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日本の女優 ウィキペディアから
岸 輝子(きし てるこ、本名:伊藤 キシ[1]〈いとう キシ〉、1905年5月1日[1] - 1990年5月10日[1])は、日本の女優。夫は千田是也[1]。千田らとともに劇団俳優座を創設。
北海道出身[1]。北海高等女学校卒業[1]。一旦は就職すものの俳優を志し、1925年に築地小劇場に入り[1]研究生となる。初舞台は、『寂しき人々』。築地小劇場の分裂を経て、1936年、新築地劇団に入団[1]。1940年に弾圧による解散[2]後、1944年2月に青山杉作、千田、東野英治郎、小沢栄太郎、東山千栄子ら10人で劇団俳優座を創立[3]、以降俳優座の中心女優として活躍し、多くの舞台に立った。『肝っ玉おっ母とその子供たち』はその代表作で、1966年に芸術祭奨励賞を受賞している。1963年に東山千栄子、村瀬幸子、永井智雄らとヨーロッパへ演技研究に出かけている。
舞台のほか、映画でも活躍。映画デビューは小山内薫監督の『黎明』(未公開)。戦後から本格的に活動し、黒澤明監督の『野良犬』を筆頭に、多くの作品に登場した。
特に母親役や老け役で名演を残しており、日本を代表する老け役の1人でもあった。
私生活では、東屋三郎と結婚するも、1935年に死別。1940年に千田と同棲、同年新劇人に対する大がかりな弾圧がおこなわれ[2]、千田は逮捕・投獄されるが1942年に出所、同年千田と結婚[1]した。
1962年4月14日、安保闘争に関わった女性たちによって「日本婦人会議」が設立され[4]、議長には岸、田中寿美子、松岡洋子、深尾須磨子、羽仁説子、高田なほ子、野口政子、田所八重子ら8人が就任した[5]。
同年10月19日、岸、平塚らいてう、いわさきちひろ、野上弥生子、羽仁説子、桑沢洋子、櫛田ふき、深尾須磨子、壺井栄ら32人の女性の呼びかけにより「新日本婦人の会」が結成された[6][4]。
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