森山佳郎

日本のサッカー選手、監督 ウィキペディアから

森山 佳郎(もりやま よしろう、1967年11月9日 - )は、日本の元サッカー選手DF)、指導者。熊本県熊本市東区出身。元サッカー日本代表JFA公認S級コーチ。2024年より日本プロサッカーリーグベガルタ仙台の監督を務めている。

概要 森山 佳郎, 名前 ...
森山 佳郎
名前
愛称 ゴリ[注 1]
カタカナ モリヤマ ヨシロウ
ラテン文字 MORIYAMA Yoshiro
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1967-11-09) 1967年11月9日(57歳)
出身地 熊本県熊本市東区
身長 175cm
体重 72kg
選手情報
ポジション DF / MF
利き足 右足
ユース
熊本市立東町小学校
1980-1982 熊本市立錦ヶ丘中学校
1983-1985 熊本県立第二高等学校
1987-1990 筑波大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1995 マツダ/サンフレッチェ広島 97 (4)
1996-1997 横浜フリューゲルス 53 (1)
1998 ジュビロ磐田 0 (0)
1999 ベルマーレ平塚 18 (0)
通算 168 (5)
代表歴2
1994 日本 7 (0)
監督歴
2000-2002 広島ユースコーチ
2002-2012 広島ユース
2015-2023  日本U-17
2024- ベガルタ仙台
1. 国内リーグ戦に限る。2007年10月17日現在。
2. 2007年10月17日現在。
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選手経歴

プロ入り前

熊本市立東町小学校時代からサッカーを始めるも一時サッカーが嫌いになり、熊本市立錦ヶ丘中学校入学と同時にバスケットボール部へ入部したが、中学2年の時にサッカー部へ編入している[1]

熊本県立第二高等学校から筑波大学へ進学しようとするも入学願書の期日を間違えてしまい、結局一浪してしまう。

その後、大学サッカーの名門筑波大学へ一般入試で進学する[3]。そのため井原正巳中山雅史は同じ歳であるが、彼らは大学の1年先輩である。大学時代のほとんどをCチーム(3軍)に所属し公式戦には出られず、4年生になってようやくトップチームで試合に出られるようになる[3]

マツダ/サンフレッチェ

卒業後は教員になるつもりだったが採用試験に落ちてしまい、練習に参加していた富士通サッカー部からも声がかからなかった[4]。そこで、大学の先輩・今西和男のスカウトもあり、マツダに入社しマツダサッカークラブ(現サンフレッチェ広島)に入団する[3]。同期は森秀昭柳本啓成笛真人路木健松山大輔小倉一浩。入団1年からJリーグプレ開幕戦として開催されたナビスコ杯に出場するなど順風満帆なスタートを切った。が、右SBは柳本啓成がレギュラーとなり途中出場が続いた。

1993年8月柳本が怪我による負傷欠場、翌1994年CBに怪我人が続出したため柳本がCBにコンバート、それに伴い右SBのレギュラーを獲得した。サントリーシリーズでは、広島のステージ優勝に貢献する[注 2]などの活躍が認められ日本代表に選出される[3] までになった。翌1995年、この年より監督に就任したビム・ヤンセンの評価を得ることができず出場機会も減少。この年限りで広島を退団。

その後横浜フリューゲルスジュビロ磐田ベルマーレ平塚でプレーする。平塚時代ではキャプテンを務めたが、古傷の左足変形性膝関節症が悪化し、1999年のシーズンをもって現役引退する[3]

指導者経歴

要約
視点

広島ユースからU-17サッカー日本代表監督へ

気持ちには引力がある

森山佳郎[5]

引退後は、イングランドにコーチ留学を行おうとしていたが、今西に誘われ、サンフレッチェ広島ユースのコーチに就任する[3]。2002年8月に当時ユース監督であった中村重和アビスパ福岡監督就任[6] に伴い、同ユースの監督に昇格した。

2013年、森山を評価する原博実の要請に応じて[7] 広島ユース監督を退任し、同クラブ強化部の育成コーチ兼ナショナルトレセン中国地区担当コーチに就任し、JFA 公認S級コーチライセンス取得を目指す[8]。また兼任する形で2015 FIFA U-17ワールドカップ出場を目指す、吉武博文率いるU-15日本代表アシスタントコーチに就任した。

2015年に日本サッカー協会に籍を移し、U-15日本代表監督に就任した。

2016年、AFC U-16選手権2016インド)に出場するU-16サッカー日本代表監督としてチームの指揮を執り、ベスト4に進出させて2017 FIFA U-17ワールドカップ(インド)への出場権を獲得することに成功した[9]

2023年、AFC U17アジアカップ2023バーレーン)→(タイ)で初戦のウズベキスタンには前半8分に先制しながらも試合終盤に追いつかれて1-1の引き分けに終わる。2戦目のベトナムには4-0で勝利し3戦目のインドには後半に4失点を喫して8-4という乱打戦になりながらもグループリーグ1位通過。勝利すれば2023 FIFA U-17ワールドカップインドネシア)出場が決まる準々決勝のオーストラリア戦で62分に失点するも3-1で勝利したことで3大会連続のFIFA U-17ワールドカップ出場権を獲得した[10]。続く準決勝のイランに3-0で勝利し、決勝の韓国との日韓対決でも3-0で勝利したことで日本を史上初のアジア連覇に導いた[11]

2023 FIFA U-17ワールドカップペルー)→(インドネシア)で初戦のポーランドに後半32分に先制点を奪って1-0で勝利するも[12]、続くアルゼンチン戦は後半に1点を返すも前半の2失点が重くのしかかり、終了間際にもトドメの失点を喫して1-3で敗戦[13]。負け以外でベスト16進出が決まる3戦目のセネガル戦では後半に2得点を奪って2-0で勝利しグループD3位通過を決める[14]。自身が監督を務め2大会連続で超えられなかったラウンド16ではグループB1位通過のスペインと対戦。前半8分に先制点を献上し、一時は同点に追いつくも74分に勝ち越しゴールを許して1-2で敗戦。3大会連続のベスト16敗退に終わった[15]。大会終了後、U-17サッカー日本代表監督からの退任が発表された[16]

ベガルタ仙台監督

2024年よりベガルタ仙台のトップチーム監督に就任[17]庄子春男ゼネラルマネージャーと登壇した就任会見では「宮城・仙台のみなさんに必要とされ、愛されて、そして応援されるクラブにしていかなくてはならない。」「ホームグロウンの数を増やす。」「仙台がJ1に必ず上がっていかなくてはならない。」などと就任への決意として3つの柱を挙げた[18]。プロチームの指揮は初めてながら、わずか就任5か月で月間最優秀監督に選ばれた[19][20]

人物

現役時代は豊富な運動量とガッツ溢れるプレーで活躍した右サイドバック。親近感が持たれる性格でチームのムードメーカーでもあった。

熱心な指導をするサッカー指導者であり[注 3][22]、広島ユースを高円宮杯3度優勝に導くなど強豪チームに成長させ、トップチームで活躍し日本代表に選ばれる選手を育て上げるなど、高校年代の指導者として高い評価を得ている[1][23]

娘はお笑い芸人の森山あすか

所属クラブ

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本リーグ戦JSL杯/ナビスコ杯天皇杯期間通算
1991-92マツダ15JSL1部2021
1992広島-J-600060
19932926040392
19944201030460
1995242-30272
1996横浜F26110110372
199722706000330
1998磐田1700100010
1999平塚2J11801000190
通算日本J1 16653111102086
日本JSL1部 2021
総通算 16853321102086
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その他の公式戦

代表歴

試合数

  • 国際Aマッチ 7試合 0得点(1994年)
さらに見る 日本代表, 国際Aマッチ ...
日本代表国際Aマッチ
出場得点
199470
通算 70
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出場

さらに見る No., 開催日 ...
No.開催日開催都市スタジアム対戦相手結果監督大会
1.1994年07月08日日本の旗愛知県名古屋市瑞穂公園陸上競技場 ガーナ○3-2パウロ・ロベルト・ファルカンアシックスカップ
2.1994年07月14日日本の旗愛知県神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 ガーナ○2-1アシックスカップ
3.1994年09月27日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 オーストラリア△0-0国際親善試合
4.1994年10月03日日本の旗広島県みよし運動公園陸上競技場 アラブ首長国連邦△1-1アジア大会
5.1994年10月05日日本の旗広島県広島県総合グランドメインスタジアム カタール△1-1アジア大会
6.1994年10月09日日本の旗広島県広島県立びんご運動公園陸上競技場 ミャンマー○5-0アジア大会
7.1994年10月11日日本の旗広島県広島県総合グランドメインスタジアム 韓国●2-3アジア大会
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指導歴

  • 2000年 - 2012年 日本の旗 サンフレッチェ広島
    • 2000年 - 2000年8月 ユース コーチ
    • 2000年8月 - 2012年 ユース 監督
  • 2013年 - 2023年 日本の旗 日本サッカー協会
    • 2013年 U-15日本代表/JFAナショナルトレセンコーチ中国
    • 2014年 U-16日本代表/JFAナショナルトレセンコーチ中国
    • 2015年 U-15日本代表 監督
    • 2016年 U-16日本代表 監督
    • 2017年 U-17日本代表 監督
    • 2018年 U-16日本代表 監督
    • 2019年 U-15/U-17日本代表 監督
    • 2020年 U-16日本代表 監督
    • 2021年 U-16/U-17日本代表 監督
    • 2022年 U-16日本代表 監督
    • 2023年 U-17日本代表 監督
  • 2024年 - 日本の旗 ベガルタ仙台 監督

監督成績

さらに見る 年度, 所属 ...
年度所属クラブリーグ戦カップ戦
順位勝点試合ルヴァンカップ天皇杯
2024J2仙台6位64381810101回戦敗退2回戦敗退
2025
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タイトル

指導者時代

代表

U-17日本代表
  • AFC U17アジアカップ:2回(20182023

個人

  • 明治安田J2リーグ月間優秀監督賞:1回(2024年5月)

脚注

参考資料

関連項目

外部リンク

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