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日本の将棋棋士 ウィキペディアから
室谷 由紀(むろや ゆき、1993年3月6日 - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士。女流棋士番号は42(2011年3月31日までは66)。大阪府大阪狭山市出身。森信雄七段門下。
母親の友人の誘いで将棋教室に行ったのが将棋を始めたきっかけ[1]。
関西女流アマ名人戦では、第38回(2006年)で準優勝、第39回(2007年)で優勝。第26回(2005年)全国中学生選抜将棋選手権大会(女子の部)でも準優勝。
2008年9月に女流棋士の育成機関である女流育成会に入会。2009年より女流棋士になるための制度が変わったため、同年4月に関西研修会のD1クラスに移った(C1クラス昇級で女流3級になる)。2009年6月28日にC1に昇級して「女流3級」となる権利を取得[1]。資格申請を以って10月1日付での女流3級が内定した[2]。
2010年7月17日に行われた第4期マイナビ女子オープン予選の1回戦で鹿野に勝って年間5勝目を挙げ、女流2級への昇級規定「1年間で参加公式棋戦数(5棋戦)と同数の勝星(5勝)を得る」を満たし、同日付で女流2級に昇級(プロ入り)。さらに、同日中に行われた予選決勝(2回戦)でも小野ゆかりアマに勝って女流棋士としての初勝利を挙げるとともに、女流1級昇級の規定の一つである「マイナビ女子オープン本戦入り」に該当したことにより、同日付で女流1級に昇級し、1日で2ランク昇級した[3]。
2011年、女流初段昇段の規定の一つである「女流1級で指し分け以上(7勝以上)」に該当したことにより、4月1日付で女流初段に昇段し[4]、9か月間で3ランク昇級昇段した。
2014年4月1日付で所属を関西から関東に移籍[5]。
2015年8月25日、第42期女流名人リーグで中村真梨花に勝ち、女流初段昇段後60勝となり女流二段に昇段した[6]。第9期マイナビ女子オープン決勝で、奨励会三段リーグ昇段を果たしたばかりの西山朋佳に勝って、タイトル初挑戦[7]。五番勝負では加藤桃子女王に1勝3敗でタイトル奪取に失敗した[8]。
2016年9月28日、第24期倉敷藤花戦決勝で上田初美に勝ち、二度目のタイトル挑戦を決めた[9]。三番勝負では里見香奈に敗れ、タイトル獲得はならなかった[10]。
2018年9月28日、第26期倉敷藤花戦決勝で中村真梨花に勝ち2年ぶりの倉敷藤花挑戦を決めた[11]。三番勝負では、里見香奈に連敗し初タイトルはまたもお預け[12]。第1局は優勢で勝利に近づきながら落とした[13]。
2019年11月20日、第46期女流名人リーグ最終局で藤田綾に勝ち、8勝1敗の好成績を挙げて初の女流名人挑戦を決めた(タイトル挑戦は四度目)[14][15]。また、12月27日、第42期女流王将戦予選の初戦で小高佐季子に勝ち女流二段昇段後90勝となり、女流三段に昇段。「年内に決めたかったのでホッとしています」と話した(2局目も勝ち本戦進出)[16][17]。翌年の五番勝負は里見香奈に三連敗に終わった。
2020年10月30日、第42期女流王将戦三番勝負で西山朋佳女流王将に挑戦し、1勝2敗で敗れた[18][19]。
2024年8月17日から10月30日まで、出産のため休場[20]。公表日当日(同年8月14日)に行われた第32期倉敷藤花戦準決勝の対局に勝利し挑戦者決定戦進出を決めたほか、第14期女流王座戦でも準決勝進出を決めるという、複数の棋戦で上位進出する最中での産休発表となった[21]。この産休により、産休発表の5日後に予定されていた女流王座戦の準決勝は不戦敗となった。また室谷が決勝進出していた倉敷藤花戦では、挑戦者決定戦は室谷の産休により不戦となる旨が公表された[22]。
タイトル戦:登場5回
非公式棋戦:優勝3回
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