文壇バー
日本における飲食店のカテゴリーのひとつ ウィキペディアから
日本における飲食店のカテゴリーのひとつ ウィキペディアから
文壇バー(ぶんだんバー)は、日本において文壇の関係者が常連として集まるバー (酒場)の通称。「バー」という呼び名がなされているが、実態としては客層が文壇に限らない高級クラブを含む。これらの店舗は東京の銀座や神田神保町周辺に多く存在した[1]。
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文壇バーと称される酒場には、実態として、一般的な「バー」というよりも「高級クラブ」の形態に属すものが少なからず含まれている。またそれらの著名な文壇バーの多くが、「マダムが自身の才気と魅力をもって経営する」という個人経営形態をとっている。
昭和初期(1920 - 1930年代)において、高級クラブの主力客は経済界の大物や政治家、高級官僚たちであり、「文壇バー」という呼称は一般的ではなかった。だがジャーナリズムの拡大により作家たちの社会的地位と収入が上昇し、高級クラブに通いはじめる者が次第に増加しはじめた。
「エスポヮール」、「おそめ」が銀座の高級クラブの双璧として覇を競い、時代を代表する超一流の政治家・実業家たちを顧客化した。
“ある一人の客”(白州次郎との説が有力)をめぐる両店マダム同士の意地の張り合いをモデルにした川口松太郎の小説『夜の蝶』が映画化され、流行語にもなった。文化人たちの一部も両店に通いはじめており、店側でもそのことを自店のステイタス向上に利用した側面もあった。「文壇バー」という呼称への認知は広がったが、一部の大作家や売れっ子作家以外の文壇関係者にとって、両店の敷居はまだ非常に高いものであった。
政治・経済界だけでなく、文壇にも世代交代が進み始め、超大物顧客のみを客層とする経営戦略をとっていた『エスポワール』や『おそめ』の勢いに陰りが出始める一方、若い世代を顧客として取り込んだ新しい高級クラブが文壇バーの主力となっていった。また会社組織で経営する『ラ・モール』のような文壇バーも登場した。
一方、銀座などの高級クラブとは異なる大衆的な飲食店が蝟集する新宿ゴールデン街は、常連客だった中上健次と佐木隆三が1976年にそれぞれ芥川龍之介賞と直木三十五賞を受賞したことで全国的に知名度を上げ、「文化人の集まる飲み屋街」として知られるようになった[2]。
いわゆるバブル景気の時期。銀座をはじめとする高級クラブがかつてない隆盛を誇るが、法人客やバブル長者等の需要を取り込んだ結果であり、高級クラブ業界における文壇バーの存在感は相対的に低下した。
バブル時代に高級クラブを支えた企業による接待利用は激減。ITバブル以降に見られる産業構造の変動もあり、銀座をはじめとする全国の高級クラブのビジネス規模は縮小し、多くの文壇バーが閉店した。一方で数軒の名門店他は歴史を守り続け、文化人をはじめとする様々な業界の客層を維持している。2018年には、NHK総合テレビ『プロフェッショナル 仕事の流儀』で、銀座で50年の歴史をもつ名門店のマダムを、“銀座の伝説”として紹介した[3]。
一方、新宿ゴールデン街では、現役ジャーナリストの経営者が「日本一敷居の低い文壇バー」「プチ文壇バー」を称して[1][4]、文学やライターの志望者をターゲットにした「月に吠える」を2012年にオープンさせている[4][5]。
黄金期である1960年代から1980年代にかけては、「文壇バー」は、文壇人たちにとっての情報交換、意見交換、ビジネス獲得の場所として機能していた。また作家たちの連帯意識を高めるソサエティとしての役割を果たしていた。
(作家による記述例)
銀座は、(作家たちにとって)自分以外の世界の人にふれあい、交流のきっかけを得る場所でもあったのだ。(中略) 仕事の打ち合せ、仲間同士の付き合いは、皆銀座で行われた。新しい仕事の打ち合せ、長い連載の仕事が終わっての打ち上げ会などの場合、銀座の料理屋、レストランで食事をし、酒場(文壇バー)に移るのが、ごく普通の形であった。 — 峯島正行、『さらば銀座文壇酒場』
このメンバーの顔触れを見てもお分かりのように、みんな一匹狼ばかりであって、芸術院会員になろうと先輩文士にゴマをすったり、ゴルフにうつつを抜かすような人間はいない — 梶山季之、雑誌『噂』(1973年8月号)
作家ほど純粋に生きている奴はいないのだ。女に惚れるとどれほど騙されても悔ないし、少し休養して養生したらといってもペンを離さない。頑固と言えば頑固だか、この一徹さが権力も懼れず、金力に屈せず、暴力にも負けないのだ。 — 今東光、『週刊小説』(1975年5月15日号)
ネットをはじめとする情報技術の発達により、フェイス・トゥー・フェイスで情報収集を行うための場所としての役割は相対的に低下した。その一方で、昭和出版業界黄金期を醸成した舞台としての文化遺産的価値や、歴代文化人の精神を理解・継承し得る場所としての価値(=『聖地』としての価値)が言及されるようになってきている。
(作家による記述例)
いつか(先輩作家に対し)恩返しをしなければならない。そのためにはもっともっといかなければならないし、若い作家を誘わなければ。(中略) 我々にとって、『数寄屋橋』は『聖地』であり『学校』であり、そして『憩い』の場だった。これからもずっとそうあって欲しい。 — 大沢在昌、『文壇バー -君の名は「数寄屋橋」』への寄稿
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