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日本の愛知県北設楽郡にあった村 ウィキペディアから
富山村(とみやまむら)は、愛知県北設楽郡に属していた村。愛知県の北東端に位置し、静岡県・長野県と県境を接していた。16世紀までは賀茂郡(加茂郡)に属していた。
最盛期でも人口は約1,000人に過ぎなかった。2005年(平成17年)10月末時点の人口は218人であり、日本の「離島以外の市町村の中で最も人口が少ない村」であったが、2005年(平成17年)11月27日に豊根村へ編入された。これにより「離島以外の市町村の中で最も人口が少ない村」の座を高知県土佐郡大川村に譲っている[注釈 1]。
急峻な地形で平地はほとんど見られない山村である。急斜面に築いた石垣の上に民家が建っている。東端部は佐久間湖(佐久間ダムのダム湖)が広がっている。年平均気温が14℃、霜日数約150日、根雪日数約5日と夏は過ごしやすいが、冬はやや寒い。
2000年(平成12年)の国勢調査によると、労働力人口は97人であり、労働力平均年齢は46.8歳だった。産業別構成比率は、第一次産業12.4%、第二次産業13.4%、第三次産業74.2%だった。かつては第一次産業の従業者が多かったが、最近では高齢化の進行によりその比率が急減していた。大きな産業がないため、高齢化と過疎化の傾向が見られた。生涯学習や山村留学を通じて他地域との交流を深めていた。
郵便配達は隣の静岡県浜松市天竜区にあり、天竜郵便局集配局とする水窪郵便局が行う。そのため、愛知県に属するものの、郵便番号は浜松西郵便局を地域区分局とする(郵便番号が43から始まる)431-4121が使われる。
富山村に高等学校は存在しなかった。自宅通学生の大半は、県境を越えて静岡県浜松市天竜区の静岡県立佐久間高等学校(現・静岡県立浜松湖北高等学校佐久間分校)に進学することが多かった。稀に愛知県内の県立高校や、長野県下伊那郡阿南町の長野県阿南高等学校に進学する者もいた。
村民バスが漆島 - 大嵐駅間を運行、一日4〜6往復しており、合併後は豊根村営バスとなった。なお、他路線との連絡はないため、合併後の行政の中心地である豊根地区には自家用車でしか行けない。
村内に一般国道は通っていない。
富山村に電気の供給が開始されたのは1924年(大正13年)である。長野県下伊那郡竜丘村(現・飯田市)に本社を置く電力会社南信電気が、県境を越えて供給した。愛知県側からではなく長野県側からの供給となったのは、愛知県側からでは山岳地帯で配電線建設が困難であったためである。南信電気は1938年(昭和13年)に中央電力に合併[2]。続いて戦時下の配電統制により中央電力は1942年(昭和17年)に中部配電へと統合、富山村は同社の供給区域へと編入された[3]。戦後の電気事業再編で1951年(昭和26年)に中部電力が発足すると同社の供給区域に組み入れられ[4]、現在に至っている。
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