福岡 義登(ふくおか よしと、1923年(大正12年)5月18日[1] - 2001年(平成13年)3月25日[1])は、日本の政治家、労働運動家。衆議院議員(4期)、三次市長(4期)などを歴任した。
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
略歴
- 日本国有鉄道(国鉄)入社[2]
- 1947年(昭和22年) - 国鉄労働組合広島支部執行委員長[2]
- 1961年(昭和36年) - 広島県労組会議事務局長[2]
- 1963年(昭和38年)11月 - 第30回衆議院議員総選挙落選
- 1966年(昭和41年)1月 - 第7回参議院議員通常選挙補欠選挙落選
- 1967年(昭和42年)1月 - 第31回衆議院議員総選挙初当選
- 1969年(昭和44年)12月 - 第32回衆議院議員総選挙落選
- 1972年(昭和47年)12月 - 第33回衆議院議員総選挙当選
- 1976年(昭和51年)12月 - 第34回衆議院議員総選挙当選
- 1979年(昭和54年)10月 - 第35回衆議院議員総選挙落選
- 1980年(昭和55年)
- 6月 - 第36回衆議院議員総選挙当選
- 7月 - 衆議院運輸委員選任
- 1986年(昭和61年)11月 - 広島県三次市長選挙当選[2]
- 1998年(平成10年)11月 - 広島県三次市長選挙無投票当選(4期)
- 2001年(平成13年)3月 - 腹部大動脈急性解離のため死去
家族
- 孫:福岡誠志(三次市長、三次市議会議員)
脚注
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