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和歌山県広川町にある中学校 ウィキペディアから
広川町立耐久中学校(ひろがわちょうりつ たいきゅうちゅうがっこう)は、和歌山県有田郡広川町にある中学校である。
広川町立耐久中学校 | |
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北緯34度01分27秒 東経135度10分09秒 | |
過去の名称 |
耐久社 →耐久舎 →耐久学舎 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 広川町 |
校訓 | 真・健・美 |
設立年月日 |
1852年(稽古場) 1949年(広村南広村組合立耐久中学校) |
創立者 | 浜口梧陵 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C130210000690 |
所在地 | 〒643-0071 |
和歌山県有田郡広川町広1123 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
1852年(嘉永5年)に「稲むらの火」の主人公(五兵衛)として知られる濱口梧陵(ヤマサ醤油当主)により旧・広村に耐久社として創設された。創立150年を超える日本有数の歴史[1]を持つ。
和歌山では、旧士族の教育のために創立された徳義中学が1901年(明治34年)に県に移管された後は、耐久中学校が1920年(大正9年)に県に移管されるまで県内唯一の私立中学として地元の中等教育に貢献した。明治時代に、和歌山には公立校として徳義中学以外には、和歌山中学、田辺中学、粉河中学、新宮中学の4校があった。1907年(明治40年)には、伊藤博文からも信頼があつかったイェール大学のラッドが来校。また、翌年には釈宗演らが来校し、当時の文部大臣小松原英太郎の視察も受け、後に著された「教育論」の中でもその独自の校風などが伝えられている。創立150年周年記念式典には、当時の文部科学大臣遠山敦子が訪問して植樹を行っている。
現在の耐久中学校は広村立の新制中学校として発足し、学制改革で耐久高校が湯浅町で発足後、旧耐久中学校のあった地に校地を移転して現在に至っている。
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