の援護がなく白星はつかなかった。その後の先発でも惜敗が続き4連敗、初勝利はならなかった。1959年には登板機会が減少し、同年限りで引退[1]。
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