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1936-1991, 映画監督、脚本家。 ウィキペディアから
山根 成之(やまね しげゆき、1936年6月14日 - 1991年12月27日)は、日本の映画監督、脚本家。1970年代に松竹の映画で活動した。
東京府東京市向島区寺島町(現・東京都墨田区東向島)で帽子屋の息子として生まれた。小学生の頃から浅草の映画館に通うほどの大の映画好きで、都立両国高校3年の時には年間800本を記録した。その一方で演劇部で活躍し、舞台俳優を目指し劇団俳優座への入団を志したが、方向転換して日本大学芸術学部映画学科に入学し、1960年に卒業後、松竹に入社。高橋治、小林正樹、中村登、篠田正浩、野村芳太郎らの作品の助監督につく。作風では、他社(日活)であるが鈴木清順の作品の影響を受けたという。
1968年、『復讐の歌が聞える』(貞永方久と共同)で監督に昇格。1973年、『同棲時代』シリーズで単独でメガホンを執る。
以来、コメディや青春もの、芸能事務所と共同製作したアイドルものを多数監督した。
1976年、『さらば夏の光よ』と『パーマネント・ブルー 真夏の恋』で第19回ブルーリボン賞監督賞を受賞。長らく小品の名手として評価されてきたが、1979年から『黄金の犬』『五番町夕霧楼』と一本立大作に進出。見掛け倒しの大作邦画に対する批判が高まっていた時期でもあり、パンフレットなどで「ブルータスの轍は踏まない」と意欲を語っていたが、その後は映画作品は急減する。
1980年代からはテレビドラマの演出も手がける。1991年12月27日、55歳で死去した。
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