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大韓民国の詩人、思想家 (1941-2022) ウィキペディアから
金 芝河(キム・ジハ、きん しが[1]、김지하、Kim Chi-Ha、本名:金 英一(キム・ヨンイル、김영일)、1941年2月4日 - 2022年5月8日)は、大韓民国の詩人・思想家。ペンネームの「芝河(チハ)」は同音の「地下(チハ)」に由来する[2]。本貫は金海金氏[3]。
1941年、全羅南道木浦市に映画技師の一人息子として生まれる。中学時代から詩作を始め、ソウル大学校美術大学美学科在学中から詩作を発表する。
在学中に4・19学生革命に参加。1961年、5・16軍事クーデターでの朴正煕政権登場以降、反政府活動を強める。1964年韓日会談反対闘争の一環として、ソウル大学校文理大学の学生による「民族的民主主義の葬式」において弔辞を書くなど、朴正煕政権を批判する行動により4カ月間投獄された[2]。以降も学生運動を主導し、当局から逮捕拘束される。
1970年、朴正煕政権を鋭く風刺した長篇詩『五賊』を発表し、反共法違反容疑で拘束される(五賊筆禍事件)。当局からの逃亡生活を余儀なくされるが、地下活動を続け、軍事政権下で民主化運動をリードした。1971年末には日本でも長篇詩『五賊』は『長い暗闇の彼方に』というタイトルで、日本共産党「赤旗」記者だった萩原遼によって翻訳され、金芝河の名前が日本でも広く知られるようになった。
1974年、大統領緊急措置により死刑判決を受けたが、一旦は釈放。しかし、釈放後に「東亜日報」に掲載した手記『苦行--1974』で、人民革命党事件の捏造を批判した(民青学連事件)ことから反共法違反により再逮捕、死刑判決(のち無期懲役に減刑)[4]。投獄に対して、ジャン=ポール・サルトルやノーム・チョムスキー、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、大江健三郎らによる国際的釈放要求の声が沸きあがり[4]、1980年12月再度釈放される。通算7年にも及ぶ獄中生活に対し、軍事政権の言論弾圧に屈しなかったとして、ロータス賞(特別賞、1975年)、クライスキー人権賞、偉大な詩人賞、鄭芝溶文学賞、空超文学賞、怡山文学賞、大山文学賞を受賞。
以降、詩作以外にも随筆や談論集を発表し、パンソリや仮面劇の伝統を生かした『櫻賊歌』『蜚語』などを発表。1982年頃からは、地域自治を提唱するサルリム(生命)運動や環境問題、消費者共同体運動、東アジアの伝統を見直す活動など、詩作以外にも活動を広げる。しかし、生命運動などを通じて神秘主義的な言動が顕著になったことで、民主化運動(特に学生運動)に対する思想転向と受けとめる者も現れ、韓国内では賛否両論を巻き起こした。
1991年4月には、明知大学校生の姜慶大殴打致死事件を契機に起こった一連の焼身自殺事件に対して、その抗議姿勢を批判して1991年5月5日付の『朝鮮日報』コラムに「死(焼身自殺)による礼讃を止めよ!(죽음의 굿판을 당장 걷어 치워라!)」とのアピールを出している[5]。この文章は国内に激烈な反響を引き起こす。
自身の政治的立場は「中道進歩」としており、1998年〜2008年の10年間続いた進歩政権、特に盧武鉉政権については厳しい批判をしている[7]。2007年の大統領選挙ではソウル大学時代の先輩で親交が深い孫鶴圭支持を表明[8]。2012年大韓民国大統領選挙では、自身が弾圧を受けたときの大統領である朴正煕の長女で与党・セヌリ党の大統領候補となった朴槿恵支持を表明した[9]。
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