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日本のラグビー選手、コーチ ウィキペディアから
永友 洋司(ながとも ようじ、1971年3月14日 - )は 日本の元ラグビー選手、指導者。現在ジャパンラグビーリーグワン横浜キヤノンイーグルスのGMを務めている。2024年6月1日から、日本ラグビーフットボール協会所属で15人制男子日本代表のチームディレクターに就任[1]。
都城高校入学後にラグビーを始める[2]。兄がラグビーをやっていたこと、1985年の日本代表vsフランス代表を見て、同じ宮崎県出身の小西義光が活躍しているのに触発されたことが、ラグビーを始めたきっかけだった[2]。高校入学後はめきめきと実力を発揮し、1987年全国高校ラグビー選手権ではベスト4[3] まで進出した。この活躍が認められ、高校日本代表に選出された。
1989年、明治大学に進学。1年次から試合に出場[4] し、対抗戦グループ3連覇(1990年 - 1992年)、大学選手権連覇(1990年 - 1991年)に貢献。4年次(1992年)には主将も務めた[4]。大学在学中にも各年代の日本代表(Under23代表、学生日本代表、日本A代表)に選出された。
明大卒業後は、サントリーに入社。これも小西への憧憬の念があったからである[2]。入社1年目の1993年に、エディンバラ(スコットランド)で開催された第1回ラグビーワールドカップセブンズ日本代表に選出された。
サントリー(現・東京サントリーサンゴリアス)でもレギュラーを獲得し、清宮克幸の後を継いで1995年から4年間、第8代目主将を務めた[2][4]。
現役時代最大のハイライトは、第48回全国社会人大会で、神戸製鋼(現・コベルコ神戸スティーラーズ)の連覇を阻んだ事である。1996年1月28日の決勝トーナメント1回戦で、17-20でリードされていた終了間際に永友はペナルティゴール(PG)を決め、20-20の同点に持ち込んだ。トライ数の差(サントリー3、神戸製鋼2)により、サントリーが準決勝に進出。神戸製鋼の8連覇の夢は潰えた[5][6]。2月11日の決勝・三洋電機(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)戦では、序盤に三洋電機に主導権を握られるが、20-27で迎えた終了間際のトライにより2点差とし、その後のコンバージョンゴールを永友が決め、27-27で試合終了[5]。そしてまたもトライ数の差(サントリー4、三洋電機3)により、遂にサントリーの全国社会人ラグビーフットボール大会初優勝を成し遂げた[5]。同年の日本選手権でも母校の明大に49-24で圧勝し、同大会初優勝。
以後、サントリー在籍中に3度の全国社会人大会優勝、日本選手権優勝を達成し、サントリーの黄金時代を築いた。2002年度シーズンで現役引退した。
2003年より指導者の道に転じ、2006年までサントリーサンゴリアス監督を務めた。
その後、仙台ラグビースクールのコーチ[7]、日本A代表アシスタントコーチを経て、2012年より2017年1月までキヤノンイーグルス監督を務める[8]。2017年3月、日本ラグビー協会の15人制日本代表強化部長兼強化副委員長に就任。2017年9月キャノンイーグルスのGMに就任[9]。また東日本大震災復興プロジェクト「スポーツこころのプロジェクト」の夢先生にも登録し、ラグビーの啓蒙活動も行っている。
ラグビーを始める前はサッカーをやっていた事もあり、キック力や正確さに定評があった[2]。全国社会人ラグビーフットボール大会での2度の同点劇に見られるように、ここ一番での精神力も強かったと伝わっている。
2024年6月1日から、15人制男子日本代表のチームディレクターを務める[1]。
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