広川町 (和歌山県)
和歌山県有田郡の町 ウィキペディアから
和歌山県有田郡の町 ウィキペディアから
広川町(ひろがわちょう)は、和歌山県の中央北寄りに位置し、有田郡に属する町。紀中地域[1](有田圏域[2])に属する。
町中央を広川が流れ紀伊水道に注いでいる。気候は黒潮暖流の影響を受けて温暖なため快適で、雨の多い太平洋側の表日本の中では比較的降水量の少ない地域となっている。
1854年(安政元年)の安政南海地震によって発生した津波が町に襲来した際に、濱口梧陵が稲藁に火を着けて津波の襲来を村人に知らせて避難を誘導した逸話「稲むらの火」が有名である。 なお、今後発生が予測される南海トラフ巨大地震の際には、町内に最大8mの津波が到達することが予想されている[3]。
このうち、特に湯浅町とは市街地が連続しており、2015年(平成27年)の湯浅町役場移転前は、両町の役場間の距離は1km程度(徒歩20分程度)であった。
平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、6.39%減の7,224人であり、増減率は県内30市町村中15位。人口密度は110.58人/km2であり、県内30市町村中17位。
広川町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 広川町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 広川町
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
広川町(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
歴史は古く鷹島遺跡の縄文前期から始まり、その後文献によると広川町全域は、広庄と呼ばれ、古代末期から中世初期にかけて熊野路往還の地として賑わった文化融合の地である。
2018年5月24日には、「百世の安堵(あんど)」~津波と復興の記憶が生きる広川の防災遺産~ のストーリーが、文化庁により日本遺産に認定された。防災遺産に関するストーリーが日本遺産に認定されたのは、全国初である。
定数:10[4](そのうち1人が女性で、議員の10%が女性。)
※広川町内の郵便番号は「643-00xx」(隣の湯浅町と同じ)で、集配業務は湯浅郵便局(有田郡湯浅町湯浅)が担当している。
町内に駅は西日本旅客鉄道(JR西日本)きのくに線の広川ビーチ駅がある。この駅は無人駅である。 同駅から和歌山駅まで約50分、大阪方面まで特急を乗り継いで約1時間半のところにあるが、駅名のとおり西広海岸の近くにあり、町の市街地エリアから離れているため、一般的に湯浅町にある湯浅駅の方が町民によく利用されている。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.