日本文学大賞(にほんぶんがくたいしょう)は、1968年から1987年まで、新潮社の財団法人「新潮社文芸振興会」が三大新潮賞のひとつとして設けていた文学賞である。
小説・評論・詩歌・戯曲を対象とした。
選考対象は、
- 選考会前年の1月~12月の間に刊行された単行本(第1回から第4回)
- 選考会前年の1月~当年の4月の間に刊行された単行本(第5回、選考会の時期が変更されたための措置)
- 選考会前年の5月~当年の4月の間に刊行された単行本(第6回以降)
但し、いずれの場合も刊行年をさらに1年間遡って作品を選ぶことができた。
1983年まで
選考委員は4名で、毎年交代。選考委員の作品は対象としない。
1984年から
1984年の第16回から規定が、以下に大きく変更。
- 文芸部門と学芸部門の2部門制となった。
- 各・部門の選考委員は5名となった。
- 選考委員の作品も対象となった。
受賞作発表は『新潮』誌上において行われた。第1回~第4回は5月号、第5回~第9回は8月号、第10回~第15回は7月号、第16回は8月号、第17回~第19回は7月号。
受賞者には記念品と副賞として賞金100万円が授与された。
1988年、三大新潮賞から新潮四賞への移行に伴い終了した。
第7回(1975年)
- 選考委員
- 遠藤周作、小島信夫、中村光夫、丸谷才一
- 受賞作
- なし
- 候補作
- 宇野千代 『薄墨の桜』
- 大庭みな子 『がらくた博物館』
- 河野多惠子 『無関係』
- 庄野潤三 『休みのあくる日』
- 富岡多恵子 『冥途の家族』
- 中村真一郎 『四季』
- 三浦哲郎 『野』
- 安岡章太郎 『私説聊斎志異』
- 吉行淳之介 『鞄の中身』
- 唐木順三 『あづまみちのく』
- 佐伯彰一 『日本の「私」を索めて』
- 平野謙 『さまざまな青春』
- 山本健吉 『正宗白鳥』
第9回(1977年)
- 選考委員
- 江藤淳、大岡昇平、司馬遼太郎、中村光夫
- 受賞作
- 和田芳恵 『暗い流れ』
- 萩谷朴 校注 『枕草子』
第11回(1979年)
- 選考委員
- 大江健三郎、司馬遼太郎、丹羽文雄、丸谷才一
- 受賞作
- 加賀乙彦 『宣告』
- 山本健吉 『詩の自覚の歴史』
第12回(1980年)
- 選考委員
- 阿川弘之、開高健、中村光夫、山崎正和
- 受賞作
- 古井由吉 『栖』
- 結城信一 『空の細道』
第13回(1981年)
- 選考委員
- 江藤淳、加賀乙彦、篠田一士、安岡章太郎、山本健吉
- 受賞作
- 小島信夫 『私の作家遍歴』
第14回(1982年)
- 選考委員
- 磯田光一、遠藤周作、司馬遼太郎、中村真一郎、丸谷才一
- 受賞作
- 井上靖 『本覚坊異聞』
- 安岡章太郎 『流離譚』
第15回(1983年)
- 選考委員
- 江藤淳、開高健、篠田一士、松本清張、水上勉
- 受賞作
- 三浦哲郎 『少年讃歌』
第17回(1985年)
- 文芸部門
- 選考委員
- 遠藤周作、開高健、篠田一士、松本清張、水上勉
- 受賞作
- 中村真一郎 『冬』
- 学芸部門
- 選考委員
- 安部公房、高坂正堯、司馬遼太郎、柳田邦男、山本七平
- 受賞作
- ドナルド・キーン 『百代の過客』
第18回(1986年)
- 文芸部門
- 選考委員
- 遠藤周作、開高健、篠田一士、松本清張、水上勉
- 受賞作
- 北杜夫 『輝ける碧き空の下で』第二部
- 野上彌生子 『森』- 遺作
- 学芸部門
- 選考委員
- 安部公房、高坂正堯、司馬遼太郎、柳田邦男、山本七平
- 受賞作
- 角田忠信 『脳の発見』
- NHK取材班 『21世紀は警告する』1~6
第19回(1987年)
- 文芸部門
- 選考委員
- 遠藤周作、開高健、篠田一士、松本清張、水上勉
- 受賞作
- 開高健 『破れた繭 耳の物語 I』、『夜と陽炎 耳の物語 II』
- 学芸部門
- 選考委員
- 安部公房、高坂正堯、司馬遼太郎、柳田邦男、山本七平。安部、司馬、柳田は引き続き新潮学芸賞選考委員を務めた。
- 受賞作
- 阿川弘之 『井上成美』
- 新潮社四大文学賞(1954年~1967年)
- 三大新潮賞(1968年~1987年)
- 新潮四賞(1988年~2001年)