標式遺跡(ひょうしきいせき、type site)あるいは標準遺跡(ひょうじゅんいせき、standard site)は、考古学上の遺構、遺物またはその一連となる関連性の集合として定義される特定の型式、形式、様式、あるいは年代、文化期、文化層の命名、簡単に言えば時期区分名命名の契機を与えた遺跡、あるいはその基準となる遺構、遺物が検出された遺跡自身のことをいう。
概要
しばしば、長い時代にわたって営まれた遺跡が基準とされ、標式遺跡になることがある。標式遺跡は、普通、学史上の重要な遺跡になるので、時間がたつにつれ、研究が深化すると、その型式などの命名にふさわしくないことが後に判明しても混乱を避けるため変えないことが多い。
例えば、日本の関東地方の縄文時代については、土器の文様の変化が型式、時期区分名を決める基準になる。羽状縄文と呼ばれる前期の土器は、埼玉県蓮田市の関山貝塚から関山式、黒浜貝塚が黒浜式と命名の基準となった。東北地方では、仙台市の隣にある七ヶ浜町の大木囲貝塚が長い年代によって営まれたことから幾層にもわたる土器群の大木1~10式の型式名のもととなり、東北地方北部の縄文晩期を象徴する亀ヶ岡文化の標式遺跡は、岩手県大船渡市の大洞貝塚である。
日本の著名な標式遺跡の例
関東地方の縄文時代の標式遺跡
草創期
早期
前期
中期
後期
晩期
関東地方の弥生時代の標式遺跡
関東地方の古墳時代以降のかつての標式遺跡
全国的な奈良・平安時代の標式遺跡
地域的な奈良・平安時代の標式遺跡
美濃の古代・中世・近世の窯業遺跡
瀬戸・美濃地方は、猿投窯跡群で知られる古代から続く一大窯業地帯であり、古代については1961年に楢崎彰一の発表した編年以来、近世については、井上喜久男が1976年に発表した編年以来、標式となる良好な窯の一括遺物からいわゆる窯式編年が採用されてきた。そのため須恵器、灰釉陶器及び緑釉陶器などの瓷器、山茶碗については、窯式編年の標式となる窯跡が標式遺跡となっている。なお近世以降の連房式登窯の編年については、1990年の楢崎彰一の編年以降は、標式遺跡となる窯跡を時期区分にあてはめる傾向になり窯式編年の要素は弱まっている。
7世紀の須恵器窯跡
8世紀の須恵器,瓷器窯跡
9世紀の須恵器,瓷器窯跡
10世紀の須恵器,瓷器窯跡
- 折戸53号窯跡(愛知県みよし市、O-53窯式)
- 東山72号窯跡(名古屋市千種区園山町、H-72窯式)
11世紀の須恵器,瓷器窯跡
- 百代寺窯跡(瀬戸市大字山口、百代寺窯式)
近世美濃窯における編年
近世瀬戸美濃窯の編年においては、井上喜久男が1976年に発表した編年は、17世紀を、元屋敷窯、窯ヶ根窯、清安寺窯によって区分する窯式編年であった。その後、1984年の田口昭三が標式窯を新旧関係ごとに五期にならべる編年を提示した。最近では、1989年に藤澤良祐による瀬戸窯の研究で前期をI期、同様に中期をII期、後期をIII期としてさらに全体を11小期に細分する編年が提示され、おおきく1668年までを前期、1772年ないし75年までを中期、1868年までを後期と把らえるようになった。美濃窯においては、楢崎彰一が1990年に発表した編年において前期をI期とII期に細分、後期をIV期とV期に細分してそれぞれの標式窯をあてはめる編年、さらに1994年に田口昭三が連房Iから連房Vに区分し、それぞれの標式窯をあてはめる編年となっている。
田口昭三(1984年)
- I期(1600年~1630年頃)
- 元屋敷窯
- II期(1630年~1680年頃)
- 窯ヶ根窯、清安寺窯
- III期(1680年~1750年頃)
- 乙塚東窯、平野西窯
- IV期(1750年~1800年頃)
- 門田窯、四ッ屋窯
- V期(1800年~1868年頃)
- 水神窯、白粉窯
楢崎彰一(1990年)
- 前期(1605年~1668年頃)
- I期
- 元屋敷窯
- 窯ヶ根窯
- II期
- 清安寺窯(清安寺窯式、~1650年頃まで)
- 田ノ尻窯
- 中期(1668年~1772 or 75年頃)
- III期
- 乙塚東窯
- 可児郷窯(可児郷窯式、~1725年頃まで)
- 下原窯(下原窯式、~1750年頃まで)
- 上手向窯、日向窯
- 後期(1772 or '75年~1868年)
- IV期
- 平野東窯
- 水神窯I
- 水神窯II
- V期
- 白粉窯
世界の著名な標式遺跡の例
インダス文明
中国
ヨーロッパ
北米
- →クローヴィス文化、クローヴィス型尖頭器命名の起源となる。)
- フォルサム(アメリカ合衆国、ニューメキシコ州東部)
- →クローヴィス文化を受け継ぐフォルサム文化、フォルサム型尖頭器命名の起源となる。)
メソアメリカ
- テオティワカンについては、街区名や地域名が用いられる。e.g.ミッカオトリ(=死者の大通り)期
- 先古典期中期から古典期後期までの時期区分名が用いられる。他の遺跡にも独自の時期区分がありつつも比較検討のためにワシャクトゥンの時期区分(phaseと呼ばれるので「相」、又ceramic complexが多用されるので「土器複合」)名が使用される。
e.g.先古典期中期後半(マモム期)、先古典期後期(チカネル期)、古典期前期(ツァコル期)、古典期後期(テペウ期)
- 南部高地→カミナルフュー
アンデス
- クピスニケ→クピスニケ文化
- チャビン・デ・ワンタル→チャビン文化
- ティワナク→ティワナク文化
- ワリ→ワリ文化
関連項目
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