加茂郡 (三河国)
日本の愛知県(三河国)にあった郡 ウィキペディアから
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概ね現在の下記の区域にあたるが、行政区画として画定されたものではない。
2010年(平成22年)の国勢調査に基づく面積は775.20k㎡、人口は364,459人。 西三河では最大、三河国全体でも設楽郡に次いで広い。
なお、現在の北設楽郡北部(稲武、名倉、津具、豊根、富山の各地区)が設楽郡に移管されるまでは三河最大の面積を占めていた。
郡名の由来については京都賀茂神社(鴨社)の神領地であったことに因むという説のほか、矢作川の上流に位置することから名付けられたという説、大鴨積命の治めた土地であることから命名されたという説など複数あり、はっきりしていない。三河国賀茂郡松平郷発祥の松平氏(徳川氏)は、賀茂神社の氏子であったため、賀茂神社の神紋である葵紋を、家紋としたと伝えられている。大宝年間以前は鴨評(かものこおり)と1字表記した。
三河国以外にも全国各地に賀茂郡や賀茂郷が存在する。賀茂郡は賀茂神社の神郡とも言われる。
古代は、現在の豊田市(稲武含む)・みよし市・設楽町(名倉・津具)・豊根村(豊根、富山)・長野県根羽村に及ぶ広大な地域であった(現在の長野県境は全域が加茂郡であり、西三河側に属した)。
室町時代まで野原村は、本郡の足助荘仁木郷であったが、この地域を支配する領主が、隣接する美濃国恵那郡の領主であった明知遠山氏へ娘を嫁がせる際に、野原村を美濃国恵那郡に化粧料として割き与えたと伝えられている。
16世紀に(稲武、名倉、津具、豊根、富山)が設楽郡に郡替えされた。また現在の長野県根羽村の領域が信濃国に編入された。武田信玄の三河侵攻に伴い、領域化されたのが原因という。
以下の7郷が存在した。
先代 ----- |
行政区の変遷 - 1878年 |
次代 東加茂郡・西加茂郡 |
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