愛媛県立宇和高等学校
日本の愛媛県西予市にある県立高等学校 ウィキペディアから
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愛媛県立宇和高等学校(えひめけんりつうわこうとうがっこう)は、愛媛県西予市にある県立高等学校である。
愛媛県立宇和高等学校 | |
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北緯33度21分45秒 東経132度31分13秒 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 愛媛県 |
併合学校 |
愛媛県立宇和農業高等学校 愛媛県立東宇和高等学校 |
理念 | 大地と共に心を耕せ |
校訓 | 剛健・清純・親和 |
設立年月日 | 1908年 |
共学・別学 | 男女共学 |
分校 | 愛媛県立宇和高等学校三瓶分校 |
課程 | 全日制課程 |
設置学科 |
普通科 生物工学科 |
学期 | 三学期制 |
学校コード | D138221400014 |
高校コード | 38142A |
所在地 | 〒797-0015 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
愛媛県立宇和高等学校(えひめけんりつうわこうとうがっこう)は、愛媛県西予市宇和町卯之町4丁目190番地1に位置する県立高校。普通科と生物工学科を有する総合高校。1908年に設立された宇和農業学校と1922年設立の東宇和高等女学校を併せ、1949年に発足した。略称は宇和高(うわこう)。
剛健・清純・親和
大地と共に心を耕せ
「大地と共に心を耕せ」という教訓は札幌農学校の教育理念とされ、農蚕学校を前身にもつ本校の「農場訓」として引き継がれています。
豊かな心を持ち、たくましく今世紀を生き抜く生徒を育成する本校にとって、この「大地と共に心を耕せ」は、普通科・農業科から成る総合制高校の教育理念として最もふさわしく、誇らしい言葉です。
宇和高校では、さまざまな教育活動を通して「こんな大人になってほしい」という視点での教育を行っています。[1]
1950年4月1日に制定された。図案は初代校長の佐伯秀雄氏。
現在、スクールマークとして桜の花びらのロゴが制定されている。このマークは夏服の袖に刺繍されている。
スクールカラーは古代紫。
かつて設置されていた農業経営科と農業工学科は農業の衰退及び学歴偏重主義が相まって二学科とも1982年(昭和57年)より定員割れの状態が続いていた。そこで同校は「特色ある魅力あふれた学科づくり」・「地域に信頼される学科づくり」・「進路を保証する学科づくり」を目標に学科改組に着手した。同様に県教育委員会においても職業教育検討委員会が設置され、農業科の改善について「情報教育、バイオテクノロジー教育の充実」などが受験生減少に歯止めをかける方策として答申された。これを受け、かねてから検討されていた学科再編成計画を基に「生物工学科」を新設、農業経営科の募集を停止した。その後さらに受験生の減少が続いたため、平成12年度には農業工学科の募集を停止するに至った。
第二次世界大戦後、占領軍の高等学校の総合制を中心とした再編成が行われていた。これにより1949年(昭和24年)9月に県立高等学校の整理・統合が実施された。特に本県関係の米軍指導者は総合制高校設置の主張が強く、47校の県立高等学校は29校になった。このとき、県内において単独制商業高等学校は1校も認められなかった。文部省調査によると、単独制商業高等学校として認められたものは全国にわずか71校のみであり、そのほとんどが東京を中心とした東日本地域に存在していた。その反面、総合制高等学校の実施により、従来は商業科が存在していなかった地域においても、総合制高等学校の中に商業科が設置されることとなった。この総合制高等学校のねらいというのは、当時の普通科高等学校における大学進学率は全国平均で30%程度であったにもかかわらず、あたかもすべての生徒が大学へ進学するかのような教育が行われていたことを是正し、生徒のそれぞれの進路に応じた教育実施のために各高等学校にそれぞれ数種の学科を併設すべきという意見が根底にあった。かくして松山商業高等学校は松山東高等学校商業科、八幡浜商業高等学校は八幡浜高等学校商業科、宇和島商業高等学校は宇和島東高等学校商業科、新居浜商業高等学校は新居浜東高等学校商業科と改称され、三島高等学校・今治北高等学校そして宇和高等学校に商業科が新設された。2004年(平成16年)に募集停止となり、2006年(平成18年)2月22日商業科閉科式が挙行された。
日清戦争後の日本における経済は目覚ましい発展を遂げ、南予の農業も養蚕業が次第に勃興し、飼育技術についての関心が高まってきていた。宇和町は古くから当地方の文化経済の中心を担っていた。それだけに教育に対する関心も高く、農業教育を主とした中等学校設立の機運が深まった。かくして、明治38年の12月の東宇和郡農会総会開催の際、甲種農林学校設立案が提出された。同会においては満場一致で可決され、新ためてこの案を東宇和郡会にこの建議案を提出することとした。その後、郡においても農業学校の必要性を確認し、明治39年2月の通常郡会にこのことを諮問した。これを受けた郡会では、必要性を認識しつつも、多額の費用を要する大事業であるとして、さらに研究したうえで散会となった。その後、郡役所と郡会は精力的に調査活動を行い、郡立山梨蚕業学校や兵庫県立蚕業学校など県外9校を調査した。これによって得られた具体的な設立計画案が明治40年2月に提出された。設立については満場一致で可決されたのだが、設置場所については2派にわかれ、激論がたたかれた。宇和町に設置することに終始反対した野村町は学校敷地の無料貸与と建築費の一部を負担することを申し出た。設置場所については採決がとられ、採決の結果は宇和・野村同数であったために、議長の採決で原案通り宇和町に設置が決定した。これにより、同年7月、文部大臣あてに郡立農蚕学校設立の申請書が提出された。かくして明治41年5月1日、蚕病予防事務所卯之町出張所を仮校舎として、入学式を兼ねた開校式が行われた。
創立10周年の記念式典を終えた翌大正7年4月1日、文部省告示をもって県移管が認可され、愛媛県立宇和農業学校と改称された。
昭和2年4月15日に創立20周年記念式挙行が挙行された。当初は新たに拡張した運動場で実施する予定だったが、前日からの天候不良により講堂で開催された。また、当日の夜に鬼窪において祝賀会が開催された。
昭和14年4月12日に創立30周年記念式が挙行された。この式典は1日目の4月12日に行われ、2日目に戦死者追悼会、3日目に運動会が行われその日の夜に活動写真の上映が行われ、1200名が詰めかけた。
昭和23年4月29日より3日間にわたって、創立40周年記念式が挙行された。1日目は40周年記念式典と祝賀会、2日目は記念講演と演劇及び歌のコンクール、3日目に南予高校野球、卓球、マラソン大会が実施された。
1922年(大正11年)に創立。当初は郡立として設立を進めていた。設立前後の様子を明確に述べた資料が少ない。大正11年12月21日、県立東宇和高等女学校設置に関する件が知事より承認され、その後文部省から同様に認可された。上宇和村と宇和町の合併により空白となった上宇和小学校の跡地に設立された。1948年(昭和23年)に新制高校として男女共学となるまでに1000名を超える卒業生を世に送り出した。
創立以来40年の年月を経て、すでに当時、宇和農業学校は本県の農業学校の中でも最古であった。昭和23年4月、学制改革により、県下各地に高等学校が設置されることとなった。終戦に伴う学制改革により県下各地に高等学校が設置された事に伴い、郡内においても宇和農業学校の伝統を生かした南予全域の中心的な農業高校を設立すべきという要望があった。また、県立農事試験場南予分場が廃止されることとなり、この施設を利用して園芸科を設置せよという声も上がった。1948年(昭和23年)に園芸科を併せた宇和農業高等学校が新設された。それと同時に定時制課程も設置され、中心校と高山・俵津に分校を設置、続いて9月には奥南にも分校設置が決定した。その一方で東宇和高等女学校は学制改革により、同年4月1日に男女共学の東宇和高等学校となった。しかし、宇和農業高等学校・東宇和高等学校はともに次の宇和高校への橋渡しであり、1年間のみしか設置されなかった。そして翌1949年(昭和24年)9月1日、高等学校再編成により、宇和農業高等学校及び東宇和高等学校を廃止・統合して宇和高等学校が設置された。定員は普通科450名、農業科300名、商業科150名となったが、これは名目だけの統合であり、校舎の建設が間に合わず生徒は東校舎、西校舎に分かれていた。1952年(昭和27年)に統合校舎が完成し、西校舎を引き上げて全校生徒が現在地へと移った。この、西校舎から統合校舎へ移転する際、生徒は机や椅子、教員は書類等を2日間にわたって徒歩で運んだ。2日間で650名の生徒と職員が練り歩いた。
昭和20年頃、高校に進学しない青年層の80%に対しても教育の機会を与えようという機運が高まっていた。昭和27年には東宇和郡新学制準備協議会が開かれた。その結果、中心校である宇和農業高校には普通科と農業科、家庭科、高山分校は普通科、俵頭分校は農業科と決定した。その後、昭和24年9月1日、中心校である愛媛県立宇和農業高等学校は愛媛県立東宇和高等学校と統合し、愛媛県立宇和高等学校と改称した。それに従い、定時制課程の名もこれに準ずることとなった。
1951年1月11日(昭和26年)制定
作詞:佐伯秀雄 作曲:深尾茂男
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