西山 秀二(にしやま しゅうじ、1967年7月7日[1] - )は、大阪府八尾市出身の元プロ野球選手捕手)、コーチ野球解説者野球評論家

概要 基本情報, 国籍 ...
西山 秀二
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(2022年11月6日、Agreスタジアム北谷にて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府八尾市
生年月日 (1967-07-07) 1967年7月7日(57歳)
身長
体重
174 cm
94 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1985年 ドラフト4位
初出場 1989年8月26日
最終出場 2005年10月5日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
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経歴

プロ入り前

八尾市立大正中学校時代は桑田真澄とバッテリーを組む(後年、西山は桑田のことを「今まで見てきた中で最高のピッチャー」と評している。)[2]上宮高に進学し捕手として2年時は江本晃一とバッテリーを組み、1番打者で活躍。その後は4番を打ち、1984年秋季近畿大会府予選準決勝では桑田を擁するPL学園高と対戦、本塁打を放つが5-11で敗れる。翌1985年夏の府大会は5回戦で敗退し、甲子園には届かなかった。高校同期に二塁手小森哲也、1年上に江本や笘篠賢治、2年上に光山英和がいる。

1985年のプロ野球ドラフト会議近鉄バファローズ南海ホークスから4位指名を受け、抽選の結果南海ホークスへ入団した[1][3](尚、仮にドラフト指名が無かったとしても、当時阪神コーチに高校のOBである一枝修平がおり、ドラフト外での獲得の内定も貰っていたと後に本人が語ってる[4])。

南海ホークス時代

1年目(1986年)のキャンプでは捕手でありながらブルペンで球を受けさせてもらえず、フリー打撃でも打球が飛ばないなど自信を失いかけ、1年目の一軍出場機会はゼロに終わった。同年のシーズンオフには畠山準が運転する車に乗っていた際に交通事故に遭い、1か月の謹慎処分を受けた[5]

2年目の1987年は肘痛を抱えて捕手としてのスローイングに支障をきたしていたことから二軍で遊撃手としてプレーしていたが[4]、シーズン途中に森脇浩司永田利則との2対1(西山プラス金銭)のトレードで広島東洋カープへ移籍。4位指名とはいえ、高卒ドラフト入団で僅か1年5か月でのトレード移籍は例がなく[6]、前代未聞であった。球団は西山の実家に訪れ、『チームが久々のAクラスキープしていたが一軍内野手が軒並み故障離脱、また球団の経営難で資金がどうしても欲しかった』等を素直に西山本人及び両親に述べ謝罪したが、一方で西山とその両親は「人気のセ・リーグに行ける」と実は喜んだと、後に語っている[7][8]

広島東洋カープ時代

広島に移籍した当時は達川光男の後釜候補の1人でしかなく、1991年にはドラフトで「大学ナンバーワン捕手」の瀬戸輝信が入団したことでチャンスが潰えたかに思われたが、同年に打撃で一定の結果を残したほか、外野手三塁手・代走要員と様々な役割をこなして一軍に定着。

1993年からは達川の後を受けて正捕手の座を掴む。

1994年には初の規定打席(15位、打率.284)に到達、ベストナインに選出され、ゴールデングラブ賞を受賞した。

1996年には打率.314(ランキング8位)の好成績を記録し、球団捕手史上初の「規定打席に到達して打率3割」を達成した。2023年時点においても球団捕手では唯一の記録である[9]。同年は2度目のベストナイン、ゴールデングラブ賞に輝く(いずれも1990年代のセ・リーグ捕手としては、古田敦也以外で唯一の複数回受賞)。しかし攻撃的な攻守ゆえに怪我をしやすく、1994年・1996年以外は2番手捕手の瀬戸との併用が続き、1990年代後半からは打撃面でも怪我の影響で苦戦を強いられる。特に1998年は故障でほぼ1年を棒に振り、彼に代わって瀬戸が正捕手を務めた。

1999年4月14日の対巨人戦では、延長戦に入り内野手を使い果たしたため、自身初めて二塁手の守備についた。無難にセカンドゴロを一つ捌いてチームは勝利している。

2004年シーズン終了後にはフロントからコーチ就任の打診を受けたが、本人が現役続行を希望したため自由契約となり、読売ジャイアンツ(巨人)に移籍。

読売ジャイアンツ時代

巨人では広島時代からの親友で不振が続いていた江藤智の良き相談相手となった。

2005年4月17日の対ヤクルト戦で桑田と23年ぶりにバッテリーを組んだが、同年限りで現役を引退。他球団からの移籍後巨人在籍は1年であったが、球団側の計らいで引退試合と引退セレモニーが行われた[10]。対戦相手が古巣の広島であり、広島ファンへの挨拶も兼ねたためといわれている。巨人移籍後の初出場試合も広島戦であり、レフトスタンドの広島ファンから温かい拍手が送られている。

現役引退後

2006年からは巨人の二軍バッテリーコーチに就任し、加藤健などを育てた。

2008年からは一軍バッテリーコーチを務めていたが、2010年10月24日に翌年の契約を更新しないことが発表された[11]

2011年からはラジオ日本ジャイアンツナイターGAORAプロ野球中継解説者デイリースポーツ東京本社評論家を務めている。

2016年学生野球資格回復研修を受講した。2017年2月7日に日本学生野球協会より学生野球資格回復の適性認定を受けたことにより、学生野球選手への指導が可能となる[12]

2018年途中から中国放送(RCCラジオ)のゲスト解説者を務める。2022年からは、中日ドラゴンズで一軍バッテリーコーチを務める[13]。また、攻撃時のベンチからのサインを三塁ベースコーチに送る役割も担っている。2023年限りで退団[14]2024年からサンテレビゲストとラジオ日本の野球解説者とデイリースポーツの野球評論家に復帰する[15]

選手としての特徴・人物

捕球・送球の正確さとクレバーなリードが武器であり、長きにわたって広島の正捕手を務めた[16]。守備では捕手以外も外野や三塁などを務めるなどの器用さも兼ね備えていた[16]。また、打撃では独特な一本足打法でタイミングを取るしぶとい打撃で、1996年にはリーグ8位の打率.314を記録するなど優れていた[16]

愛称は「ニシ[16]

乱闘騒ぎ

  • 1993年6月6日の対ヤクルト(広島市民球場)の7回表、一死三塁の場面で、ヤクルトの打者レックス・ハドラーが放った三ゴロの間に走者の池山隆寛が本塁突入の際、余裕でアウトのタイミングだったにもかかわらず、西山にタックルしたことから西山が激怒し、池山を殴ったことから両軍総出の大乱闘に発展した。西山は暴力退場処分を受けた。5月20日にも池山にタックルを食らっていたため、それが伏線となっていた。また乱闘の際にジャック・ハウエルに捕まったシーンは珍プレー番組でも取り上げられた。後日、西山は池山に謝罪し、両者和解している[17][18]
  • 1999年4月、対巨人戦で上原浩治から執拗なまでの内角攻めをされた上、死球を受けた。怒った西山が捕手の杉山直樹の胸ぐらをつかみ乱闘寸前の騒ぎになる。この時、上原にマウンドから出るなと指示したのはその当時広島に在籍していた江藤智であった。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
















































O
P
S
1989 広島 2220000000000000000.000.000.000.000
1990 2522214620082001000040.286.286.381.667
1991 52122111173161451141222730212.279.317.459.776
1992 791921701838504552021421660334.224.287.324.611
1993 11029227120621007932110621221609.229.262.343.605
1994 126438387441101063141329113335907310.284.341.364.706
1995 83236199194210457527521112263564.211.298.377.675
1996 124476411451291823160414212244147489.314.388.389.777
1997 103313264225440573286010236111648.205.300.277.577
1998 13443737202157004031031.189.250.405.655
1999 10333129422701204942530732562598.238.299.320.619
2000 942842532556606803332722210702.221.282.316.598
2001 120316268236411128314111023442539.239.327.310.636
2002 871881691233404491111301521345.195.265.290.555
2003 6085742110011470071310223.149.179.189.369
2004 22991100010000000020.111.111.111.222
2005 巨人 1319182200020000010061.111.158.111.269
通算:17年 121633692958279716100145099428236129722275661760875.242.308.336.644
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  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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捕手二塁三塁外野


























































1990 広島 215180111.000734.571---
1991 207160001.000312.667-737001.00019150001.000
1992 7636731155.997402119.475-10000.000210001.000
1993 108543555145.992653530.462---
1994 125745572155.998684226.382---
1995 8242135262.996382018.474---
1996 123750621129.991694128.406---
1997 98515602113.997643628.438---
1998 136030101.000422.500---
1999 10159436386.995504010.200101001.000--
2000 9147629733.986544212.222---
2001 119595463115.995634815.238---
2002 8738738173.998412318.439---
2003 56186140321.00024159.375---
2004 213520201.000752.286---
2005 巨人 4171200.900000----
通算 11455813482299946.995597374223.374101001.000837001.00021160001.000
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表彰

記録

初記録
節目の記録
  • 1000試合出場:2001年8月19日、対読売ジャイアンツ22回戦(広島市民球場)、9回表に捕手として出場 ※史上373人目
その他の記録

背番号

  • 51(1986年 - 1987年途中)
  • 32(1987年途中 - 2004年)
  • 31(2005年)
  • 74(2006年 - 2010年)
  • 72(2022年 - 2023年)

関連情報

書籍

  • 不惑 桑田・清原と戦った男たち』(矢崎良一著、ぴあ、不惑の年(40歳)を迎えたKKコンビと同学年の9人(内プロ経験者8人)にKKコンビに関する取材をしたノンフィクション、第二章が西山自身の章、西山自身の球歴・中学時代から桑田を知る西山だからこそ語れる桑田真澄の凄さが詳細に語られる、ISBN 978-4835616926

出演番組

  • ラジオ日本ジャイアンツナイター(RFラジオ日本)(2011年~。MBSラジオにも定期的に出演している関係上、朝日放送ラジオが本番カードとする中継は出演しない)
  • Veryカープ! RCCカープデーゲーム中継(中国放送。RFラジオ日本からの土・日曜デーゲームの巨人およびロッテ主催試合の裏送りおよび同局技術協力の自社制作時に出演)
  • GAORAプロ野球中継(日本ハム戦)(2011年~)
  • TSS全力応援! Carp中継テレビ新広島)(2014年~)
  • MBSベースボールパークMBSラジオ)(2016年から定期的にゲスト解説者として。それ以前にも単発のゲスト出演あり。RFラジオ日本との関係上、阪神ホームゲーム中継への出演は、聴取率調査週間に火 -木曜ニッポン放送およびNRN・金曜文化放送およびJRN・土・日曜ニッポン放送およびJRN向けを裏送りとして、自社ローカルを別制作する場合や、同局とネットを組む金曜日や、土曜デーゲームや月曜日のうちビジター地元局へのネットがないカード(主に関東圏の球団やオリックスとの対戦)に限定。ビジターゲームではネット局が発生しない場合に限りニッポン放送制作分に出演する場合あり)

脚注

関連項目

外部リンク

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