明治大学ラグビー部

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明治大学体育会ラグビー部(めいじだいがくたいいくかいラグビーぶ、: MEIJI UNIVERSITY Rugby Football Club)は、関東大学ラグビー対抗戦Aグループに所属する明治大学ラグビー(ラグビーユニオン)部である。愛称メイジ。略称明大(めいだい)。 全国タイトル22回(全国大学タイトル21回・日本選手権1回)および全国大学タイトル21回(東西対抗8回・大学選手権13回)を誇る。また7人制では、ジャパンセブンズ優勝1回・YC&AC JAPAN SEVENS優勝2回・東日本大学セブンズ優勝3回を誇る。

概要 原語表記, クラブカラー ...
明治大学ラグビー部
原語表記 明治大学体育会ラグビー部
クラブカラー   紫紺
愛称 メイジ
創設年 1923年
代表 西村弥(部長)
監督 神鳥裕之
ヘッドコーチ 伊藤宏明
所属リーグ 関東大学ラグビー対抗戦グループ
ファースト
ジャージ
公式サイト
https://www.meijirugby.jp
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概要

要約
視点
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明治大学ラグビー部(1928年、前列右から2人目が北島忠治[1]
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ラグビー明早戦(1938年12月4日)
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明早戦は1973年〜2013年まで国立競技場で開催されていた。

明治大学で14番目の運動部として1922年に創部された(翌1923年に正式承認)。

部のエンブレムはペガサス。「重戦車」と呼ばれる強力FWがチームの特徴であるが、黄金期にはBKにも好選手を擁していた。

北島忠治1929年から67年間指揮を執り、彼が言い続けた「前へ」を合言葉に日本選手権1回、大学選手権13回優勝の名門に作り上げた。

長きに亘り、人気・実力共に大学ラグビーの中心的な存在であり、特に早稲田大学との対戦は「明早戦」(早明戦)と呼ばれ、日本ラグビー界を代表する伝統の一戦とされる。

1969年に選手の丸刈り制を廃止。1972年度から1982年度まで11年連続で大学選手権決勝進出、その内5回優勝している。

1982年12月5日、空前のラグビーブームのなか明早戦が行われた国立競技場は、有料入場券発売が66,999枚を記録し、1964年東京オリンピックの開会式と閉会式の販売枚数に次いで歴代3位となった[2][3]。当時の国立競技場の定員は62,064人だったが、前売り4万枚に加え、当日券約2万枚を求めて会場外に多くの人が集まったため、当日来場しない1〜2割の人数を見込んで、追加発売したことによるものだった。これによる観客席の混乱はなかったという[4]。また、当時は正確な入場者数が把握できず、「有料入場券発売枚数」を公式な人数として発表していた[4]

1990年代には対抗戦優勝8回、大学選手権優勝5回・準優勝3回と圧倒的な強さを誇った[5]

2006年3月、部員が騒音を出し続けたため慢性的な睡眠不足になったとして、合宿所近くの住民が明治大学を相手取って慰謝料を求めた。東京地裁は明治大学に計45万円の慰謝料の支払いを命じた[6][7]

2008年度はシーズン中盤から終盤にかけて4連敗を喫し対抗戦で6位となり、24年ぶりに大学選手権出場を逃した。

2010年度の対抗戦では全勝で明早戦を迎え、12年ぶりの優勝に王手をかけたが、早稲田大学に15-31で敗れ復活優勝はならなかった。同年度の大学選手権準決勝でも早稲田大学と再戦したが10-74で完敗した。この74失点は2007年度の対抗戦における71失点を上回り、早稲田大学戦での最多失点となった。

2012年度は大学選手権を含めて100回目となる明早戦を後半ロスタイムで逆転勝利し、筑波大学帝京大学と同率ながら14年ぶりの対抗戦グループ優勝を飾った。

2013年度は3勝4敗と負け越したが、青山学院大学と同率の5位で大学選手権に出場した。なお国立競技場改修前に行われた最後の明早戦は、明治が先制するも早稲田に逆転され敗れた。

2014年度からは、対抗戦の明早戦は秩父宮ラグビー場で開催されている。

2015年度は明早戦に3年ぶりに勝利し、帝京大学と同率ながら3年ぶりの対抗戦グループ優勝を飾った。

2017年度は19年ぶりに大学選手権で決勝進出を果たしたが、帝京大学に1点差で敗れた。

2018年度は2年連続で大学選手権決勝に進出し、天理大学を破り22年振り13回目の優勝を果たした。

2019年度は3年連続で大学選手権決勝に進出したが、早稲田大学に敗れた。なおこの試合は国立競技場で初めて開催されたラグビーの試合だった。

タイトル

※年は全て年度。

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2020大学選手権決勝における明早戦国立競技場

ラグビー日本代表

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W杯2019日本大会後に首相官邸を表敬訪問した日本ラグビー協会会長の森重隆とチーム司令塔を務めた田村優

多くの関係者が日本代表の選手や監督に選出されており、これまでに90名以上の選手(※ラグビー日本代表歴代キャップ保持者一覧より)、5名の監督、HC(※ラグビー日本代表より)が誕生している。

国際交流

日本のラグビーチームとしては最も早期とされる1927年12月に上海遠征を行っており、またそれが縁となって、約1ヵ月後の1928年1月に来日した上海駐屯ウェールズ連隊が、初めて来日した海外のラグビーチームとされている[14]。以来、欧米各国や香港の代表チームとの間で、日本代表チームとは別に、明大ラグビー部単独チームとして交流試合などを行ってきた国際交流の歴史をもつ。

中でも1950年代以降、オックスフォード大学ラグビー部(1869年創部)、ケンブリッジ大学ラグビー部(1872年創部)の両チームとは、両校が来日した際には日本代表チームとは別に、明大ラグビー部単独チームとして交流試合を開催するなど、特別な国際交流を行ってきた歴史をもつ。

近年では、コロナ禍前の2018年にイェール大学(1875年創部)、シドニー大学(1863年創部)などを個別に明大グランドに招聘し、ウェルカムパーティ、アフターマッチファンクションなども交えた国際交流イベントを開催するなど親睦を深めている。また、OBも交えた「オール明治」としての試合なども開催している[15]

主要な国際親善試合(記事作成済みのもののみ)

早慶2校との対戦成績

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ノーサイド後に健闘を称え合う明慶両校の選手(2011年11月・慶應義塾大学戦・秩父宮ラグビー場

早稲田大学

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大会 試合数 明治大学
勝利
引き分け 早稲田大学
勝利
関東大学対抗戦
(定期戦・明早戦
10042256
大学選手権16907
合計11651263
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※招待試合・練習試合・ジュニア選手権等は含まない。2024年度現在。

慶應義塾大学

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大会 試合数 明治大学
勝利
引き分け 慶應義塾大学
勝利
関東大学対抗戦
(定期戦・明慶戦
9958338
大学選手権8611
合計10764439
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※招待試合・練習試合・ジュニア選手権等は含まない。2024年度現在。

戦績

要約
視点

近年のチームの戦績は以下のとおり。

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年度所属勝敗順位監督主将大学選手権
1986年-10勝0敗1位北島忠治高橋善幸準決勝 3-11 大東文化大学
1987年-8勝2敗3位北島忠治大西一平1回戦 0-10 大阪体育大学
1988年-9勝1敗1位北島忠治安東文明優勝 決勝 13-13 大東文化大学[9]
1989年-8勝2敗4位北島忠治竹ノ内弘典1回戦 10-21 大阪体育大学
1990年-8勝1分1位[11]北島忠治吉田義人優勝 決勝 16-13 早稲田大学
1991年-9勝0敗1位北島忠治小村淳優勝 決勝 19-3 大東文化大学
1992年-9勝0敗1位北島忠治永友洋司準決勝 18-42 法政大学
1993年-9勝0敗1位北島忠治元木由記雄優勝 決勝 41-12 法政大学
1994年-9勝0敗1位北島忠治南條賢太準優勝 決勝 17-22 大東文化大学
1995年-7勝2敗2位北島忠治信野將人優勝 決勝 43-9 早稲田大学
1996年-9勝0敗1位北島忠治 →寺西博松本幸雄優勝 決勝 32-22 早稲田大学
1997年A7勝0敗1位-田中澄憲準優勝 決勝 17-30 関東学院大学
1998年A6勝0敗1位金谷福身(HC)山岡俊準優勝 決勝 28-47 関東学院大学
1999年A5勝2敗3位金谷福身(HC)斉藤祐也2回戦 17-21 関東学院大学
2000年A5勝2敗2位田中充洋桜井崇将2回戦 14-46 同志社大学
2001年A5勝2敗3位田中充洋松原裕司2回戦 31-42 関東学院大学
2002年A5勝2敗3位境政義伊藤太進1回戦 43-48 近畿大学
2003年A4勝3敗4位境政義小堀正博2回戦 プール戦Bグループ 0勝3敗
2004年A5勝2敗3位境政義黒田崇司2回戦 7-38 法政大学
2005年A4勝3敗4位境政義高野彬夫1回戦 24-43 大阪体育大学
2006年A5勝2敗2位藤田剛(HC)日和佐豊2回戦 14-28 大阪体育大学
2007年A5勝1敗1分2位藤田剛(HC)上野隆太準決勝 27-34 慶應義塾大学
2008年A3勝4敗6位藤田剛杉本晃一不出場
2009年A3勝4敗5位吉田義人金澤章太
西原忠佑
準決勝 12-43 帝京大学
2010年A6勝1敗3位吉田義人杉本博昭準決勝 10-74 早稲田大学
2011年A5勝2敗2位[16]吉田義人溝口裕哉2回戦 9-11 筑波大学
2012年A6勝1敗1位[12]吉田義人竹内健人セカンドステージ敗退
2013年A3勝4敗5位[17]丹羽政彦圓生正義セカンドステージ敗退
2014年A5勝2敗3位丹羽政彦勝木来幸セカンドステージ敗退
2015年A6勝1敗1位[13]丹羽政彦中村駿太準決勝 19-28 東海大学
2016年A5勝2敗3位丹羽政彦桶谷宗汰3回戦 22-26 京都産業大学
2017年A5勝2敗2位[18]丹羽政彦古川満準優勝 決勝 20-21 帝京大学
2018年A5勝2敗3位[19]田中澄憲福田健太優勝 決勝 22-17 天理大学
2019年A7勝0敗1位田中澄憲武井日向準優勝 決勝 35-45 早稲田大学
2020年A7勝0敗1位田中澄憲箸本龍雅準決勝 15-41 天理大学 
2021年A5勝2敗3位神鳥裕之飯沼蓮準優勝 決勝 14-27 帝京大学 
2022年A6勝1敗2位神鳥裕之石田吉平準々決勝 21-27 早稲田大学
2023年A6勝1敗2位神鳥裕之廣瀬雄也準優勝 決勝 15-34 帝京大学 
2024年A5勝2敗3位神鳥裕之木戸大士郎準決勝 26-34 帝京大学 
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1975年度の日本一

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