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日本の元プロ野球選手 ウィキペディアから
渡辺 勝(わたなべ まさる、1993年10月14日 - )は、神奈川県横浜市港南区出身の社会人野球選手、元プロ野球選手(外野手)。右投左打。
横浜市立丸山台中学校時代は戸塚シニアに所属し、荒川博の主宰する「荒川道場」で打撃指導を受けた[1]。
東海大相模高校に進学後、1年秋から1番で活躍。1学年先輩のエース一二三慎太、大城卓三らを擁して、1年春の第82回選抜高等学校野球大会、2年夏の第92回全国高等学校野球選手権大会に出場。特に第92回大会では打率.429を記録し、準優勝に貢献した。決勝戦の興南高校戦では島袋洋奨から2安打を放っている[2]。翌年(2年春)には第83回選抜高等学校野球大会に出場し、1番打者として打率.417と活躍。決勝の三好匠、髙城俊人擁する九州国際大付属高校戦にて、三好から3安打を放ち、優勝に貢献した[3]。3年夏は神奈川県大会5回戦で乙坂智、近藤健介、柳裕也ら擁する横浜高校に敗れた。甲子園には通算11試合出場し、打率.408、49打数20安打7打点の成績を上げた。同期には菅野剛士、大学で共にプレーする田中俊太がいる。
東海大学に進学後、1年秋から試合に出場し、14年秋・15年春とベストナインを獲得。15年秋は打率.391を記録し、首都大学リーグMVPに輝いた[4]。3年時の全日本大学野球選手権大会にて優勝。野球部の同期に中川皓太、吉田侑樹がいる。
2015年10月22日のドラフト会議にて中日ドラゴンズに育成6巡目で指名され、支度金200万円、年俸300万円で入団。背番号は212。
2016年、二軍公式戦64試合に出場し、打率.275、1本塁打、21打点、8盗塁の成績を残した[5]。
2017年、二軍公式戦67試合に出場し、打率.228、3本塁打、16打点、3盗塁の成績を残した[6]。10月9日からのみやざきフェニックス・リーグでは、打率.324、5盗塁の好成績を挙げる[7]。11月25日から台湾で開催された2017アジアウインターベースボールリーグでは、NPBウエスタン選抜に選出された[8]。
2018年、シーズン終了後の11月18日に、球団より支配下選手契約への移行が発表された[9]。背番号は31。
2019年は、初の開幕一軍入りを果たし、プロ初安打を含む4安打を記録。
2020年は、前年に続き開幕一軍入りを果たすも、結果を残せず登録抹消となった。その後は二軍で復調し、ウエスタン・リーグ首位打者となる。その活躍が買われ、故障離脱した平田良介と入れ替わりで9月下旬に一軍再昇格となった[10]。しかし、翌月に体幹のコンディショニング不良により戦線を離脱し[11]、そのままシーズンを終えた。最終的に一軍では打率.200という結果だったが、二軍では規定打席未到達ながら打率.392、OPS.993という高成績を残した。
2021年は、シーズン後半の8月13日に出場選手登録され、同月17日の広島東洋カープ戦(バンテリンドーム)ではプロ入り初となる本塁打を放った[12]。その後もシーズン終了まで一軍帯同し、最終的には自己最多となる48試合に出場した。
2022年は、鵜飼航丞や岡林勇希ら若手選手の台頭もあり、一軍では10試合の出場にとどまった。10月4日、戦力外通告を受ける[13]。
2023年3月、日本野球連盟に新規加盟したばかりのクラブチーム・ARC九州に、6月の第47回全日本クラブ野球選手権大会福岡県予選から合流し、プレーを続けている[14][15]。コーチも兼任する[16]。
俊足巧打が魅力の外野手[17]。王貞治を育てた荒川博の最後の弟子として知られ、打撃フォームは王さながらの一本足打法が特徴[18]。
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