Loading AI tools
日本国憲法の条文の一つ、「国際平和」指向を規定する ウィキペディアから
(にほんこく(にっぽんこく)けんぽう だい9じょう)は、日本国憲法の条文の一つ。憲法前文とともに三大原則の一つである平和主義を規定しており、この条文だけで憲法の第2章「戦争の放棄」を構成する。この条文は、憲法第9条第1項の内容である「戦争の放棄」(戦争放棄)、憲法第9条第2項前段の内容である「戦力の不保持」(戦力不保持)、憲法第9条第2項後段の内容である「交戦権の否認」の3つの規範的要素から構成されている[1]。
この記事は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。 |
- 第二章 戦争の放棄
- 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
- ② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。[2]
- CHAPTER II. RENUNCIATION OF WAR
- Article 9. Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
- ② In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.[3]
日本国憲法第2章「戦争の放棄」の条文[4]。条文は一つだけで、戦争放棄・戦力の不保持・交戦権の否認が規定されている[4]。第9条により「非戦憲法」、「戦争放棄条項」と呼ばれる[5]。
第二次世界大戦後に平和主義を提唱している憲法は日本国憲法、フランス共和国憲法、イタリア共和国憲法などがあり、これらに伴い平和的生存権も注目されるようになった[6][注釈 1]。日本やフランスなど西側諸国の憲法は「資本主義憲法」(市民憲法)に分類されており[7][8]、『世界大百科事典』では、現代世界における支配的な平和の一つは「パックス・エコノミカ」(経済による平和)だとされている[9]。
防衛省・自衛隊は『防衛白書』(2023年)で次の通り述べている[10]。
- 憲法と防衛政策の基本 … 憲法と自衛権
わが国は、第二次世界大戦後、再び戦争の惨禍を繰り返すことのないよう決意し、平和国家の建設を目指して努力を重ねてきた。恒久の平和は、日本国民の念願である。この平和主義の理想を掲げる日本国憲法は、第9条に戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認に関する規定を置いている。もとより、わが国が独立国である以上、この規定は、主権国家としての固有の自衛権を否定するものではない。政府は、このようにわが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められると解している。
このような考えに立ち、わが国は、憲法のもと、専守防衛をわが国の防衛の基本的な方針として実力組織としての自衛隊を保持し、その整備を推進し、運用を図ってきている[10][注釈 2]。
憲法の予定する安全保障の方式について、学説は、憲法の絶対的平和主義から世界連邦主義、非武装中立主義、国連による安全保障主義等を要請しているとする説が有力である[11]。しかし、政府が選択している安全保障の方式は、自衛隊の容認と地域的・個別的な安全保障に属するとされる日米安全保障条約の方式であるが、これを支持する学説もある[12]。
本条の淵源については、立法経緯が複雑であることもあって様々な議論がある[13]。憲法9条の発案において、その背景にあった、主な動機は、「連合国が参加する極東委員会の中の、中華民国・オーストラリア・フィリピン・ソビエト社会主義共和国連邦などの国家や、アメリカ国内世論[14][15] からの『天皇制の保持』に対する批判を逸らす為であった。」という見解で、日本人もアメリカ人の学者も一致する傾向がある、とされる[16][17]。
このような条文を、憲法に盛り込む事が、一体誰の発案であったのかが議論になることがある[18]。
ハーグ平和会議の開催(1899年(明治32年)、1907年(明治40年))など19世紀末から、国際法上において侵略戦争を実定法により規制し平和を確保するための努力が進められ、国際連盟規約(1919年(大正8年))、ジュネーヴ議定書(1924年(大正13年))、不戦条約(パリ不戦条約、戰爭抛棄に關する條約)などが締結された。このうち不戦条約は第一次世界大戦後の1928年(昭和3年)に多国間で締結された国際条約である。同条約では国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄し、紛争は平和的手段により解決することなどを規定した。
Kellogg-Briand Treaty— Kellogg-Briand Treaty[25]
- ARTICLE I
- The High Contracting Parties solemnly declare in the names of their respective peoples that they condemn recourse to war for the solution of international controversies, and renounce it, as an instrument of national policy in their relations with one another.
- ARTICLE II
- The High Contracting Parties agree that the settlement or solution of all disputes or conflicts of whatever nature or of whatever origin they may be, which may arise among them, shall never be sought except by pacific means.
不戰條約— 戰爭抛棄ニ關スル條約[26]
- 第一條
- 締約國ハ國際紛󠄁爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於󠄁テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於󠄁テ嚴肅ニ宣言ス
- 第二條
- 締約國ハ相互間ニ起󠄁ルコトアルヘキ一切ノ紛󠄁爭又ハ紛󠄁議ハ其ノ性質又ハ起󠄁因ノ如何ヲ問ハス平󠄁和的手段ニ依ルノ外之カ處理又ハ解決ヲ求メサルコトヲ約ス
日本国憲法第9条第1項の「国際紛争を解決する手段としては」の文言の解釈については、不戦条約にある「國際紛爭解決ノ爲」の文言との関係をどうみるべきかという観点から学説は分かれており、憲法第9条全体の解釈として一切の戦争を放棄しているとするのであれば「国際紛争を解決する手段としては」の文言についても不戦条約等の国際法上の用例に拘泥すべきでないとする説[27][28] と憲法9条は平和という国際関係と密接な関連性を有するもので「国際紛争を解決する手段としては」の文言についても不戦条約等の国際法上の用例を尊重すべきであるとする説[29][30] が対立している。
日本国憲法第9条の立法に至る背景には、大西洋憲章(1941年)、ポツダム宣言(1945年)、SWNCC228文書(1946年)などが挙げられる[31]。このうち1945年(昭和20年)7月26日に発表されたポツダム宣言では、日本軍の武装解除とともに、再軍備の防止を示唆する条項が盛り込まれた。
Potsdam Declaration
- (7) Until such a new order is established and until there is convincing proof that Japan's war-making power is destroyed, points in Japanese territory to be designated by the Allies shall be occupied to secure the achievement of the basic objectives we are here setting forth.
- (9) The Japanese military forces, after being completely disarmed, shall be permitted to return to their homes with the opportunity to lead peaceful and productive lives.
- (11) Japan shall be permitted to maintain such industries as will sustain her economy and permit the exaction of just reparations in kind, but not those which would enable her to re-arm for war. To this end, access to, as distinguished from control of, raw materials shall be permitted. Eventual Japanese, participation in world trade relations shall be permitted. — Potsdam Declaration[32]
ポツダム宣言— ポツダム宣言[33]
- 第七條
- 右ノ如キ新秩序ガ建󠄁設セラレ且日本國ノ戰爭遂󠄂行能力ガ破碎セラレタルコトノ確證アルニ至ル迄ハ聯合國ノ指定スベキ日本國領域內ノ諸󠄀地點ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達󠄁成ヲ確保スル爲佔領セラルベシ
- 第九條
- 日本國軍隊󠄁ハ完全󠄁ニ武裝ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭󠄁ニ復歸シ平󠄁和的且生產的ノ生活ヲ營ムノ機會ヲ得シメラルベシ
- 第十一條
- 日本國ハ其ノ經濟ヲ支持シ且公󠄁正ナル實物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルガ如キ產業ヲ維持スルコトヲ許サルベシ但シ日本國ヲシテ戰爭ノ爲再󠄀軍備ヲ爲スコトヲ得シムルガ如キ產業ハ此ノ限ニ在ラズ右目的ノ爲原料ノ入手(其ノ支配󠄁トハ之ヲ區別ス)ヲ許可サルベシ日本國ハ將來世界貿易關係ヘノ參加ヲ許サルベシ
終戦後、憲法改正に着手した日本政府は大日本帝国憲法の一部条項を修正した、陸海軍をまとめて「軍」とする、軍事行動には議会の賛成を必要とする、という規定のみを盛り込んで済ませるつもりであった。
1946年(昭和21年)2月8日に憲法問題調査委員会(松本烝治委員長)がGHQに提出した「憲法改正要綱」(松本案)では次の条文となっている。
憲法改正要綱[34]
- 五
- 第十一条中ニ「陸海軍」トアルヲ「軍」ト改メ且第十二条ノ規定ヲ改メ軍ノ編制及常備兵額ハ法律ヲ以テ之ヲ定ムルモノトスルコト(要綱二十参照)
- 六
- 第十三条ノ規定ヲ改メ戦ヲ宣シ和ヲ講シ又ハ法律ヲ以テ定ムルヲ要スル事項ニ関ル条約若ハ国ニ重大ナル義務ヲ負ハシムル条約ヲ締結スルニハ帝国議会ノ協賛ヲ経ルヲ要スルモノトスルコト但シ内外ノ情形ニ因リ帝国議会ノ召集ヲ待ツコト能ハサル緊急ノ必要アルトキハ帝国議会常置委員ノ諮詢ヲ経ルヲ以テ足ルモノトシ此ノ場合ニ於テハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ報告シ其ノ承諾ヲ求ムヘキモノトスルコト
これに対して、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)では戦争と軍備の放棄の継続が画策されていた。その意思は、憲法草案を起草するに際して守るべき三原則として、最高司令官ダグラス・マッカーサーがホイットニー民政局長(憲法草案起草の責任者)に示した「マッカーサー・ノート」に表れている[35]。その三原則のうちの第二原則は以下の通り。
マッカーサー三原則(「マッカーサーノート」)第二原則(原文)
- War as a sovereign right of the nation is abolished. Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection. No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.
(日本語訳)
- 国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。
この指令を受けて作成された「GHQ原案」(マッカーサー草案)には次の条文が含まれていた[36]。なお、この段階では現行の9条に相当する条文は8条に置かれていた。
GHQ原案(原文)
- Chapter II Renunciation of War
- Article VIII War as a sovereign right of the nation is abolished. The threat or use of force is forever renounced as a means for settling disputes with any other nation.
No army, navy, air force, or other war potential will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon the State.(外務省仮訳)
- 第二章 戦争ノ廃棄
- 第八条 国民ノ一主権トシテノ戦争ハ之ヲ廃止ス他ノ国民トノ紛争解決ノ手段トシテノ武力ノ威嚇又ハ使用ハ永久ニ之ヲ廃棄ス
陸軍、海軍、空軍又ハ其ノ他ノ戦力ハ決シテ許諾セラルルコト無カルヘク又交戦状態ノ権利ハ決シテ国家ニ授与セラルルコト無カルヘシ
次のような点でGHQ原案はマッカーサー・ノートとは異なる。
なお、GHQ案の第一次案では二段落構成から一段落構成に改められていたが、最終案では二段落構成に戻されている。
GHQ原案を受けて日本政府が起草した3月2日案では次の文章となっている。
3月2日案
- 第二章 戦争ノ廃止
- 第九条 戦争ヲ国権ノ発動ト認メ武力ノ威嚇又ハ行使ヲ他国トノ間ノ争議ノ解決ノ具トスルコトハ永久ニ之ヲ廃止ス。
- 陸海空軍其ノ他ノ戦力ノ保持及国ノ交戦権ハ之ヲ認メズ。
次のような点で3月2日案はGHQ原案とは異なる。
さらに議論が重ねられ、3月5日案では次の文章となっている。
3月5日案
- 第二章 戦争ノ抛棄
- 第九条 国家ノ主権ニ於テ行フ戦争及武力ノ威嚇又ハ行使ヲ他国トノ間ノ争議ノ解決ノ具トスルコトハ永久ニ之ヲ抛棄ス
- 陸海空軍其ノ他ノ戦力ノ保持ハ之ヲ許サス。国ノ交戦権ハ之ヲ認メス
次のような点で3月5日案は3月2日案とは異なる。
1946年(昭和21年)3月6日に政府案として発表された「憲法改正草案要綱」には次の文章が含まれている[42]。
憲法改正草案要綱
- 第二 戦争ノ抛棄
- 第九 国ノ主権ノ発動トシテ行フ戦争及武力ニ依ル威嚇又ハ武力ノ行使ヲ他国トノ間ノ紛争ノ解決ノ具トスルコトハ永久ニ之ヲ抛棄スルコト
- 陸海空軍其ノ他ノ戦力ノ保持ハ之ヲ許サズ国ノ交戦権ハ之ヲ認メザルコト
1946年(昭和21年)4月17日に政府案として発表され枢密院に諮詢された「憲法改正草案」では次の条文となっている[43]。
憲法改正草案(政府原案)
- 第二章 戦争の抛棄
- 第九条 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。
- 第二項 陸海空軍その他の戦力の保持は、許されない。国の交戦権は、認められない。
次のような点で憲法改正草案は要綱とは異なる。
枢密院での審議を受け、政府が若干の修正を行った上で1946年(昭和21年)5月25日に改めて枢密院に諮詢した案では次の条文となっている[44]。
憲法改正草案(政府修正案)
- 第二章 戦争の抛棄
- 第九条 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。
- 第二項 陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない。
憲法改正草案の案文は枢密院で可決され、1946年(昭和21年)6月25日に衆議院に上程された。そして、芦田均が委員長を務める衆議院帝国憲法改正案委員小委員会においていわゆる芦田修正が加えられた。
芦田修正は第90回帝国議会の衆議院帝国憲法改正小委員会での審議過程[45] において第9条に加えられた修正であり、第1項冒頭に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」の文言を加えた。これは1946年2月3日にマッカーサーがホイットニー民政局長に示したマッカーサー・ノート[46] における「日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる」が復活したもので、憲法前文第2項の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と一連のものであると考えられる。
第2項冒頭に「前項の目的を達するため」の文言を入れた修正を指す[47]。特に第2項冒頭の修正を指して用いられることもある[48]。
第90回帝国議会の衆議院帝国憲法改正小委員会は1946年(昭和21年)7月25日から8月20日にかけて13回にわたって開催された[49]。帝国議会に提出された際の憲法改正案の案文は次のようなものである。
憲法改正草案
- 第二章 戦争の抛棄
- 第九条 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。
- 第二項 陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない。
この案文については、積極的な印象がなく自主性が乏しいとの意見が出されたため[50]、7月29日に芦田委員長は次のような試案を提示した。
芦田試案
- 第二章 戦争の抛棄
- 第九条 日本国民は、正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力を保持せず。国の交戦権を否認することを声明す。
- 第二項 前掲の目的を達するため、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを抛棄する。
このうち「声明す」の文言については文語体であり口語体の条文にはふさわしくないとして「宣言する」に改められた。7月30日の小委員会は金森国務大臣が出席して開かれたが、この段階での試案の案文は次のようなものとなっていた。
- 第九条 日本国民は、正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力は、これを保持せず。国の交戦権は、これを否認することを宣言する。
- 第二項 前掲の目的を達する為め、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
この試案では原案(政府案)における第1項と第2項の順序が入れ替えられていたが、犬養健議員から第1項と第2項の順序をもとの原案(政府案)のままに戻し、その冒頭に「日本国民は・・・」の文言を入れてはとの提案がなされた[51]。このほか、語尾の「宣言する」について、言い放つことで自主性が出るとして、「放棄する」に修正された。また、「抛棄」の字句が漢字制限の関係で「放棄」に改められた[52]。その結果として次のような法文となった。
日本国憲法
- 第二章 戦争の放棄
- 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
- 第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
1946年(昭和21年)8月24日、衆議院本会議での委員長報告において芦田均はいわゆる芦田修正について「戦争抛棄、 軍備撤退ヲ決意スルニ至ツタ動機ガ、 専ラ人類ノ和協、 世界平和ノ念願ニ出発スル趣旨ヲ明カニセントシタ」ものであると述べている[53]。その後、この修正について芦田は、自衛戦力を放棄しないための修正であり、このことは小委員会の会議録にも書かれていると発言している[54][55]。ところが、のちに公開された小委員会の速記録[注釈 3] や『芦田均日記』からは修正の意図がこのような点にあったかは必ずしも実証的には確認できないといわれる[56][57]。ただし、国際法の専門家である芦田が自衛のための戦力保持の可能性を生じることとなった点について気付いていなかったとは思われないとみる見方もある[58]。このようなこともあって芦田の真意は未だに謎とされている[59]。
芦田の真意の問題は別として、総司令部や極東委員会は芦田修正の結果として「defence force」を保持することが解釈上可能になったと考えられるようになったといわれる[60][61]。
芦田修正について総司令部からの異議はなかったといわれる[62]。これに対して極東委員会の反応は異なっていた。芦田修正については、自衛(self-defence)を口実とした軍事力(armed forces)保有の可能性があるとした極東委員会の見解[63] が有名であり、この見解の下、芦田修正を受け入れる代わりに、文民統制条項(civilian)を入れるよう、GHQを通して日本国政府に指示し、憲法第66条第2項が設けられることとなった。
貴族院では本条については修正されずこの案が最終的なものとなったが、本条の芦田修正との関係で貴族院での審議において憲法66条2項に文民条項が挿入されることとなった。
日本国憲法
- 第六十六条
- 第二項 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
当初、このような条項を挿入することについては、軍隊のない日本においては無用であるとの議論もあった[64]。金森国務大臣は「civilian」を「過去において職業軍人の経歴を有しない者」を意味するとの理解のもとに交渉にあたっていたが、新しい訳語をあてるべきと考えられたため、川村竹治委員の提案した「文民」の訳語をあてることとなった[65]。そして、文民条項(日本国憲法第66条第2項)については、1946年(昭和21年)9月に普通選挙制(日本国憲法第15条第3項)とともに貴族院での審議を通して挿入されることとなった。
「文民」の意味については、軍人ではない者を意味するとする説[66] や職業軍人の経歴を持たない者を意味する説[67] などが唱えられている。これらの説に対しては、憲法9条により一切の軍が存在しないのであれば「軍人」というものはありえないので憲法66条第2項の文民条項は説明困難となり、仮に「文民」を職業軍人としての経歴を持たない者を指すとするならば憲法66条第2項の文民条項は経過規定として補則の章に置かれるべき規定だったということになると齟齬を指摘する見解もある[68]。この憲法66条第2項の文民条項の存在については、限定放棄説の立場からその論拠として示されることがあり、百里基地訴訟第一審では憲法9条第2項前段の解釈において「「前項の目的」とは第一項全体の趣旨を受けて侵略戦争と侵略的な武力による威嚇ないしその行使に供しうる一切の戦力の保持を禁止したものと解するのが相当であって、みぎ第一項の「国際平和を誠実に希求」するとの趣旨のみを受けて戦力不保持の動機を示したものと解することは困難である。このような見解のもとにおいてこそ、憲法第六六条第二項の、いわゆる文民条項の合理的存在理由をみいだすことができるのである」と判示している[69]。これに対し全面放棄説の立場からは、この規定の存在意義について、制定時の貴族院の審議では9条との関係では無用のものと考えられ、これを意味の有るものとするためにあえて「文民」の語について「過去に職業軍人であった者」と公定解釈されたものであるという経緯が指摘されている[18]。
なお、文民条項については、その後の実力部隊(自衛隊)の創設によって新たな要素が導入されるに至り、通説では現役自衛官は「文民」ではないとされている(ただし、自衛官であった者については学説により見解が分かれている)[70]。
また、2012年時点で、日本政府は、自衛隊を合憲とする根拠について「『戦力に至らない必要最小限の実力』の保持は合憲」とする解釈をおこなっており、芦田修正は政府の合憲根拠とは無関係であり、芦田修正が無くとも合憲であるとしている[71]。
1946年(昭和21年)の憲法改正審議で、日本共産党の野坂参三衆議院議員は自衛戦争と侵略戦争を分けた上で、「自衛権を放棄すれば民族の独立を危くする」と第9条に反対し、結局、共産党は議決にも賛成しなかった。
また、南原繁貴族院議員も共産党と同様の「国家自衛権の正統性」と、 将来、国連参加の際に「国際貢献」で問題が生ずるとの危惧感を表明している。それは「互に血と汗の犠牲を払うこと」なしで「世界恒久平和の確立」をする国際連合に参加できるのか?という論旨であった。これらの危惧感は後の東西冷戦終結後、現実問題として日本に生じ、結果的にPKOなどの派遣を憲法の無理な解釈で乗り切ろうとする事態が生じている。(この憲法の推進を行ったダグラス・マッカーサー自身も日本再独立後にこの事項を作った事を戦後の米軍の負担増という点から後悔し、旧軍を最低限度の人数と装備で存続させるべきであったと一生の悔いにしていたとの逸話がある)
法的有効性について次のような議論がある。
朝鮮戦争勃発によってアメリカから、日本を朝鮮戦争に派兵させるため改憲要求が出された。アメリカの要求に対抗するため総理大臣吉田茂は社会党に再軍備反対運動をするよう要請した[75]。
憲法9条の規定については、憲法9条の法的性格、第1項の「国際紛争を解決する手段としては」という文言の意味、第2項前段の「戦力」の定義、同じく第2項前段の「前項の目的を達するため」という文言の意味、第2項後段「交戦権」の定義などについて議論がある。この部分については、日本国憲法#平和主義(戦争放棄)も参照。 一方、近年では「国権の発動たる戦争」とは国際法に照らし合わせても「侵略戦争」のことを指し、2項でも「前項の目的」とはこれも侵略戦争を指すということから、日本が他国から攻められるような場合、侵略戦争ではないため、それに該当しないという意見もある。よって、いかなる場合においても「完全な戦争放棄、軍事力を持たない」とは解釈できない訳ではないとも言われている。
憲法9条の法的性格については、次のような説がある。
憲法9条は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という文で始まる。この「日本国民」とは個々の国民ではなく全体としての日本国民もしくは一体としての日本国民を指すとされる[83]。本条の趣旨からみて個々の国民を指すとみるべきではなく[84]、通例においても個々の国民を指す場合には「すべて国民は」(例として日本国憲法第25条・日本国憲法第26条)あるいは「国民は」(例として日本国憲法第30条)の文言が用いられることが根拠とされる[84][85]。そして、「日本国民」というこの文言は日本国と同義であるとされる[86]。なお、この点については、日本国民と一体化した日本国政府と同義であるとみる説[87] がある一方で、主権者としての日本国民を指すのであって日本国政府と同義ではないとする説[83] もある。百里基地訴訟第一審判決では日本国政府を含むとしている。
以上のように「日本国民」は全体としての国民あるいは一体としての国民を指すとみるべきと理解されており[85]、このことから個々の国民が自由な意思で各自の判断の下に外国軍隊や国際連合軍に志願し参加することは直接本条の問題とするところではないとみるのが多数説である[87][88][89]。これに対して国連軍への参加の場合を除いてこのような行為は憲法の精神に反するとみる見解もある[90]。しかし、この見解に対しては憲法は基本的には国民ではなく国家機関を直接の対象とする法規範であり(憲法の対国家性)、本条中の「国権の発動たる」の文言からも「日本国民」の文言に個々の国民を含めて考えるには無理があるとの批判がある[91]。なお、本条の問題とは別に立法政策によってこれらの行為を禁止することは可能であると考えられている[92]。
このほか国民が個人の立場で軍需産業に従事することは本条に反すると説く見解があるが[93]、「日本国民」は個々の国民を意味するものではないとみる立場からはこのような解釈は妥当ではないという批判がある[84]。
憲法9条第1項の「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」は戦争放棄の動機ないし目的について示したものと考えられ[86][89]、マッカーサーノートの「日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる」に通じるものである。
なお、ここにいう「正義と秩序を基調とする国際平和」は憲法前文第2項の「恒久の平和」と同じ意味と解されており[95]、憲法前文第2項にいう「専制と隷従、圧迫と偏狭」の支配する状態とは区別される国際社会を意味するものとされる[96]。
憲法9条第1項の「国権の発動たる戦争」とは、国際法上、宣戦布告又は最後通牒という形で明示的に、あるいは武力行使による国交断絶という形で黙示的に戦争の意思表示が表明されることを要件とし、戦時国際法規が適用される国の主権の発動として行われる武力(兵力)による国家間の闘争(形式的意味の戦争)をいう[97][98][99]。
なお、この「国権の発動たる」という部分は、旧来、国際法において戦争が国家の主権に属する権利として発動されてきたものであるとの観念を表現したものとされ[100]、国権の発動でない戦争というものが存在しその意味での戦争は放棄しないという趣旨ではないとされる[101]。
憲法9条第1項の「武力の行使」とは、宣戦布告等の手続がとられず「戦争」の意思表示を示さないで行われる戦時国際法の適用を受けない武力(兵力)による国家間の闘争(実質的意味の戦争)をいう[99][102][103][104]。
事実上の戦闘が継続的な敵対関係へと発展して戦争となった場合には「国権の発動たる戦争」と「武力の行使」との区別は難しくなるが、「国権の発動たる戦争」と「武力の行使」とは放棄の条件の点では同じ扱いとなるという解釈をとる限り厳密に区別することは実益に乏しいとされる[105]。
なお、日本国憲法では「国権の発動たる戦争」(形式的意味の戦争)と「武力の行使」(実質的意味の戦争)を分けているが、国連憲章2条4では「use of force(武力の行使)」として双方を区別せずに扱っている[106]。
憲法9条第1項の「武力による威嚇」とは、現実的な武力行使には至らないものの、武力を背景に自国の要求を容れなければ武力を行使するとの態度を示して相手国を強要することをいう[99][102][107]。
第1項の「武力」と第2項の「戦力」との関係であるが、多数説は武力の行使も実質においては戦争にかわりないことなどを根拠として第1項の「武力」と第2項の「戦力」は同義であるとみる[107]。これに対して、第1項では「武力」、第2項では「戦力」とあえて異なる文言が用いられていることから両者は異なる概念であるとする説もある。そのうちの一説として、第1項でいう「武力」は第2項でいう「戦力」よりも広い概念で「武力」には警察力が含まれ、外国から不法に侵入してきた軍隊を警察力で排除することは「武力の行使」にあたるとする説がある。しかし、この説に対しては「武力の行使」でいう「武力」に警察力を含むと解釈するならば、これと並列的に列挙されている「武力による威嚇」でいう「武力」にも警察力を含むこととなるが、警察力による外国への威嚇などというものは考えられないとの批判がある[108][109]。第1項の「武力」と第2項の「戦力」とは異なるとする説としては、上の説のほかに、後述されている「国際紛争を解決する手段としては」の文言が「武力による威嚇又は武力の行使」にのみかかるとみる説があり、「戦力」を手段とするものが「(国権の発動たる)戦争」であり、外国軍隊の不法な侵入を排除するための「戦力」に至らない程度の「武力」による自衛権の行使が憲法上認められるとする解釈をとる構成上、「武力」と「戦力」は異なるという立場をとる[110](次節を参照)。
憲法9条第1項にある「国際紛争を解決する手段としては」の文言のかかる範囲とその意味については、次のような説がある[111][112][113][114]。
憲法9条第2項前段は戦力不保持について定めるが、これには「前項の目的を達するため」という文が付されており、この文言の意味については戦力不保持の動機を示すものとみる説と戦力不保持の条件を示すものとみる説がある[126]。このうち「前項の目的を達するため」を戦力不保持の動機を示すものとみる説には、第2項の「前項の目的」とは、第1項前段の「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」の部分を指すとする一項前段動機説、第1項全体の指導精神ないし趣旨を指すとする一項全体動機説、第1項後段の「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」の部分を戦力不保持の動機として指すとする一項後段動機説がある[127]。また、「前項の目的を達するため」を戦力不保持の条件とみる説としては、第1項後段の「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」の部分を戦力不保持の条件として指すとする一項後段不保持限定説がある[128]。
以上の第1項の「国際紛争を解決する手段としては」の文言と第2項の「前項の目的を達するため」の文言の法解釈のとり方によって次のような説に分類される[111][129][130][注釈 5]。
なお、「自衛戦争」の概念について、憲法第9条の解釈において従来の論者は「自衛戦争」の中に侵略的自衛戦争と自衛行動の双方を含意して用いてきたが、この二つは交戦法規の適用対象あるいは許容される軍事行動の態様の点で異なるとの指摘がある[185]。一方で「自衛戦争」と「自衛行動」という概念の区別が議論に混乱をもたらしているとする見解もあり、政府見解の「自衛のための戦力」とは異なる「自衛力」また「自衛戦争」とは異なる「自衛権の発動」という理論構成について議論に混乱をもたらしているとする見解もある[186]。
交戦権にかかる峻別不能説・遂行不能説・限定放棄説については、峻別不能説・遂行不能説・限定放棄説との関係を参照。
自衛権(個別的自衛権)とは「外国からの違法な侵害に対して、自国を防衛するために緊急の必要がある場合、それに武力をもって反撃する国際法上の権利」と定義され、国際連合憲章51条ではこの個別的自衛権に加えて集団的自衛権も規定する[187]。この国際連合憲章51条を以下に引用する。
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。
国際法上、自衛権の行使が正当化されるためには、違法性、必要性、均衡性の要件を満たすことが必要と考えられている[188][189]。
憲法9条と自衛権の関係については、次のような説がある[190][注釈 12]。
集団的自衛権とは「他の国家が武力攻撃を受けた場合、これに密接な関係にある国家が被攻撃国を援助し、共同してその防衛にあたる権利」と定義される[210]。国際連合憲章51条に定められている。日本の集団的自衛権について国際法上は、日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)第5条(C)が「連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。」と定め、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言(日ソ共同宣言)第3項は「日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、それぞれ他方の国が国際連合憲章第51条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有することを確認する。」と定める。
当初、政府見解はわが国は集団的自衛権を国際法上保有しているが、憲法上その行使は許されないという立場をとり[157]、1981年(昭和56年)の政府答弁書も「我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」[211] と述べていた。
しかし、2014年、閣議決定により、密接な関係にある他国への攻撃であり、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合などに限って必要最小限度の範囲で集団的自衛権も行使可能とする政府見解の見直しが行われることとなった[158]。
憲法9条第2項の「戦力」の内容については、次のような説がある[28][212][213][214][215]。
「戦力」にあたるか否かの判断基準については、その実力組織を利用する者の目的という主観的観点から判断すべきとする主観説もあるが、実力組織そのものの性質という客観的観点から判断すべきとする客観説が通説となっている[230]。
義勇隊(義勇兵)、組織的抵抗運動体、群民蜂起といった国際法にいう不正規兵は戦時において自然発生的に生じるものであり、憲法第9条第2項にいう「戦力」にはあたらないとされる[231]。
自衛隊員(幹部自衛官を除く)が入隊時に朗読、署名捺印をする服務の宣誓には三島事件以降、「日本国憲法の遵守」という文言が挿入された。
海上保安庁法には「この法律のいかなる規定も海上保安庁又はその職員が軍隊として組織され、訓練され、又は軍隊の機能を営むことを認めるものとこれを解釈してはならない」とする規定がある[232]。
矢部宏治は著書「知ってはいけない隠された日本支配の構造」(講談社現代新書)で1945年終戦・占領時は、各国軍隊は国際連合の元に国連軍として各国を防衛する理想から世界にゆだねたが、1950年の朝鮮戦争で冷戦が始まり国連軍が機能しないのに、その後に憲法改正されないので矛盾が生じたとしている。
憲法9条第2項後段にある「交戦権」の内容については、次のような説がある[233][234]。
これらの説のうち「国際法において交戦国に認められている権利」をいうとする説が多数説となっている[244][注釈 13]。判例においても「国際法上の概念として、交戦国が国家として持つ権利」をいうとし(長沼ナイキ事件第一審判決、百里基地訴訟第一審判決)、政府見解も「交戦者として戦時国際法上認められている権利」をいうとしている[245]。
上のように「交戦権」については「広く国家が戦争を行う権利」とみる説と「国際法において交戦国に認められている権利」とみる説がある[243]。
憲法第9条第2項後段の交戦権の否認については、同項前段の「前項の目的を達するため」の文との関係が問題となるが、学説の多くは「前項の目的を達するため」の文は後段の「国の交戦権は、これを認めない」の部分にまでかからないとみている[246]。
なお、「戦力」に至らない程度の実力を「自衛力」あるいは「防衛力」として認め、これについては保持しうるとする自衛力による自衛権説をとる場合の自衛力の行使と交戦権の否認との関係については次節参照。
限定放棄説では憲法9条第2項前段の「前項の目的を達するため」を侵略戦争放棄という目的を達成するための条件を示したものとみるが、この文が句点によって区切られた憲法9条第2項後段の「国の交戦権は、これを認めない」の文言にまでかからないのではないかという問題を生じる[128][247]。この点については、限定放棄説から、「交戦権」の内容を「国際法において交戦国に認められている権利」と解釈し、憲法9条2項後段の交戦権の否認については、あえて他の国家に対して国際法上の交戦権を主張しない趣旨であるとみる説がある[248]。一方でこのような解釈とは異なり、そのまま「前項の目的を達するため」の文は後段の「国の交戦権は、これを認めない」の部分にまでかかり、交戦権の否認も侵略戦争放棄という目的を達成するための限定的なものとなるとする説もある[249]。この説によれば、憲法第9条第2項後段は、万が一、侵略的な行動を犯した場合にも交戦国の権利を主張できないという趣旨であるとの帰結となり、二重に侵略行動を抑圧するものであるとする[250]。なお、前述のように、政府見解は基本的には遂行不能説と同様の法解釈に立ちつつ「前項の目的を達するため」の文は憲法9条第2項後段の「国の交戦権は、これを認めない」の文にまでかからないとした上で、交戦権は全面的に否認されているが交戦権とは区別される自衛行動権(自衛権の行使として自国に対する急迫不正の武力攻撃を排除するために行われる必要最小限度の実力を行使する権利)については憲法上否認されていないと解釈する[251]。
一般に限定放棄説からは「交戦権」を「広く国家が戦争を行う権利」と解釈すると結局のところ全面放棄となってしまうため、「交戦権」については「国際法において交戦国に認められている権利」と解釈する説とのみ結びつくと考えられている[252]。これに対して、峻別不能説及び遂行不能説からは、「交戦権」について「広く国家が戦争を行う権利」とみる説と「国際法において交戦国に認められている権利」とみる説のいずれの説とも結びつくといわれる[253]。
峻別不能説(一項全面放棄説)に立って、「交戦権」を「国際法において交戦国に認められている権利」とみる説からは、憲法9条2項後段は憲法9条1項の戦争の全面的放棄の裏付けとして国際法上の観点から規定されたものと説明される[254]。また、峻別不能説(一項全面放棄説)に立って「交戦権」を「広く国家が戦争を行う権利」とみる説からは、憲法9条第1項は事実上の戦争を禁じるものであり、第2項は法上の戦争も否認するものであると説明される[255]。
遂行不能説(二項全面放棄説)に立って、「交戦権」を「国際法において交戦国に認められている権利」とみる説からは、憲法9条2項前段は物的な面から、憲法9条2項後段は法的な面から戦争を不可能にする趣旨であると説明される[206]。また、遂行不能説(二項全面放棄説)に立って「交戦権」を「広く国家が戦争を行う権利」とみる説からは、憲法9条2項後段は憲法9条前段の戦力不保持とあわせて一切の戦争が行えなくなったことを示すものと説明される[256]。
憲法9条2項前段によって不保持の対象となっている「戦力」を保持することはできないが、「戦力」に至らない程度の実力(自衛力・防衛力)については保持することが認められるとする「自衛力による自衛権説」に立つ場合、その自衛力の行使と憲法9条2項後段(交戦権の否認)との関係が問題となる。この点について、自衛のための必要最小限度の自衛力の行使の関係においてのみ例外的に交戦権が存在しているとみる見解[257] がある一方、政府見解のように憲法9条2項前段の「前項の目的を達するため」は憲法9条2項後段(交戦権の否認)にはかからないので交戦権は全面的に否認されているが、交戦権とは区別される自衛行動権については憲法上否認されていないとみる見解[258] もある。この点について、昭和44年の参議院予算委員会において高辻正己内閣法制局長官(当時)は「あくまでも憲法の第九条二項が否認をしている交戦権、これは絶対に持てない。しかし、自衛権の行使に伴って生ずる自衛行動、これを有効適切に行なわれるそれぞれの現実具体的な根拠としての自衛行動権、これは交戦権と違って認められないわけではなかろうということを申し上げた趣旨でございますので、不明な点がありましたら、そのように御了解を願いたいと思います」[259] と述べている。
なお、自衛行動の範囲、自衛のための武力行使の要件についての政府の憲法解釈は2014年7月に変更されている[260]。
従来の武力行使の3要件[260]
- 我が国に対する急迫不正の侵害があること
- これを排除するために他に適当な手段がないこと
- 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
2014年7月に閣議決定された武力行使の新3要件[260]
- 我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
- これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
- 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
政府見解では我が国が自衛権の行使として我が国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することのできる地理的範囲は、必ずしも我が国の領土、領海、領空に限られるものではなく、自衛権の行使に必要な限度内で公海・公空に及ぶとする[261]。
また、武力行使の目的をもって自衛隊を他国の領土、領海、領空に派遣することは、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであって、憲法上許されないが[261]、わが国に対して急迫不正の侵害が行われ、その侵害の手段としてわが国土に対して誘導弾等による攻撃が行われた場合に、その攻撃を防ぐのに必要最小限度の措置をとること、たとえば誘導弾等による攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくということは、法理的には自衛の範囲に含まれ可能であるとする[262]。
政府見解では性能上専ら他国の国土の潰滅的破壊のためにのみ用いられる兵器については、いかなる場合においても、これを保持することが許されないとし、例えばICBM、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母については保有することが許されないとする[263]。
一方、兵器の範囲が自国防衛のみに限定されるという制約は、日本が防御や隠密性に優れた兵器開発に力を注ぐ事となったとして、CNNはこの制約がむしろ日本の戦力をさらに強化するのに役立ったという見方があると報じた[264]。
交戦権の否認との関係で戦時国際法及び国際人道法の適用が議論されることがあるが、1978年(昭和53年)の衆議院内閣委員会において真田秀夫内閣法制局長官(当時)は「憲法の制約内における実力行使はできるわけでございますから、その実力行使を行うに際して既述されている戦時国際法規は適用があります。たとえば、侵略軍の兵隊を捕虜にした場合にはその捕虜としての扱いをしなければならないというようなことは当然適用があるということでございます」[265] と述べている。また、同委員会において柳井俊二外務省条約局法規課長(当時)は「一九四九年のいわゆるジュネーブ諸条約その他条約がございまして、これはわが国も締約国になっておりますし、これらの条約に規定されましたところのもろもろのルールというものはわが国についても適用があるというふうに考えております」[266] と述べている。さらに、平成2年の国際連合平和協力に関する特別委員会において柳井俊二外務省条約局長(当時)は「我が国が紛争当事国にならない場合におきましては、自衛官もあるいは文民もいわゆる第四条約、これは戦時における文民の保護に関する千九百四十九年のジュネーヴ条約でございますが、この文民の保護に関する条約のもとで保護を受けるということでございまして、この場合におきましては、自衛官の場合もあるいはそれ以外の文官の場合も特に変わりなく人道的な保護を受けるということでございます。(中略)このようなことは実際上は余り考えにくいわけでございますけれども、ある国が我が国をいわば紛争当事国とみなすというようなことを全く理論的に考えました場合におきましては、この自衛官は国際法上軍人とみなされますから捕虜の待遇を受けるわけでございます。この場合におきましては、ヘーグ条約あるいは捕虜の待遇に関する千九百四十九年のジュネーヴ条約の保護を受けます。そして文民の方々は、先ほど挙げましたジュネーブ第四条約、文民の保護に関する条約の保護を受けることになります」と述べている[267]。
政府見解は憲法9条第1項では自衛戦争は放棄されていないが、第2項の戦力不保持と交戦権の否認の結果として全ての戦争が放棄されているとする立場をとりつつ[272]、交戦権を伴う自衛戦争と自衛権に基づく自衛行動とは異なる概念であるとし、このうち自衛権に基づく自衛行動について憲法上許容されているとの解釈をとるに至っている[154][155][273]。
1946年9月、金森徳次郎国務大臣
- 「第二項は、武力は持つことを禁止して居りますけれども、武力以外の方法に依つて或程度防衞して損害の限度を少くすると云ふ餘地は殘つて居ると思ひます、でありますから、今御尋になりました所は事の情勢に依つて考へなければならぬのでありまして、どうせ戰爭は是は出來ませぬ、第一項に於きましては自衞戰爭を必ずしも禁止して居りませぬ、が今御示になりましたやうに第二項になつて自衞戰爭を行ふべき力を全然奪はれて居りますからして、其の形は出來ませぬ、併し各人が自己を保全すると云ふことは固より可能なことと思ひますから、戰爭以外の方法でのみ防衞する、其の他は御説の通りです」(1946年(昭和21年)9月13日、貴族院帝国憲法改正案特別委員会における高柳賢三議員に対する金森徳次郎国務大臣の答弁)[274]
- 「第一項では自衞戰爭は出來ることになつて居ります、第二項では出來なくなる、斯う云ふ風に申しました、第九條の第一項では自衞戰爭が出來ないと云ふ規定を含んで居りませぬ、處が第二項へ行きまして自衞戰爭たると何たるとを問はず、戰力は之を持つていけない、又何か事を仕出かしても交戰權は之を認めない、さうすると自衞の目的を以て始めましても交戰權は認められないのですから、本當の戰爭にはなりませぬ、だから結果から言ふと、今一項には入らないが、二項の結果として自衞戰爭はやれないと云ふことになります」(1946年9月13日、貴族院帝国憲法改正案特別委員会における大河内輝耕議員に対する金森徳次郎国務大臣の答弁)[275]
1953年8月、下田武三外務省条約局長「国家の自衛権を憲法は禁止しておりませんから、自衛行動はとれると思います。ところが自衛のための戦争となりますと、これは別のことでございまして、戦争であれば敵の領土まで行って爆撃してもいいわけであります。ところがそれは自衛行動とは別であって、交戦権が認められて初めて敵の領土奥深く入って敵の首都を爆撃するという権利が発生するわけであります。そういう交戦権というものは認めていないのでありますから、国際法上の戦争と関連して初めて認められる権利は私は行使し得ない、戦争に至らざる自衛行動ならなし得る、そう考えております。」(1953年(昭和28年)8月5日、衆議院外務委員会における下田武三外務省条約局長の答弁)
憲法学者[誰?]からは「戦力」概念について政府見解の変遷が指摘されることがある。憲法制定当初、政府は、憲法は一切の軍備を禁止し、自衛権の発動としての戦争をも放棄したものとしていた。しかし、朝鮮戦争に伴う日本再軍備とともに、自衛のための必要最小限度の実力を保持することは憲法上禁止されておらず、自衛隊は必要最小限度の「実力」であって、憲法で禁止された「戦力」には当たらないとするに至っている。
1946年6月、吉田茂内閣総理大臣
- 「自衞權に付ての御尋ねであります、戰爭抛棄に關する本案の規定は、直接には自衞權を否定はして居りませぬが、第九條第二項に於て一切の軍備と國の交戰權を認めない結果、自衞權の發動としての戰爭も、又交戰權も抛棄したものであります」(1946年(昭和21年)6月26日、帝国議会衆議院本会議における原夫次郎議員に対する吉田茂首相の答弁)[276]
- 「戰爭抛棄に關する憲法草案の條項に於きまして、國家正當防衞權に依る戰爭は正當なりとせらるるやうであるが、私は斯くの如きことを認むることが有害であると思ふのであります」(1946年6月28日、帝国議会衆議院本会議における野坂参三議員に対する吉田茂首相の答弁)[277]
1950年7月、吉田茂内閣総理大臣「(警察予備隊の設置)の目的は何か、これは全然治安維持であります。秩序を維持するためであります。その目的以外には何ら出ないのであります。これが、あるいは国連加入の條件であるとか、用意であるとか、あるいは再軍備の目的であるとかいうようなことは、全然含んでおらないのであります。現在の状態において、いかにして現在の日本の治安を維持するかというところに、全然その主要な目的があるのであります。従つて、その性格は軍隊ではないのであります。また軍隊によつていわゆる国際紛争を解決するというのは軍隊の目的としての一つでありますが、この警察予備隊によつて国際紛争を解決する手段とは全然いたさない考であります」(1950年(昭和25年)7月29日、衆議院本会議における佐瀬昌三議員に対する吉田茂首相の答弁)[278]
1952年11月、吉田茂内閣の政府統一見解「戦力とは、近代戦争遂行に役立つ程度の装備・編成を備えるものをいう。戦力に至らざる程度の実力を保持し、これを直接侵略防衛の用に供することは違憲ではない」(1952年(昭和27年)11月、吉田茂内閣の政府統一見解)
1954年4月、木村篤太郎保安庁長官「常々申し上げます通り、軍隊とは何であるか、引続いて戦力とは何であるかということについては、確たる一定の定義というものはないのであります。御承知の通り、わが憲法においては自衛力は否定されていないのであります。一国独立国家たる以上は、外部からの不当侵略に対してこれを守るだけの権利があります。その権利の関係であります力を持つことは当然の事理であります。安保条約においてもまた国連憲章五十一条においてもこれはひとしく認めるところであります。ただ憲法第九条第二項において戦力を持つことを否定されておるのであります。現段階においてはいわゆる戦力に至らざる程度においての自衛力を持とうというのがわれわれの念願とするところであります。しこうして今御審議を願つております自衛隊法による自衛隊にいたしましても、もちろん外部からの不当侵略に対して対処し得る実力部隊、これを軍隊といい、また軍隊といわなくとも一向さしつかいないのであります。要は戦力に至らない実力部隊、われわれはこう考えておる次第であります。」(1954年(昭和29年)4月27日、衆議院内閣委員会における田中稔男議員に対する木村篤太郎保安庁長官の答弁)[280]
1954年5月、佐藤達夫内閣法制局長官「いざこざが前にあろうとなかろうとこちらから手を出すのは、これは無論解決のための武力行使になりますけれども、いざこざがあつて、そうして向うのほうから攻め込んで来た場合、これを甘んじて受けなければならんということは、結局言い換えれば自衛権というものは放棄した形になるわけです。自衛権というものがあります以上は、自分の国の生存を守るだけの必要な対応手段は、これは勿論許される。即ちその場合は国際紛争解決の手段としての武力行使ではないんであつて、国の生存そのものを守るための武力行使でありますから、それは当然自衛権の発動として許されるだろう、かように考えておるのであります。」(1954年(昭和29年)5月13日、参議院法務委員会における中山福藏議員に対する佐藤達夫内閣法制局長官の答弁)[282]
1955年7月、林修三内閣法制局長官「先ほどから申し上げます通りに、いわゆる交戦権という問題と、日本が他国あるいは外部から侵略された場合に、自衛のためにそれを排除するために抗争するということとは観点が別だと思います。しかしたまたまその形が、いわゆる戦争、国際法的に見た戦争と見られるような形をとるということは、これはもちろんあり得ることと思いますが、それは私は排除されておらない。つまり日本その自衛のために必要な限度における、の侵略を排除する範囲における自衛行動、これは認められておる。その形を国際法上何と見るか。これは国際法の関連において決する、かように考えます。」(1955年(昭和30年)7月26日、参議院内閣委員会における堀眞琴議員に対する林修三内閣法制局長官の答弁)[283]
なお、2014年、閣議決定により、密接な関係にある他国への攻撃であり、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合などに限って必要最小限度の範囲で集団的自衛権も行使可能とする政府見解の見直しが行われている[158]。
1957年5月、岸信介内閣総理大臣「今日核兵器と言われておるところの原水爆やその他これに類似したようなものが、これはその性格から申しましても、もっぱら攻撃的なものでありまして、こんなものを日本が持つということは、これは憲法の自衛権というものの解釈からいってもこれは許せないことであろう。しかし核兵器と一言に言われておるけれども、この原子力のいろんな発達というものは非常に著しいものがあるからして、そういう場合において、憲法の議論としては、これはそういうものが、あらゆる、たとえもっぱら防禦的だと考えられるようなものであったとしても、いわゆる核兵器と名がついたら、これは憲法違反だ。―憲法に核兵器を禁止しておるという私は明文はないと思うのです。ただ自衛権の内容というもの、自衛というもののワクでもって、われわれが持ち得る一つの実力といいますか、力というものは、限定されなければならないというのが私の憲法の議論でございます」(1957年(昭和32年)5月13日、参議院予算委員会における小林孝平議員に対する岸信介首相の答弁)[284]
1967年3月、佐藤榮作内閣総理大臣「わが国が持ち得る自衛力、これは他国に対して侵略的脅威を与えない、侵略的脅威を与えるようなものであってはならないのであります。これは、いま自衛隊の自衛力の限度だ。かように私理解しておりますので、ただいま言われますように、だんだん強くなっております。これはまたいろいろ武器等におきましても、地域的な通常兵器による侵略と申しましても、いろいろそのほうの力が強くなっておりますから、それは、これに対応し得る抑止力、そのためには私のほうも整備していかなければならぬ。かように思っておりますが、その問題とは違って、憲法が許しておりますものは、他国に対し侵略的な脅威を与えない。こういうことで、はっきり限度がおわかりいただけるだろうと思います」(1967年(昭和42年)3月31日、参議院予算委員会における鈴木強議員に対する佐藤榮作首相の答弁)[285]
1978年4月、真田秀夫内閣法制局長官「政府が従来から憲法第九条に関してとっている解釈は、同条が我が国が独立国として固有の自衛権を有することを否定していないことは憲法の前文をはじめ全体の趣旨に照らしてみても明らかであり、その裏付けとしての自衛のための必要最小限度の範囲内の実力を保持することは同条第二項によっても禁止されておらず、右の限度を超えるものが同項によりその保持を禁止される「戦力」に当たるというものである。(中略)核兵器であっても仮に自衛のための必要最小限度の範囲内にとどまるものがあるとすれば、憲法上その保有を許されるとしている意味は、もともと、単にその保有を禁じていないというにとどまり、その保有を義務付けているというものでないことは当然であるから、これを保有しないこととする政策的選択を行うことは憲法上何ら否定されていないのであって、現に我が国は、そうした政策的選択の下に、国是ともいうべき非核三原則を堅持し、更に原子力基本法及び核兵器不拡散条約の規定により一切の核兵器を保有し得ないこととしているところである。」(1978年(昭和53年)4月3日、参議院予算委員会における矢追秀彦議員に対する真田秀夫内閣法制局長官の答弁)[286]
1979年3月、大平正芳内閣総理大臣「自衛のために最小必要限度を超えない実力を保持することは憲法によって禁止されておらない、したがって、自衛のための必要最小限度の範囲を超えることになるものは、通常兵器でありましてもその保有は許されないと解されるのが憲法の精神だろうと思いますが、その精神は、一方、核兵器でございましても、仮に右の限度の範囲内にとどまるものであれば、憲法上はその保有を禁ずるものでないという解釈を政府はとっておりますことは御案内のとおりであります。憲法の解釈は右のとおりでございますけれども、わが国は、政策的な選択といたしまして、いわゆる非核三原則を国是とも言うべき政策として堅持しております。さらに、原子力基本法並びに核兵器不拡散条約の規定によりまして、一切の核兵器を保有し得ないとしていることは言うまでもないところでございます」(1979年3月16日、参議院本会議における吉田正雄議員に対する大平正芳首相の答弁)[287]
防衛省・自衛隊は『防衛白書』の「2 憲法第9条の趣旨についての政府見解」でこう述べている[289]。「わが国が憲法上保持できる自衛力は、自衛のための必要最小限度のものでなければならないと考えられている」[289]。具体的にはその最小限度は、国際情勢や軍事技術などの諸条件に影響されており、毎年度の予算などの審議を通じて国民代表者(国会)が判断する[289]。「憲法第9条第2項で保持が禁止されている「戦力」にあたるか否かは、わが国が保持する全体の実力についての問題」であり、個々の兵器については全体の実力の最小限度を超えてはならない[289]。
ただし兵器の中でも、主に「相手国国土の壊滅的な破壊のためにのみ用いられる、いわゆる攻撃的兵器」──例えば大陸間弾道ミサイル(ICBM)、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母など──は「直ちに自衛のための必要最小限度の範囲を超える」ため、「いかなる場合にも許されない」[289]。
「自衛権を行使できる地理的範囲」については「一概には言えない」が、「武装した部隊を他国の領土・領海・領空に派遣するいわゆる海外派兵は、一般に、自衛のための必要最小限度を超えるものであり、憲法上許されないと考えられている」[289]。また「自衛権」と「交戦権」は別であり、「自衛権の行使にあたっては、わが国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することは当然」とされている[289]。例えば「自衛権の行使」として相手国兵力の殺傷と破壊を行う場合、(外見的には同様であっても)それは「交戦権の行使」とは別である[289]。「ただし、相手国の領土の占領などは、自衛のための必要最小限度を超えるものと考えられるので、認められない」[289]。
自衛隊の憲法9条に対する合憲性について直接判断した最高裁の判例は未だ存在しない。下級裁においては長沼ナイキ事件(札幌地裁)、航空自衛隊イラク派遣違憲訴訟(名古屋高裁)の2例がある。
1951年(昭和26年)11月28日、最高裁判所大法廷判決。遡及効の否定[290]。
1959年(昭和34年)12月16日、最高裁判所大法廷判決(この判決が示されるに当たり、アメリカの圧力があった事が判明している[291])
1996年(平成8年)8月28日、最高裁判所大法廷判決[292]
この節の加筆が望まれています。 |
現在、同様に戦争放棄を憲法でうたっている国としてはフィリピンがある(米国占領下の1935年憲法で初出[294])。また、侵略戦争のみを放棄した憲法を有する国は西修の調べでは124ヶ国にのぼる。
佐藤功によれば、過去にさかのぼり平和主義を規定した憲法を分類すると、
がある。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.