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日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー ウィキペディアから
富永 貞義(とみなが さだよし、1947年1月24日 - )は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー。大阪府出身。現シンエイ動画嘱託、文星芸術大学非常勤講師[1]。元「トミプロダクション」主宰。
元々絵画志望であったが、近所に貧乏な絵描きが居た事から絵描きでは食べていけないと知り、新聞広告に募集が出ていたサンプロダクションに応募し入社。同期には山口泰弘がいる。 研修期間中に『ビッグX』の動画を担当し、『オバケのQ太郎』の原動画を経験した。『オバケのQ太郎』終了後に木下蓮三が上京し成功したのを知り、山口泰弘や白梅進らと共に東京へと上京した。 東京ムービーの下請けに参加していた映音に入社し、『ウメ星デンカ』や『珍豪ムチャ兵衛』まで映音にて活動した。[2]
『いじわるばあさん』参加時に、当初参加していた作画監督が問題を起こしていた事から急遽代理を頼まれ、メインスタッフとして深く関わっていた。 その際に収入が増えた事からナックの西野聖一から税金対策としてプロダクション設立を進言され、トミプロダクションを設立する。[2]
『元祖天才バカボン』以降は東京ムービーの元請作品減少の影響を受け、荒木伸吾の紹介で東映動画(現:東映アニメーション)の作品に参加する。 後に広岡修の紹介でオカスタジオの作品に参加。オカスタジオ設立前には広岡がトミプロに机を借り、『宇宙戦艦ヤマト』の作業をトミプロで行っていた事もあった。[2]
諸事情によりオカスタジオの仕事から外れ、トミプロを休業状態にする予定であったが、スタッフを食べさせていくために再稼働を余儀なくされた。 その際、シンエイ動画の楠部三吉郎から放送が決定する前の『ドラえもん』に誘われ、正式に決定するまで『おれは鉄兵』に参加する事となった。[2]
その後はシンエイ動画を主軸として活動するようになり、『ドラえもん』を始めとした藤子アニメ作品に数多く関わった。 特に『映画ドラえもん』には第2作目から第23作目まで作画監督として長らく関わっている。
2002年の『のび太のロボット王国』制作時に腎盂腎炎を発病。映画ドラえもんを降板し、翌年の2003年は短編作品の『Pa-Pa-Pa ザ★ムービー パーマン』に移る事となった。 2007年には悪性リンパ腫のステージ4が発覚し、スタジオ維持の困難を受けてトミプロを解散。その際に『ドラえもん』の作画監督を降板している。[2]
2008年からは再び『ドラえもん』に復帰。キャラ設定として2017年まで参加した。 現在は『NINJAハットリくんリターンズ』のキャラクターデザインを担当し、現役として藤子アニメに関わり続けている。
富永曰く、トミプロでは、普段スタッフは自宅で作業をし、仕事が大詰めの時にはスタジオに結集するというスタイルをとっているという。
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