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茨城県古河市横山町にある日蓮宗の寺院 ウィキペディアから
本成寺(ほんじょうじ)は、茨城県古河市横山町(五丁目)にある日蓮宗の寺院。正式には、山号を長久山、院号を妙光院、寺号を本成寺という[1]。旧本山は、大本山本圀寺(六条門流)。小西法縁。
本成寺 | |
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所在地 | 茨城県古河市横山町3-10-43 |
位置 | 北緯36度12分06.652秒 東経139度42分18.781秒 |
山号 | 長久山 |
宗派 | 日蓮宗 |
創建年 | 正和3年(1314年) |
開基 | 日印上人 |
中興年 | 延宝年間(1673年~1680年) |
中興 | 日禎上人 |
正式名 | 長久山 妙光院 本成寺 |
文化財 | 法清院殿の墓(市指定・史跡)他 |
法人番号 | 8050005005718 |
鎌倉時代の正和3年(1314年)、日印上人が鎌倉に開基したのち、天文年間(1532年~1555年)に下総国猿島郡伏木村(現在の茨城県境町森戸)に移転し、さらに江戸時代の慶長7年(1602年)、古河城下北端の現在地に移転したとされる。[2][3]
なお、江戸時代の古河移転に関しては、延宝年間(1673年~1680年)、古河城主・土井利益の母・法清院の菩提を弔うために、法清院の兄弟であった日禎(にっしん)上人により伏木村から移されたとも考えられている。[1] [4]
赤く塗られた山門が目を引く。本堂のほか、瘡守稲荷、鬼子母神堂、三十番神堂がある。[1]
後述する法清院の墓・河口信任の墓・小出重固の墓の他に、明治期の文化人・武藤松庵の墓がある。武藤松庵は天保10年(1839年)に古河で生まれ、池坊総華督として華道の全国普及に尽くしたほか、写真術を習得し、明治3年(1870年)に取り壊し直前の古河城の写真を残した。大正3年(1914年)没。[2] [5][6]
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