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長沢千和子
日本の将棋棋士 ウィキペディアから
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長沢 千和子(ながさわ ちかこ、1964年6月18日[1] - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士。松田茂役九段門下[1]。女流棋士番号は5[1](2011年3月31日までの旧番号は14[2])。長野県松本市出身[1]。最年長の現役女流棋士(現在 であり、現役期間歴代最長の女流棋士 61歳0か月 )(現在 45年10か月 )。
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棋歴
将棋の駒の動かし方を覚えたのは、小学4年生の頃[3]。将棋道場を経営していた父は、歌を覚えるのが早いという千和子の記憶力に着目し、将棋が強くなるのではないかと思ったという[4]。
千和子が中学1年生のとき(1977年度)、父が「中部六県名人戦」で優勝し、その大会で審判を務めたプロ棋士の松田茂役(後に千和子の師匠)が父を訪ねて来た。その際、松田が千和子と将棋を指し「才能があるのではないか」と言った[4]。これが将棋を本格的に始めたきっかけである[4]。女流プロを目指してからは、故郷の長野県松本市から毎週土日に東京へ対局に通い、師匠の松田茂役九段の家に泊めてもらいながら将棋漬けの生活を送った[5]。
1979年8月、松田茂役門下として、女流2級でプロ入り。
1983年度、第6期女流王将戦で林葉直子女流王将への挑戦権を得、タイトル戦初登場。三番勝負は0勝2敗で敗退。
1984年度、第11期女流名人位戦でも林葉に挑戦。五番勝負は1勝の後の3連敗で敗退。これら二度のタイトル挑戦はプロ入り後わずか数年のことであり、「新星誕生」を強く印象づけた[5]。
20代前半の頃、女流王将戦で挑戦権争いをしていたとき、山下カズ子との対局の勝勢の局面で、4段目で歩を成るという反則負けをし、以降、スランプに陥る[4][注釈 1]。将棋の道から退くことさえ考えたが数か月後に立ち直り、以降、従来の「才能で指す」というスタイルを改め、棋譜並べ(過去の実戦の研究)や詰将棋などに打ち込むようになる[4]。その努力が1995年度、レディースオープントーナメントで実り、決勝で当時三冠の清水市代を破り、一般棋戦初優勝を果たした。
2008年7月2日、女流名人位戦B級の対伊奈川愛菓戦で勝ち、通算300勝達成。
2018年2月16日に蛸島彰子が引退したことにより、現役女流棋士で最年長となる。2022年12月には現役期間が43年5ヶ月となり、女流棋士としては蛸島彰子の43年4ヶ月を超えて史上最長期間の現役在籍となっている。
2024年11月11日、女流五段に昇段[6]。
2025年5月29日時点の通算成績: 対局数828局、勝率0.4698[7]。
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人物
昇段履歴
主な成績
一般棋戦優勝
- レディースオープントーナメント 1回(第9回 = 1995年度)[1]
- 優勝合計1回
タイトル挑戦
- 登場回数2、獲得0
表彰
年度別成績
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出演
ウェブテレビ
- 叡王戦記念特番 東西対抗 詰将棋カラオケ(2019年3月30日、ニコニコ生放送)[58] - 東チーム
ディスコグラフィー
- 「山あじさいの唄」 (作詞: 土井弘千香、作曲: 戸村純) – CD
- 「千駄ヶ谷エレジー」 (作詞: 袋小路宇治夫、作曲: カツ丼将棋) – CD
脚注
関連項目
外部リンク
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