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この項目では、2014年8月まで事業を行っていた民事再生法適用会社について説明しています。同社の事業を継承したアース製薬の子会社については「白元アース」をご覧ください。 |
株式会社 白元(はくげん)は、かつて防虫剤、脱臭剤、化粧品、殺虫剤などを製造販売していた総合日用品メーカーである。
創業者の鎌田泉が1923年(大正12年)に、自らの経営により防虫剤・防臭剤の製造販売を開始する[1][2]。1950年(昭和25年)に株式会社へ改組すると、のちに1953年(昭和28年)に蛍光染料「白元」を発売[2]。これが同社の看板商品となったことで、さらに化学技術を進め、防虫・防臭方面に拡大を続けてゆく。
1972年(昭和47年)には液体靴下止め「ソックタッチ」を発売[2]。これを機に社名を現在の「白元」に改称する。
パラジクロルベンゼン系衣服用防虫剤「パラゾール」を始め、冷蔵庫用脱臭剤「ノンスメル」、使い捨てカイロ「ホッカイロ」、ピレスロイド系衣服用防虫剤「ミセスロイド」、保冷枕「アイスノン」など息の長いヒット商品が多く、業界屈指のロングセラーメーカーとして知られていた[3]。また、2001年(平成13年)より、大正製薬からの商標貸与によって殺虫剤事業に参入している他、キング化学や大三を傘下に収めたことで、「快適ガードプロ」や「バスキング」をはじめとする衛生用品・入浴剤事業にも参入した。
その後は他社との競合激化などから、資金負担が重いカイロ事業を興和に売却した他[4]、住友化学に対し第三者割当増資を実施するなどして[3]、経営改善に努めてきたが、4代目社長の鎌田真が主導した「押し込み販売」[5]などからなる杜撰な経理状況が明らかとなり[6]、金融機関との協議が決裂[1]。2014年5月29日に東京地裁へ民事再生法の適用を申請した[7][8]。これにより創業家出身の鎌田真社長は引責辞任した[9]。子会社の内、大三とコットン・ラボの2社の株式は、大三が同年6月30日に、コットン・ラボが同年8月21日にそれぞれ丸三産業へ譲渡され、同時にグループから離脱した。
民事再生スポンサー入札には同業のアース製薬やエステーの他にも、投資ファンドも入札したが、エステーは最終入札には参加しなかった[10]。2014年7月31日に民事再生スポンサーの選定先が発表され、アース製薬を民事再生スポンサーに選定すると同時に、白元がアース製薬に白元の全事業を75億円で譲渡する契約を締結した。アース製薬は8月5日に白元の受け皿となる完全子会社「白元アース株式会社」を設立した[11]。
2014年9月1日付で白元は、白元アースへ白元の全事業と従業員347名、5つの工場、有形固定資産・無形固定資産・知的財産・子会社株式・売掛金・買掛金・棚卸などの資産や負債を譲渡したと同時に「ゴキブリゾロゾロ」などの一部製品の製造も終了した。子会社の内、株式会社マザーズ(後に白元アースへ吸収合併)・香港白元有限公司・白元家庭用品(深圳)有限公司に関しては、白元アースへ譲渡されたが、UNI-KING OF HAWAII, INCに関しては白元アースへ譲渡されなかった[12][13]。事業譲渡手続き終了後も白元は清算手続を進め、2016年9月30日に清算手続が結了し、法人格が消滅した[14][15]。
- 1923年(大正12年):創業者・鎌田泉により、白元の前身となる鎌田商会を設立[2]。防虫剤、防臭剤の個人製造を開始する[2]。
- 1950年(昭和25年):株式会社に改組し、株式会社鎌田商会を設立[2]。
- 1953年(昭和28年):蛍光染料「白元」を発売[2]。看板商品となり、後の社名変更に影響。
- 1954年(昭和29年)7月29日:原因不明の失火により足立工場を焼失[2]。企業再生を宣言し、この日を設立記念日とする[2]。
- 1958年(昭和33年):洋服ダンス用防虫剤「パラゾール」発売[2]。同社を代表する看板商品となる。
- 1963年(昭和38年):冷蔵庫用脱臭剤「ノンスメル」発売[2]。後に脱臭剤は同商標で統一。
- 1965年(昭和40年):保冷袋「アイスノン」発売[2]。後にアイスノンは保冷枕で一躍有名となり、保冷枕の代名詞として知られるようになる。
- 1967年(昭和42年):大阪営業所を株式会社カマダとして分社化[2]。翌1968年(昭和43年)に日本樟脳油販売株式会社の製造部門を吸収合併する。
- 1971年(昭和46年):本社ビル竣工[2]。
- 1972年(昭和47年):「ソックタッチ」の発売を機に株式会社鎌田商会から株式会社 白元に社名変更[2](それまでは一般的な呼び方が「鎌田商会」よりも「パラゾール・白元本舗」の方が馴染んでいた)。
- 1974年(昭和49年)
- 1月:名古屋営業所を白元中部販売株式会社として分社化[2]
- 3月:株式会社カマダが白元西部販売株式会社に商号変更[2]
- 12月:白元商事株式会社を設立[2]
- 1975年(昭和50年):白元化工株式会社を設立[2]
- 1976年(昭和51年):かもめ流通株式会社を設立[2]
- 1979年(昭和54年):盛岡営業所を白元東北販売株式会社として分社化[2]
- 1980年(昭和55年):使い捨てカイロ「ホッカイロ」発売。ユニークなCMの宣伝効果もあり、一躍ヒット商品となる。
- 1988年(昭和63年):ニオイのつかない防虫剤「ミセスロイド」発売。エステー化学の「ムシューダ」と共にシェアを寡占する。
- 1989年(平成元年):白元東部販売株式会社を設立[2]
- 1991年(平成3年):株式会社テクノンに資本参加[2]
- 1994年(平成6年)
- 1月:販売会社5社(白元中部販売・白元西部販売・白元商事・白元東北販売・白元東部販売)を吸収合併[2]
- 12月:株式会社白元フォンテムを設立[2]
- 1996年(平成8年):白元プロダクト株式会社を設立[2]
- 1998年(平成10年):白元恒産株式会社を設立[2]
- 1999年(平成11年):ヤマト・インダストリー株式会社と合弁でサイズロック株式会社を設立[2]
- 2000年(平成12年)
- 2月:大正製薬株式会社から殺虫剤の販売に関する商標使用権を期限付で借り入れ、統一ブランド「ワイパア」で殺虫剤事業に参入。動機は、夏の主力商材を摸索していた(春秋は防虫剤、冬はカイロが主力だが、夏は決め手に欠いていた)背景がある。
- 9月:明治薬品工業株式会社を100%子会社化[2]
- 10月:高知県の中堅衛生用品メーカー大三株式会社及びグループ会社の株式会社大三メディカルを100%子会社化[2]
- 2002年(平成14年)
- 4月:株式会社テクノンが白元プロダクト株式会社を吸収合併、物流部門をかもめ流通株式会社へ統合、栗橋工場が株式会社サイズロックへ業務移管される[2]。
- 10月:株式会社マザーズ、白元工業株式会社を設立[2]
- 2003年(平成15年)
- 2005年(平成17年)
- 株式会社白元トレーディングと株式会社白元恒産が合併し、株式会社白元商事に商号変更[2]
- サイズロック株式会社・白元化工株式会社・白元工業株式会社の3社が合併し、株式会社白元化工に商号変更[2]
- 明治薬品工業株式会社の製造をキング科学株式会社に継承し、マザーズ株式会社・株式会社白元フォンテム・明治薬品工業株式会社の3社が合併し、株式会社マザーズに商号変更[2]
- 2006年(平成18年)
- 4月:鎌田真が代表取締役社長に就任
- 大三株式会社及びキング化学株式会社の家庭用品部門の営業部門を統合[2]。入浴剤(バスキング)や衛生用品がカテゴリに加わる。
- 株式会社白元化工が株式会社テクノンを吸収合併[2]
- 米原物流センターをかもめ流通株式会社から移管[2]
- 2007年(平成19年):株式会社白元化工、株式会社白元商事を吸収合併[2]
- 2008年(平成20年)
- 2月:かもめ流通株式会社を吸収合併[2]
- 4月:株式会社白元ワークスを設立[2]
- 2009年(平成21年):キング化学株式会社を吸収合併[2]。これにより、「バスキング」などの入浴剤や「グリーンゾル」などの製造を行うようになる(営業部門の統合により、既に白元ブランド化した製品もあった)。
- 2010年(平成22年):株式会社白元ワークスを吸収合併[2]
- 2011年(平成23年):丸三産業株式会社との共同出資により、コットンを中心とした医療用品や衛生用品等の製造・販売を行うコットン・ラボ株式会社を設立し、営業開始。
- 2013年(平成25年):第三者割当増資により、当社株式の一部を住友化学株式会社が取得し、同社からの出資を受ける。
- 2014年(平成26年)
- 1月15日:日本国内での使い捨てカイロ事業の販売を同年4月に興和株式会社へ譲渡することを発表。使い捨てカイロの製造については、1月に興和株式会社との合弁会社として興和白元古河ファクトリー株式会社(現・興和古河ファクトリー株式会社)を設立し、分社化[16]。
- 5月29日:民事再生法の適用を東京地裁へ申請。社長、鎌田真が引責辞任。
- 6月1日:社長代行に間瀬和秀(前取締役)が就任。
- 6月5日:民事再生手続開始決定。
- 6月30日:大三株式会社の株式を丸三産業株式会社に譲渡。
- 7月31日:民事再生スポンサーにアース製薬を選定。同時にアース製薬に白元の全事業並びに株式会社マザーズ・香港白元有限公司・白元家庭用品(深圳)有限公司の株式を75億円で譲渡する契約を締結。8月5日にアース製薬が白元の事業の受け皿になる完全子会社「白元アース株式会社」を設立。
- 8月19日:東京地裁がアース製薬への事業譲渡を許可[17]。
- 8月21日:コットン・ラボ株式会社の株式を丸三産業株式会社に譲渡。
- 8月27日:東京地裁から再生計画案の提出期限を、9月26日まで伸長されることが認められる[18]。
- 9月1日:アース製薬の完全子会社である白元アース株式会社に白元の事業並びに株式会社マザーズ(後に白元アースへ吸収合併)・香港白元有限公司・白元家庭用品(深圳)有限公司の株式を譲渡。事業譲渡後も白元は民事再生手続継続。
- 11月26日:東京地裁から9月26日に提出した再生計画案の認可を受ける[19]。
- 2016年(平成28年)9月30日:民事再生手続が結了。同時に法人格消滅[15]。93年の歴史に幕。
出典
白元. “白元の歩み”. 2014年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月31日閲覧。
- かつての関連会社
- 大三 - マスク・衛生用品などを製造。
- キング化学 - 入浴剤・殺虫剤などを製造。