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戦前日本の専門学校令に基づく外国語教育機関 ウィキペディアから
この項目では、戦前の日本に存在した旧制専門学校のうち外国語の専門教育を行った旧制外国語学校(きゅうせいがいこくごがっこう)について述べる。これは第二次世界大戦中に「外事専門学校」(もしくは語学専門学校)と改称された一群の旧制高等教育機関を指す(したがって各種学校として設立された外国語学校とは異なる)。
なお「前史」ともいうべき明治初期の状況については外国語学校 (明治初期)を参照のこと。
幕末期から明治維新期にかけ、全国に官公私立の外国語学校が多数設立されたが、多くは廃止されるか旧制中学校に転換され、中等・高等教育機関としては東京・大阪の官立3校のみが残った。このうち東京外国語学校(旧外語)を除く2校は、高等中学校 - 旧制高等学校に改組された。最後まで残った東京外国語学校も1885年には東京商業学校(一橋大学の前身)に併合され官立外国語学校は一時消滅した。
1897年、東京商業学校の後身である高等商業学校の附属として外国語学校が設置、さらに2年後の99年には東京外国語学校として独立した。ついで1910年代に入ると、第一次世界大戦の時期における、大戦景気において、日本のアジア市場への進出が進んだことで、貿易や外交を担う人材の育成の観点から、外国語学校の増設が求められるようになった。そのことを受けて、1920年代になると、21年に大阪外国語学校、27年には私立最初の専門学校令による外国語学校として天理外国語学校(天理大学の前身)が設立された。これらの外国語学校は外交・貿易・布教など海外活動実務者の養成機関として位置づけられ、旧制高等学校 - 帝国大学進学者にとって必須の教養であった英語・仏語・独語のみならず、支那語・露語・西語・葡語・馬来語・印度諸言語など、よりマイナーな語学の教育を重視していたという点に特徴がある。
1944年以後各外国語学校はおおむね「外事専門学校」と改称、基本的には戦後の学制改革まで引き継がれた。またこの際、私立専門学校で外専に転換するものもあった。戦争終結後の1946年、旧制校としては最末期のものになる神戸・小倉の公立外専2校が設立された。1949年の学制改革による新制大学設立に際し、これらの外専の多くは4年制大学(一部は短期大学)に包括・吸収され1951年に廃止となった。
1877年以前については外国語学校 (明治初期)も参照
東京外国語学校(1899年(1873年)・現東京外国語大学)
大阪外国語学校(1921年・現大阪大学大学院人文学研究科言語社会専攻・大阪大学外国語学部)
神戸市立外事専門学校(1946年・現神戸市外国語大学)
天理外国語学校(1927年・現天理大学)
善隣外事専門学校(1944年・廃校)
東亜外事専門学校(1944年・現麗澤大学)
同志社外事専門学校(1944年・現同志社大学)
福岡外事専門学校(1947年・現福岡大学)
京都外国語学校(1947年・現京都外国語大学)
松山語学専門学校(1947年・松山外国語短期大学→廃止)
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