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宮﨑 礼壹(みやざき れいいち、1945年〈昭和20年〉5月13日 - )は、日本の検察官。姓の「﨑」は「山偏に竒」(いわゆる「たつさき」)であるがJIS X 0208に収録されておらず、名の「壹」は「壱」の旧字体であるため、宮崎 礼壹(みやざき れいいち)、宮﨑 礼壱(みやざき れいいち)、宮崎 礼壱(みやざき れいいち)などと表記される場合もある。
内閣法制局総務主幹、内閣法制局第二部部長、内閣法制局第一部部長、内閣法制次長、内閣法制局長官、法政大学大学院法務研究科教授などを歴任した。
埼玉県出身の検察官である[1][2]。東京地方検察庁、岡山地方検察庁、札幌地方検察庁で検事を務めた[1][2]。また、法務省においても、矯正局付の検事や刑事局の参事官を務めた[2]。のちに内閣法制局に出向し[2]、総務主幹を経て[1]、第二部や第一部の部長を務めるなど[1]、要職を歴任した。2004年には内閣法制次長に就任した[1]。2006年には阪田雅裕の後任として内閣法制局長官に就任し[1]、第1次安倍内閣から鳩山由紀夫内閣にかけて同職を務めた[3][4]。退職後は、法政大学の大学院にて法務研究科の教授を務めた。
1945年(昭和20年)5月13日に埼玉県にて生まれ[2][5]、1950年(昭和25年)から東京都で暮らす[2]。1964年(昭和39年) 東京都立日比谷高等学校卒業、1967年(昭和42年) 東京大学法学部4年次在学中に旧司法試験に合格した[1]。
卒業後は司法修習生を経て検察官となった[1][2]。東京地方検察庁などで検事を務め[1][2]、法務省刑事局では参事官も務めた[1][2]。のちに内閣法制局に移り[1][2]、第二部長、第一部長、内閣法制次長を歴任した後に[1]、2006年(平成18年)9月に第1次安倍内閣にて内閣法制局長官に就任した[1][3]。長官在任中、集団的自衛権の行使は違憲であるとの日本国憲法第9条に関する憲法解釈について、内閣総理大臣の安倍晋三から解釈変更の指示を受けたが、職員の総辞職の可能性を示唆して抵抗し、阻止した[6]。鳩山由紀夫内閣まで内閣法制局長官を務めたが、2010年(平成22年)1月15日に長官を辞職した[4][7]。
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