Remove ads
佐賀県(肥前国)の郡 ウィキペディアから
人口36,011人、面積135.94km²、人口密度265人/km²。(2024年11月1日、推計人口)[注釈 1]
以下の3町を含む。
杵島郡は、古くは[1]「肥前国風土記」「延喜式」などに見えて、「和名抄」では「岐志万」と記す。 景行天皇が九州巡幸[1]した時、この郡にある磐田杵之村(いはたきのむら)に御船を停泊させた。その時、従って来た船の牂戨(かし)の穴から自然と冷水が湧いたため、転じて杵島と呼ばれる。郡は多駄(大陀)・杵島(木之万)・能伊(乃意)・島見(志万美)の4郷である。
鎌倉時代の主な在地領主は、塚崎の後藤氏・武雄社大宮司職を相伝する武雄氏・白石の白石氏[注釈 2]などがある。
室町時代には、同郡では後藤氏が台頭していて、小城郡の千葉氏も勢力を伸ばしている。後藤氏は竜造寺氏と長らく対立していたが、龍造寺隆信の三男の家信が養子に入っている。以後、子孫は武雄鍋島家として続く。(肥前武雄領2万1600石(物成8640石)・龍造寺一門)
江戸時代に全域が佐賀藩領になり、佐賀本藩領と蓮池領が混在していた。
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和34年 | 昭和35年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
武雄町 | 武雄町 | 昭和29年4月1日 武雄市 |
武雄市 | 平成18年3月1日 武雄市 |
武雄市 | ||
武雄村 | 明治33年6月7日 武雄町に編入 | ||||||
朝日村 | 朝日村 | ||||||
若木村 | 若木村 | ||||||
武内村 | 武内村 | ||||||
東川登村 | 東川登村 | ||||||
西川登村 | 西川登村 | ||||||
橘村 | 橘村 | ||||||
住吉村 | 住吉村 | 昭和29年4月1日 山内村 |
昭和35年9月1日 町制 | ||||
中通村 | 中通村 | ||||||
北方村 | 昭和19年4月29日 町制 |
北方町 | 北方町 | ||||
橋下村 | 橋下村 | 昭和31年4月1日 北方町に編入 (芦原、大渡の一部) | |||||
昭和31年4月1日 白石町に編入 (大渡の一部) |
白石町 | 平成17年1月1日 白石町 |
白石町 | ||||
福治村 | 昭和11年4月1日 町制改称 白石町 |
昭和30年7月20日 白石町 | |||||
須古村 | 須古村 | ||||||
六角村 | 六角村 | ||||||
北有明村 | 北有明村 | 昭和31年7月1日 白石町に編入 | |||||
南有明村 | 南有明村 | 南有明村 | 昭和30年9月30日 有明村 |
昭和37年10月1日 町制 | |||
錦江村 | 錦江村 | 昭和30年4月1日 有明村 | |||||
竜王村 | 竜王村 | ||||||
福富村 | 福富村 | 福富村 | 昭和42年4月1日 町制 | ||||
大町村 | 昭和11年1月1日 町制 |
大町町 | 大町町 | 大町町 | 大町町 | ||
小田村 | 昭和7年4月1日 江北村 |
昭和27年4月1日 町制 |
江北町 | 江北町 | 江北町 | ||
山口村 | |||||||
佐留志村 | |||||||
小城郡 砥川村の一部 |
小城郡 砥川村の一部 |
昭和31年9月30日 江北町に編入 |
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治11年(1878年)10月28日 | |||
明治16年(1883年)5月8日 | 佐賀県に移管 |
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治16年(1883年)5月9日 | |||
大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.